第25話 幻の駅は…。

 奈美は、結局、高野と加藤浩之が同行することで、一人で灯しや診療所へ行く事を許され、美香の居場所を知っている浜本とともにここへ来たのだった。


「いらっしゃいませ。」


 駅を降りると、そこには見覚えのある姿が待っていた。


 その笑顔に、奈美と高野は戸惑いを見せた。


「あの、フルールに来たわけではないんですけど。」


「分かってますよ。奈美さん。」


 なんで、自分の名前を知っているのよ…。


 不審に思う奈美の心の声に答えるように、浜本が言った。


「はは、兄貴だよ。」


「えっ、うそ、浜本先生の…お兄さん?」


「そうですよ。賢の兄です、慎と申します。」


「誰ですか?この方。」


 加藤が奈美の耳元で聞いた。


「そこのフルールていう喫茶店のマスターよ。博美さんと、高野さんの3人で来たことあったんだけど、まさか、浜本先生のお兄さんだとはね。」


「なるほど、マスターっぽい。でも、お兄さんがなんで?」


「この人、こんな格好してるけど、美香の先生。」


「ん?マスターが?」


「そうですよね。やっぱり変ですかね。珈琲淹れるのも得意だけど、元々の本業は精神科医です。美香の先生って言っても歳は変わらないから、美香とは同じ生徒だよ。本当の先生は、久住先生かな。宗一郎先生を通して、お父さんの白一郎先生の研究書籍をとにかく読んだよ。自分の方が、美香より少し早く始めたからね。でも美香の方が、久住先生のとこで、難しい医学雑誌を読みまくってたね。」


「兄貴は、病院勤務より喫茶店とかで、手品を披露するみたいな感じで、みんなと触れ合ったりする方が向いてるんだろうね。催眠療法と言うより、催眠術でイベントなんかでテレビにも出たことある。恥ずかしいと言いながらも、まんざらでもない感じだったな。」


「自分は、手品好きの珈琲屋の方が向いてると思ってますから。」


「それも、ちょっと怪しい感じのね。」


「怪しいってなんだよ。」



 そんな兄弟のやり取りとりに、奈美が話に入った。


「ねぇ、マスター、あの時も、私たちのこと知ってたの?」


「知ってましたよ。美香先生のお手伝いがてら、ここで様子見てましたから。」


「意味が分からないんだけど。それより、私がここへ来た目的分かってます?なんか、なんでこんな緩い空気なの?緊張感がまるでない。」


「じゃ、行こうか。」


 信じられない。無視って…。


 納得のいかない対応に不満を感じつつも、奈美は、浜本の声に何か意図を感じた。


 一行は、あの時と同じように、草むらの分け目を浜本を先頭に一列に進んだ。



 確か、ここを抜けたところに、開けた場所があったはず。


 そう、確か、ここ…あれ?、やっぱりマスターが言ったとおり駅は無い。


 でも…。


 何この建物。


「こんなの無かったわよ。」


「あったけど、見えてなかったんだよ。ここは、研究所。」


「もしかして、美香の?」


「そう、博美さんが連れてこられたところ。」


 そこには、蔦が絡まった灰色の2階建てのコンクリートの建物が立っていた。

 手が入っていない草むらに囲まれた、その建物は、灯しや診療所を、もっと埃臭くさせたような隠れ家的な存在感を放っていた。


「じゃ、入りましょうか。」


「えっ、ちょっと待って。すんなり流さないでよ。見えてなかったってどういう事よ。

 なんで、この前は駅があったのに無いの?マスターも、もう何もないって言ってたし。何はが本当なのよ。何よこれ?私たちはいったい何を見てたの?キツネに化かされたと思ってたけど、神代って先生も、あの患者でしょ。訳が分からない。この建物も美香が作ったもの?美香はどこなのよ。この中にいるの?ねぇ?」


「まあ、まあ、落ち着いて。」


 気の高ぶりを押さえられず、早くなった奈美の口調を、慎が、やんわりと制止した。


「あぁん、もう、だって訳がわからないもの。」


 奈美は、記憶と違う光景に混乱した様子で、髪をかき乱していた。


「そうだよ。これはどういう事なんだ。確かに、ここには古い駅があって、レトロな電車に乗ったんだ。木の椅子で、懐かしい電車だった。」


「そう、高野さんも、この時はもう催眠に掛かっていたからね。今、歩いて来た草むらの小径で、耳には聞こえない音波で催眠をかけていたんだ。あ、今日は、違うよ。大丈夫。それで、この建物は電車に見えた。そうだな、ゴーグルを装着しないVRみたいとでもいった方が分かるかな。」


「なるほどね。まるで、テーマパークだね。」


 静かだった加藤がつぶやいた。


「入ってみて。」


 そんな軽く言わないでしょ…。


 浜本に促され、奈美はそっと汗がにじんだ手を、ドアノブにかけた。


「奈美さん、気を付けて。あ、先生、ここ耳栓はしなくて大丈夫?」


「今は必要ない。」


「うわ、明るい部屋。椅子が並んでるけど、誰もいない。外とは違って、きれいね。」


 奈美は、静まり返ったを部屋を恐るおそる見渡した。


 オフホワイトとベージュで統一された清潔感のある色調で、物があまり置かれていないスッキリとした印象だ。


「ここは、ちょうど電車に乗った場所。それで、ここに座ってから、みんな眠りに入ったんだ。あとは、それぞれの脳に映像のデーターを送り込み、プログラムに沿って、それぞれ夢の中で体験していたってこと。だから、実際には、君たちはこの場所から動いてはいなかったんだ。」


「そんなことが出来るんだ。あの時は、不思議な体験をしたとは思ってたけど、まさかこんな仕組みがあったなんて。信じられない。理解はできないけど。すごいな。加藤は、もっとわからいだろうな。」


「あぁ、さっきから、ほとんどしゃべれない自分がいるよ。なんだか夢を見ているみたいだ。」


「でも、これは現実なんだよ。」


「高野さん、なんでそんな冷静なの。もぉ、頭がパニック。美香はどこ?どこなのよ。」


「こっちの部屋だ。」


 浜本は、部屋の奥へと誘導した。


「奈美さん、私が開けるよ。」


「高野さん、ここは私がやらなきゃいけないの。大丈夫よ。」

「わかった。すぐ後ろについてるからな。加藤も頼む。」

「了解。」


 奈美は、ドアの前で、大きく息を吐いた。


 ゆっくりとドアを開けた。


 ドアを開けると、薄暗いその部屋のどこからか、規則正しい電子音が聴こえてきた。部屋の中央にはベッド。側には、様々な薄くクリアな機器が置かれ、幾何学模様のような波形にテンポを合わせた電子音が、重奏を奏でていた。


 奈美は息を呑んだ。


 ベッドの上には…美香が横たわっていたのだ。


「何?眠ってるの?これじゃ、私が聞きたかったことが聞き出せないじゃない。だから浜本先生はこんなに落ち着いてたんだ…。どういう事?ねぇ、説明しなさいよ。」


「悪かった。実は、あれから、この部屋を細工しておいたんだ。美香が君たちを探しに行ってた時に、ヘッドホンに小さな穴を開けておいた。いつもの催眠をかける準備をするのが分かってたからね。自分で催眠をかけてしまったという事だ。そして催眠がかかった状態で、薬剤を使った。モニター観察しているから、覚醒状態に近づけばわかるようになっている。今、だいぶ深い睡眠状態だな。しばらくは眠ってるよ。」


「誰かに催眠を掛けようとしてたの?」


「そう、私にかけたんだよ。奈美さん、じゃなくて花香ちゃん。」


 奥の薄明りに、影が浮かんだ。


 小さい?違う、車いすだ。


「誰?」


「奈美さん、こいつ久住宗一郎だ。」


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