第27話 花香が奈美になった時。

一瞬の沈黙のあと、奈美の声が静かに響いた。


「あなたが、母、里香の恋人を轢いた…。」


「そうだ…。飲酒運転だった。もう30年近くにもなるが、当時は今ほど飲酒運転に関しては厳しくはなかったが、世間に知られてしまったら、自分はもう終わりだと思った。逃げてしまったんだ…。医者としては最低の行為だな。」


「ほんと最低の医者…。それで、あなたが殺してしまった人がどういう人だったかは知ってるの?」


奈美は、息を深く吐き、気持ちを落ち着かせ、久住にそう聞いた。


「そうだな。私は殺人犯という事だな。自分の犯した罪を初めて言葉にして聞かされたよ。ここまで言われながらも、まるで他人事だ。すまない。私は、誰を殺してしまったか…。忘れもしない。正木晃という名だった。毎日のように新聞やテレビで確認してた。いつわかってしまうか、ずっと怯えていたのかもしれない。忘れられなかったよ。」


「やっぱり…そうだったの。私の知人の友人だった人よ。結婚が決まったって話をすることになってて、待ち合わせ場所に来なかった。救急車のサイレンで、心配になって見に行ったら、心臓マッサージ受けてたところだったって言ってたわ。その人が私の父だと思ってたら、違ってたみたいね。」


「違うのか?自分はてっきり、その人と里香の娘だとばかり…。」


今度は、加藤が答えた。


「そう、その人ではありません。里香さんの友達だった人から聞いた話では、無理矢理に関係を持たされた人との子だって言ってたそうです。だいぶ歳が上でと。それを承知で正木さんは結婚をしようと言ってくれたとか。お腹の子の本当の父親には話してなかったそうなんです。久住さん、あなた、心当たりあるんじゃないんですか?」


「いや、そんな…。里香は何も言ってなかったが。確かに、もしかしたらと、里香に聞いた事があった。でも、里香は、ハッキリ否定したんだ。」


「あなたが父親なんて考えたくはないけど…。どうもそうみたいね。」


奈美は、潤んだ眼で、年老いた久住の姿を見つめた。


「そうだったのか。なんてことだ…。」


久住は項垂れた頭を必死に持ち上げ、たるんだ瞼で細くなった視界から、霞んだ奈美の顔を見て言った。


「美香も…美香も、私の子だ。」


「ちょっと、待って、美香は先生に好意を持っていたんじゃないのか。」


静かに聞いていた浜本賢が、そう言って、久住に詰め寄った。


「それは、自分にも分かっていた。あの子は知らないことだ。母親の美佐子さんから言わないで欲しいと言われていたからね。」


「うそ、美香は、ミイばあちゃんとタカじいちゃんの娘ではなかったの?」


「二人が結婚する前に、美香を妊娠してた。私の子だと言われたよ。自分はそんな事はないだろって逃げてたが、血液型で分かった。隆行さんが手術した時の検査の一覧を見せてもらったよ。AB型の隆行さんと、O型の美佐子からはO型の美香は生まれない。私はO型だった。でも認知はしなかった。自分の立場もあるから。だから、美香が来た時は、戸惑った。自分に好意を持ってることも感じていたんだ。私は、バイトに来たいた、里香が可愛くてしょうがなかった。だから、美香はやきもちを焼いてた。どうして私ではダメなんだと。心理の研究もそこから始まったような気がする。」


賢がうなずきながら言った。


「だからか。美香が言ってたよ。先生は、私より妹の方が好きだったって。時折、思い出したかのように、里香と何が違うのよって。私の方が話だって合うのにと。娘には手は出せなかったと言う事か。」



「そういう事だ。美香と里香は姉妹ってことだな。まさか、今こんな事を知るなんてな…。」


「何がなんだか…。それで、由美子はどう関わってくるの?」


奈美は、混乱した頭の中の整理も出来ないまま、話を進めた。



「あの事故の様子をな、由美子が見ていたんだ。由美子は警察には届けずに自分をずっと脅迫してきたんだ。お金を払ってたよ。そして由美子は、里香の事が嫌いだった。想いを寄せてた正木さんに、あっさりとふられてしまって、里香との結婚を決めたと聞いたときから、里香に何かと嫌がらせをしてたよ。そんな由美子に見られてたなんてね。いつまでこんな事が続くのかと思っていた。そんな時、もうすぐ桜が咲く頃だったと思う。里香と何かあったのか、由美子は里香の娘を誘拐してと。その時は、ただ困らせたい様子だったが酷い事を言うなと思ったよ。自分が言える事でもないが。結局は上手く行かなかったが、今度は、その年の夏に由美子が里香の娘が欲しいと言ってきた。自分の娘を亡くしてしまったんだと。男と会うために、外泊して帰ったら、死んでたんだと言ってた。今でいう熱中症だ。」


奈美は、自分の不遇な過去を静かに聞き、大きな溜め息をついて言った。


「なんか、想像以上に酷い話ね。この話が自分の事なんて、とても思えないわ。」


高野も、眉間にしわをよせながら久住に聞いた。


「でも、そこまでして、自分の子供が亡くなったことを隠したかったのは何故だ?いくら普通、代わりの子供をってならないんじゃ。自分には子供はいないが、自分が産んだ子なら、もっと愛おしいものなんじゃないのか?」



「普通はそうだな。たくさんの母子を見ているが、由美子は違ったんだよ。実は、会っていた男は、再婚を考えている男性だったから、そんな事バレたら再婚できなくなるから、花香を奈美として連れて行くからと。だから、奈美ちゃんをどこかに埋めてきて欲しいって頼まれたんだ。そして、花香を奪って来いと。でなければ、ひき逃げをばらすぞと脅された。何を言ってるんだと、断ったよ。でも…。」


「でも、何?」


「私は、催眠療法を利用して、女性を触ってた。それに関しても、脅されてたんだ。」


「あんた、何よそれ。借金を他人にかぶせて、人を引いて、女性に如何わしい事して、なんて人なの?無茶苦茶な人ね。信じられない。それで、里香、私の母は、どうしたの?」


冷静に聞いていた奈美も声を荒げてそう言った。


「大岩で遊んでた花香ちゃんを連れ去ったんだ。車には、亡くなった奈美ちゃんも乗せてたから、山に埋めてから、花香ちゃんを由美子の元に連れて行く予定だった。でも花香ちゃんを車に乗せてるところを、里香に見られたんだ。車の進行方向から里香が走って来て、車の前に立ちはだかった。跳ねて慌てて、ハンドルを切ったが、接触してしまった。里香の方に駆け寄ったんだが…もう息が無かった。」


「それで、奈美ちゃんと一緒に埋めた…という事か。鬼畜に睨まれた鬼畜の所業ってわけだ。人って、どこまで残酷になれるものなんだ。」


震える奈美を察して、加藤が、そう聞いた。


「そうだな。もはや人間ではないのかもな…。それで、由美子の家に行って、花香ちゃんを渡した。その足で由美子は、東京に行ったんだ。自分は、しばらくは医者としてやってたが、美香が何年振りかで、富山に来たんだ。由美子が、美香に自分にことを話したらしい。」


「美香も催眠療法の研究を始めていたんだ。自分の研究を極めたいから、協力してくれと。断ったが、これまでの自分がやってきた事を黙っているからと。今すぐでなくてもいいからと。」


「考えさせてほしいと言ったよ。でも、何年か経った頃に今でいうセクハラで訴えられた。示談で済ませたが、噂はあっという間に広がった。近所に、新しく産婦人科も出来たというのもあって、もう無理だと思って東京に逃げた。美香のもとへすぐ行けばよかったが、自分の記憶操作をされることが怖かったんだ。しばらく彷徨ったいた時に電車の事故にあった。」


「指輪はどうしたのよ。指輪盗ったでしょ。」


「それもわかってたんだんな。指輪は換金してない。ネームが彫ってあったからな。怪しまれると思った。身分証明も持ってなかったからね。また罪を重ねてしまった。いっそのこと、美香に記憶をなくしてもらった方が楽なんではないかと。この歳だ。医者として働く気もない。そう考えているうちに、脱水で、動けなくなってね。近くの人が、救急車を呼んでくれて、美香の病院に行ってくれとお願いした。」


「指輪はどこにあるの。」


「ここにある。後ろを見てくれ。」


賢は、車いすの背もたれの後面のポケットから、指輪のケースを取り出した。


その指輪は、奈美に手渡されたケースの中で、いまでも輝きを忘れず光っていた。


naoya ♡ hiromiの刻印がしっかり確認できた。


「博美さんに知らせなきゃね。」


「浜本先生、久住さん、レート150超えてます。もう限界かと。」


 看護師の声が響いた。


「まだ、大丈夫です。」


久住が重い手を挙げかけて、ぐったりと降ろした。


「先生、少し休憩しましょう。」


 遮る久住を促し、賢は、車いすを押して、隣の部屋へ連れて行った。


「先生、美香先生の様子が…診てください!」


 隣のドアから、緊張感のある看護師の声が飛び込んできた。

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