第23話 母、里香の花香への思い。

 桜写真家、河西哲真は、さくら商店街跡に来ていた。

 

 誰かいる…。

 

 小岩の前に、花を供え、手を合わせている白髪の女性がいた。

 

 大岩の影に隠れるように、その小岩はあった。

 

 小岩なんて気が付かなかったな…。

 

 でもなんで、手を合わせているんだろう。

 

「あの、すいません。」

 

 しゃがんでいる女性の背中に、河西は声を掛けた。

 

 女性は、見知らぬ河西の姿を見て、驚いた様子で振り向いた。

 

「どなたですか?」

 

「私、河西と申します。あの、この小さな岩は何ですか?」

 

 一眼レフを手に、ハンチング帽、サングラス。

 

 怪訝そうに自分を見る女性に、河西は慌てて名刺を差し出した。

 

「すみません。この格好は…そうですよね。失礼しました。私、東京から来ました。主に桜を専門に撮影している写真家です。この桜の木も、まだ優雅な姿があった30年ほど前に知人に紹介されて初めて来たことがあったんです。最近、久しぶりに、ここに来る機会があって、この大岩と桜の姿を見た時、残念な気持ちもありますが、なんか、神的なものを感じましたね。それで、うっかり写真に収める事を忘れていて、今日来てみたところなんです。」

 

「そう…なんですか。」

 

 まだ、表情を緩ませない女性に、この空気を何とかしようと河西は続けた。

 

「自分が、この前来た時は、この小さな岩には気が付きませんでした。お向かいの亀田時計店の方も言ってなかったですし。」

 

「あら、亀田さんを知ってるんですか?」

 

「えぇ、自分の知人が、このさくら商店街にいたことがあるらしいと、私も久しぶりに来てみたかったのもあって、案内がてら来てみたんです。その時に、亀田時計店の方に話を伺ったもので。」

 

「そうだったんですね。その女性は、ここに住んでらしたってこと?」

 

「そうみたいなんです。ちょうどこの桜と大岩の前の駄菓子屋にいたらしいんですが、記憶が、今一つで、それで、亀田さんで何か分かるかもとお伺いしたところ、彼女の記憶とも合致しましてね。」

 

 女性の表情が変わった。

 

「駄菓子屋さん?そこにいた牧野美佐子さんとはお友達でしたから知ってるわよ。でも、どなたかしら?皆、いえ、皆でないかもしれないけど、亡くなってますよ。他に誰かいたって聞いてないですが。」

 

「それは、まだハッキリとは分からないですが、あなたが知ってる人かもしれません。」

 

 

 河西は、女性にも促し近くのベンチに座った。

 

「それで、この小岩は?」

 

「あ、これね、今、言っていたその駄菓子屋さんには、美佐子さんの旦那さんの隆行さんと、娘さんの里香さん、そして里香ちゃんの娘さんの花香ちゃんがいたのよ。その里香ちゃん親子の写真と胎毛筆を、ここに埋めたんです。」

 

「胎毛筆?」

 

「えっとですね。赤ちゃんが生まれて初めて切った髪、言い換えれば、胎児の時に生えた髪を筆にしたものなんです。だから、一生に一回しかできないものですね。ハサミが入ってない分、毛先が自然で、きれいな筆ができるんですよ。健康祈願とか、頭が良くなるようにとかの願いが込められたものですね。」

 

「あぁ、赤ちゃん筆って聞いた事あります。そうか、胎児に時に作られる髪だから胎毛筆か、なるほどね。でもなんで、花香ちゃんの胎毛筆がここに?」

 

「まあ、花香ちゃんの場合は、花香ちゃんの髪が薄いことを気にした里香さんが、赤ちゃんの時に髪を剃ると濃くなるって言われたからって、花香ちゃんの髪を剃ったらしいんですよ。でも生まれて最初の髪だから捨てられないって取っておいたのを、何かで知ったんだろうね。筆屋のうちの店に、筆にしてほしいと持ってきたんですよ。でも、胎毛筆なんて、当時、うちはやったことが無くて、広島の熊野筆を扱ってるとこにお願いしてたものですから時間がかかってしまってね。それで完成してたものを、やっと渡せると思ったら、里香さんも花香ちゃんも行方が分らないっていうじゃない。里香さんは亡くなって、花香ちゃんは行方が分らないまま。だから、良く遊んでたこの大岩と桜の木の側で、見つかりますようにって、ここに私が埋めたのよ。いたずらされても嫌だったから、あまり誰にも言ってなかったんだけど。」

 

「そういう事だったんですね。」

 

「実は、ここにいたかもしれないって言う女性は、その花香ちゃんの可能性が出てきて。」

 

「えっ、嘘でしょ?冗談言わないでよ。生きてたら、なんでここに来ないのよ。美佐子さんも隆行さんもどんなに待っていたか…。」

 

 女性は、驚いた表情で河西を見た。

 

「違う人に違う人物として育てられたからだと思います。」

 

「どういう事?意味が分からないわ。」

 

「そうですね。まだ、ハッキリしたわけではないのですが。今、水口奈美さんっていうんですが、母親は確か、由美子さん。旧姓佐々木でしたね。」

 

 女性は、思わず立ち上がった。

 

「なんてこと!佐々木由美子は私の姪ですよ。由美子の両親は早くに亡くなったものだから、私が親代わりだったんですけど。なんで。」

 

「それじゃ、あなたは由美子さんの叔母さん何ですね?こんなところで繋がるなんてね。私は、奈美さんに話を聞いただけなので、どんな方かは分かりませんが。」

 

「由美子はね、人に干渉されるのが嫌で、奈美ちゃん妊娠した時も大変だったわよ。誰の子か分からないで産むって言うから。それにあの子の気性が激しいところがあって、子供を育てるなんて無理だって言ったのよ。でも産んだのよ。それなのに子供をほったらかして遊びに行くこともあったわね。だから、奈美ちゃんの面倒、ほとんど私が見てたわ。それなのに、突然、あの子は奈美ちゃんとどこかへ行ってしまって。」

 

「いなくなった時、捜索願とかは出されたんですか?」

 

「出そうと思ったわよ。でも、時々、手紙が来てたから、それなりにやってるのかなと思ってたわ。何考えてるのか分からないこともあったし、あまり干渉するのもね。」

 

「えっ、それで、花香ちゃんを由美子が育ててたってこと?嘘でしょ。意味が分からないんだけど。それじゃ、奈美ちゃんは…。もしかして…。そんな考えられない。」

 

 力抜けたようにベンチに座りなおした女性は、涙声になっていた。

 

「そう、あの、見つかった骨は奈美ちゃんかもしれないという事です。そのことを証明するために、その筆なんですが、見せてもらっていいですか?写真撮らせてください。それで警察に調べてもらおうと思ってるのですが良いでしょうか?」

 

「えぇ、良いですけど。すみません、突然の事なので。」

 

 

 亀田時計店の正子が、2人の声を聞きつけ出てきた。

 

「あら、あんたあの時のカメラの人じゃないか。」

 

「いや、すいません、この桜の木を撮るのを忘れてしまって。商売なのにね。それで、また来ました。そしたら、こちらの方がおりまして。」

 

「何かあったんですか。えっと、お顔はわかるんですけど、時々、牧野さんちに来てましたよね。」

 

 呆然とした様子の女性に正子は声を掛けた。

 

「えぇ、そうですね。亀田さんとは、お話はしたことはありましたけど。私の名前までは知らなかってですものね。すみません、私、カメラマンさんにも名前言ってませんでしたね。春日美紀子と言います。隣町で、春山堂という、書道一般の道具を販売してます。」

 

「大丈夫ですか。顔色も良くない感じですが。」

 

「ごめんなさい。あまりにもショックな事聞いたもので。すみません。大丈夫です。」

 

「そのお店なら、五十の手習いというやつで、書道を習ってた時に道具を買いに行ったことあります。もう、長くやられてますよね。」

 

「ありがとうございます。そうですね。もう40年ほどになりますね。でも、後継者いないので、私が出来なきなったら、もう店は閉めようかと思っております。」

 

「どこも同じね。うちもそうよ。こんな古い時計屋なんて、客もほとんど来ませんからね。」

 

「亀田さん、ここに小岩があったの知ってました?」

 

「あぁ、これ?いつの間にかあったね。」

 

「これ、私なんですよ。」

 

 少し落ち着きを取り戻した春日美紀子は、そう言った。

 

 河西は、美紀子に代わって、今、聞いた話を正子に話した。

 

「ほんとに?あの奈美さんを育てた人の叔母さん?世間は狭いって、この事だね。でも、知らなかったね。ここにそんなものが埋められていたなんて。胎毛筆なんて初めて聞いたよ。」

 

「10年も経つかもしれないから、どうなってるか分からないけどね。」

 

「ちょっと待って、私、家からシャベル持ってくるよ。」

 

 美紀子は、正子が持ってきたシャベルで小岩の前の土を掘った。

 

 30㎝ほど掘ったところで、ナイロン袋に包まれた四角い缶が出てきた。

 

「やだ、錆びちゃってるね。」

 

 土を払い、袋から缶を出した美紀子は、止めてあったテープを外し、蓋を開けようとした。

 

「錆びついてて、これは開かないね。」

 

「じゃ、自分がします。」

 そう言って、河西がさび付いた蓋を楽に開けた。

 

「驚いたね、あんた細いけど、やっぱり男だね。」

 

「あら、中はきれいじゃない。」

 

 美紀子は、缶から取り出した筆を河西に手渡した。

 

「これが胎毛筆か。花香って掘ってある。平成3年9月12日だって。生年月日?」

 

「そう、胎毛筆には、柄に名前と生年月日を掘るんものなんだよ。」

 

「これ、リカちゃん人形じゃない?写真もあるね。花香ちゃんと里香ちゃんだね。」

 

 懐かしそうに、人形と写真を手に取って眺めていた正子に、美紀子は話掛けた。

 

「この人形はね、里香さんが、花香ちゃんの髪を持ってきた時、花香ちゃんがね、リカちゃん人形をちっちゃな手で持って、ママと名前が一緒なんだよって、嬉しそうに私に教えてくれてんだよ。本当に可愛かったよ。でもあの時、店に入ってきた子犬に気を取られて忘れて行ってしまったんだよ。筆が仕上がった時に取りに来る予定だったんだ。本当に良い親子だったよ。由美子とは対照的だったね。」

 

 美紀子の湿った声に、正子の目も潤んでいた。

 

「その胎毛筆の写真撮ってもいいかな。」

 

 河西が空気を換えた。

 

「あぁ、いいよ、何だったら、この筆持って行ってもいいけど。」

 

「それはちょっとできないです。警察に任せます。」

 

「分かったよ。戻すのもなんだから、私が持ってていいかい。きれいな入れ物に入れなおしておくよ。」

 

「そうしてくれると、有難いです。」

 

「春山堂さんでしたね。」

 

 美紀子は財布から、名刺を差し出した。

 

「ほとんど使わないから、折れちゃってるけど。ここに来てもらったらいいわ。」

 

「いえいえ、十分です。」

 

「なんだか、偶然とはいえ、里香さんが教えてくれたみたいだね。ここに花香がいるよって。」

 

「春日さん、私もそう思うわ。この桜の木と大岩は、里香さんと花香ちゃんは良く遊んだところだからね。」

 

「ねぇ、見て。この桜の木、もう朽ちてるんでしょ。でも、ほら、若そうな枝が横から出てない?」

 

 桜の木の根元をよく見ると、小さな枝に若い芽が出てるのが分かった。

 

「亀田さん、よくわかったね。ほんとだ、これ、ひこばえって言うやつだよ。」

 

「河西さん、何ですか、そのヒコ何とかって。」

 

「太い幹に対して孫という事で孫生えと言う説もあるが、朽ちたり、伐採したあとの木などの根元から新芽が出てくるやつだ。桜、咲くかもしれないよ。」

 

 河西は、その幼い芽をカメラに収めた。

 

「これが咲いたらすごいわ。なんか、牧野さんたち家族が、何か訴えてるように思えるね。」

 

「そうなるといいね。」

 

 美紀子の言葉に、正子も、そう言って大きく頷いた。

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