第12話 偶然か必然か…。

「久しぶり~、元気だったぁ?」

 

 奈美は、喫茶店フルールの前で、駅から出てきた安藤博美に大きく手を振った。

 

 奈美は、博美が、いくらか、ふっくらとしたように感じた。

 

 この間の事を話したくて、半年を待たずに、奈美が二人に声を掛けたのだった。

 

「この喫茶店やってて良かったわね。奈美さん、高野さんは?」

 

「少し遅れるって。ほら、奥さんと揉めてるでしょ。その関係で書類を出してから来るって連絡あったわ。」

 

「あぁ、そうだったわね。上手く行くといいけど。」

 

「いらっしゃいませ。」

 

「マスター、ありがとう。またここへ来れたわ。」

 

「あなたたちと約束しましたからね。頑張ってますよ。」

 

 珈琲の薫りと初老のマスターの穏やかな口調が、奈美たちを心地良い気分にさせてくれた。

 

 二人は珈琲を注文し、高野を待った。

 

「博美さん、お母さんはあれからどんな感じなの?」

 

「うん、今ね、家で看てる。もうあれかな。意識がだいぶ落ちてきてるし、ぼーっとしてきたのよ。」

 

「えっ、そうなの?ここに来て大丈夫だった?」

 

「それは大丈夫。母の知り合いというか、亡くなった私の彼の直哉のお母さんの美津子さんに看てもらっているの。家で看るのは、母の強い希望でもあったんだけど、美津子さんの意見もあったのよ。」

 

「へえ、なんか、すごい繋がりね。」

 

「そうなの。直哉が亡くなってから、私の母と美津子さんが、同級生であることが分かって、それからの付き合いなのよ。ほんとうによくしてくれるわ。学生時代は、それほど仲が良かったわけではないみたいだけど。」

 

「そうなんだ。住み慣れた家で最期か…。そうよね。理想だけど、決断にはなかなか勇気がいる事ね。」

 

「そう、最初は怖かったけど、何とかやってる。それでね、その美津子さんが話してくれた事があるの。実は、直哉がね、指輪を買ってたみたいって。」

 

「みたいって?」

 

「直哉が見つかった時には持ってなかったのよ。お店の人は、渡したはずだって。事故の日だったの。指輪を渡したって日は。警察が言うには、どこ探しても見つからないから、あのドタバタの中で誰かに盗られたんじゃないかって。」

 

「そんなひどい!」

 

 奈美は思わず、珈琲カップを音を立ててテーブルに置いた。

 

「どこにも、無かったってことは、残念だけど、そうみたいね。」

 

「という事は、プロポーズする予定だったんだ。」

 

 奈美は、おしぼりでテーブルに撥ねた珈琲の雫を拭きながらそう聞いた。

 

「…。」

 

「あ、ごめん、辛い事聞いたね。」

 

「うん、大丈夫よ。指輪は諦めてるけど、直哉の気持ち考えるとね…。」

 

「愛してたのね。」

 

「うん。」

 

 博美はうつむき鼻をすすりながら、頷いた。

 

 ドアベルの音に、奈美が反応した。

 

「あ、高野さん。こっちよ。」

 

「どうしたの。なんか声かけづらくて。」

 

 高野は、ポロシャツにジャケットというラフな格好で入ってきた。

 

 奈美は、博美から聞いた直哉の事を話した。

 

「そうか、それはキツイな。」

 

 

「ありがとう。でももう大丈夫よ。思い出せば泣いちゃうけど。前は向いているから。」

 

 博美は顔をあげ、まだ赤くさせた鼻と目で、笑顔を見せた。

 

 マスターが珈琲を運んできた。

 

「いらっしゃいませ。」

 

「すみません、紅茶お願いします。」

 

「高野さんって、紅茶派だったの?」

 

「いえ、今日、珈琲ばかりで。」

 

「畏まりました。」

 

「高野さん、今日は、日曜日のお父さんって感じね。」

 

 

「はは、そうか、休みはこんなもんだよ。水口さんは面白い人だね。」

 

「そう?似合ってるわよ。で、奥さんとはどうなってるの?」

 

「まさに、今、闘っているよ。」

 

「大変ねぇ。お母さんは確か、入院してるんだっけ?」

 

「そうなんだ。まあ、徐々にだね。食べれなくなって、今は点滴で持ってるってとこ。」

 

「博美さんのところね、お母さんを自宅で看てるんだって。」

 

「へえ、大したもんだね。」

 

 博美は、勝手に自分の事を話す奈美に驚きながらも、話の流れに乗った。

 

「母に懇願されたのよ。今まで、親孝行なんて、何にもしてこなかったから、最期くらいはって。たくさん考えて考えて出した決断よ。苦しそうな時もあるけど、母の穏やかな顔みてると良かったのかなって。病院にいる時の方がしんどそうだったし。」

 

「私は、それは、考えなかったな。母は、何しろ家を出たら帰り道分からなくなってたりで、認知症が進んでたし、家で看る事は無理だったからね。施設に入れて、今は肺炎で入院。そのダメージが尾を引いててね。主治医からは、もう覚悟が必要だって言われてる。」

 

「みんな、大変なのね。」

 

 高野は、吹っ切れたように話を続けた。

 

「それで、母がそんな状態だし、何かあったら見てって、母が言ってた書類を、実家で見てて見つけたものがあったんだよ。母の日記と、借金の保証人になった書類をね。人の借金の保証人になって、その返済のために、時化でも漁に出てたってことが分かったんだ。それで、近所の親父の同僚だった人に聞いてみたんだ。借金して逃げて行ったのは、若い医師だったそうだよ。とても漁師なんて務まりそうもないガリガリな青年だったそうだ。青年が逃げて行ってから、親父は何の文句も言わずに、働いて働いて死んでしまった。これ見た時、許せないと思ったよ。親父に墓の前で土下座させてやるって。」

 

「でも漁師と若いお医者さんって結びつかないけど。」

 

「奈美さん、そこじゃないでしょ。借金の保証人になったせいで、危険を冒してまで漁に出なくては行けなかったお父さんが、あまりにも酷だわ。」

 

「博美さんありがとう。確かに、漁師と医師なんて、どう繋がるんだって思ったよ。なんでも、親に言われて医師の免許を取ったばかりだけど、仕事が嫌で、興味があった漁師になりたいと親父のところへ来たらしいよ。」

 

「何それ、お坊ちゃまの単なる我が儘なんじゃない。それで、借金返さずに逃げたってこと?どこまで悪人なのよ。」

 

 博美も熱くなっていた。

 

「そうなんだよね。親父も人が良すぎたんだよ。」

 

「それで、犯人探すの?」

 

 奈美だけは冷静だ。ある意味、冷却剤の役割を果たしていた。

 

「でも、情報が無さすぎるよ。45年も前だよ。その医者が生きてたとしても70歳はいってる。顔貌も変わっているだろうしな。」

 

「そうかあ、医者が嫌だっていうなら、医者はやってないかもね。」

 

「奈美さん、そんな人が医者だったら、許せないわね。」

 

「それで、この前言ってたお墓参りには行ったの?」

 

「水口さんって、急に話題変えてくるね。墓参りは行って来たよ。これでもかってくらい謝ってきた。」

 

「それなら、許してくれるかもね。」

 

「それはそうと、奈美さんはどうなの?また、診療所来ることになるって。」

 

 奈美のペースに負けまいと、博美が今度は話を振った。

 

「まだ、行ってないよ。どういう事で、行くことになるのかが分からないし。」

 

「ご両親が、二人いるって言ってたけど、何か分かったの?」

 

「ううん、結局、分からないわ。」

 

 奈美は、これまで得た情報と、さくら商店街で、華から聞いた話を語った。

 

「そこまで、記憶と一致してる事が多いのに、奈美さんの名前が、違うなんてありえないわ。でもリカさんを襲った人物がいるのは確実でしょ。亡くなった原因は分からないけど。花香ちゃんの行方も分からない。謎だらけね。リカさんにお姉さんがいたのね。しかも、奈美さんに似てるって。状況証拠ってやつは、奈美さんは花香ちゃん。でも物的証拠は完全にそれを否定しているのね。」

 

「だから、もうお手上げよ。それにしても博美さん、刑事みたいね。」

 

「そう?ありがと。」

 

 博美は、得意げに返事をした後、急に、声を潜めて話出した。

 

 他の2人も、その博美の息に少し色が付いた程度の小声を聴こうと、頭を寄せた。

 

「それと、あのね、ちょっと言おうかどうしようか迷ったんだけど、あの灯しや診療所にいたおじいちゃん先生によく似た人が、うちの病院にいるのよ。これって個人情報になるから、言ってはいけない事なんだけど。よく似てるの。行き倒れで運ばれて、入院してから意識が低下して、そのまま何年も経つらしいの。名前も仮名で誰かはわかないけど。目を閉じてる状態だし、違うかもしれないけど。」

 

「そっか、博美さん、看護助手だったわね。その人、個室なの?」

 

「そうよ。どうして?」

 

「写真ってわけにはいかないわよね。」

 

「そんなことしてバレたら、クビよ。」

 

 博美は声をあげそうになるのを、抑えた。

 

「そうよね。絵は?似顔絵。」

 

「無理。絵心なんてないし。」

 

「いい方法があるよ。検査に行くときに、ストレッチャーで搬送すると思うんだ。それで、面会人を装えば見れるんじゃないかな。ほら、前もって検査の予定って分かると思うんだ。」

 

「意外に高野さんってけっこう悪なのねぇ。でも、それいいね。」

 

「まぁ、ちょっと楽しんでるかも。」

 

「なんか、高野さん、最初の時とは別人ね。」

 

 高野の照れ笑いを、奈美はからかった。

 

「でも、気が引けるな。ほんとに、似てるだけなんだけど。」

 

「でも博美さん、聞いて。もし、その人が、あの医者だったとしたら、あの不思議な現象が何かわかるかも。なんか、引っかかってるのよ。」

 

「そりゃ、あの変なあやかしみたいな体験は、変だと思うけど、現に私、意識が変わったもの。別に、それはそれで追及しなくても。」

 

「自分も、色々な事を思い出して、忘れ物がたくさんあった事に気づかされたよ。今、自分がやらなければならない事を導いてくれた。あの医者がくれた処方箋は、正しかったと思う。」

 

「それは、分かるのよ。ただ、この3人が集められたのは偶然なのかなっと思って。今、二人の話を聞いてて思ったの。それぞれ、許せない人物が出てきたじゃない。あの診療所行く前に、それが分かったとしても、もうどうでもいいって思ったと思うの。でも、今、許せないでしょ。」

 

「でも、それだけで偶然って無理があるんじゃない?」

 

「それはそうなんだけど、私たち3人が意図的に集められた気がして。他にこんな話、誰からも聞いた事ないでしょ。灯しや診療所なんて初めて聞いたわ。あんな体験なら、すぐに広まりそうだもの。だから、あの先生に似ている人が、実在する人物なら、何か分かるんじゃない?」

 

「だって、あの赤野さんだっけ?以前に10年も帰らずに老けちゃった人がいたって。私たちだけじゃないんじゃない?」

 

「でも、その人だけでしょ。リアルに体験させるための嘘かもしれないし。」

 

 

「奈美さんがそこまで言うなら。分かったわ。検査の予定確認して、メールするわ。高野さんも来ます?」

 

「そうだな、一人よりは2人で確認したほうが、信憑性が増すでしょ。」

 

 潜めた声が、気が付かないうちにマスターに聴こえていたらしい。

 

「あの、ちょっとよろしいでしょうか。」

 

「はい、ごめんなさい、うるさかったですか?」

 

「いえ、気になるお話だったので、耳に入ってしまったものですから。」

 

「何がですか?」

 

 奈美は思わず、口調を強めた。

 

「すみません。以前にも、灯しや診療所の事を尋ねられた男性がいたものですから。」

 

「えっ、それで、マスターは何て答えたのですか?」

 

「存じ上げませんとお答えしました。あと、電車があったとかも。」

 

「そうなんです。私たち、電車に乗ったんです。」

 

「そうですか、不思議な事もあるんですね。確かに、電車はありました。でも、50年も前に廃線になってますよ。その跡が今でもありますが。」

 

「駅舎もないんですか?」

 

「無いですね。ただの草むらになってますね。」

 

 三人は、驚いて顔を見合わせた。

 

「狐に化かされたのかしらね。私たち。」

 

 この怪しい体験を、頭の奥のどこかでは、異世界転移でも起こったのかと思っていたが、それを突き詰める怖さもあり、高野と博美は、そこは触れないように流していたのだった。

 そのあやかし的な体験を、奈美が現実として追及をしようと始めたところに、マスターのこの話である。

 

 三人の頭の中は混乱を極めていた。

 

「と、とりあえず、ほら、今言ってた事、確かめてみよう。」

 

 高野が、話を戻した。

 

「そうだね。マスター情報ありがとう。」

 

 奈美も、細かくうなずき同意した。

 

「余計に混乱させてしまったようですね。失礼しました。」

 

 マスターの表情を変えない穏やかな笑顔が、話の内容も加担したせいか、3人には不気味に映った。

 

「いいんです。マスター、その人、どんな人でしたか?歳取ってました?」

 

 帰りたがっている博美をよそに、奈美が質問した。

 

「そうですね、白髪で、70歳前くらいでしょうか。」

 

「ありがとうございます。もう時間だし、帰りましょうか。」

 

 高野も、ここから出る事を急いだ。

 

「またの起こしをお待ちしております。」

 

 マスターは丁寧に、お辞儀をした。

 

 フルールを出た博美は、すかさず違和感を口にした。

 

「なんか怖かった。マスターの顔、ずっと笑ってた。普通、表情って変わるでしょ。」

 

「そうだね、なんか、あのマスターも怪しくなってきた。」

 

 高野も同じ印象を持った。

 

「奈美さん、あの医者だと思ったんでしょ。」

 

「うん、でも、あのマスターも嘘ついてるかもしれないし。」

 

「もう、ここは止めとこうよ?」

 

 博美は、今にも泣きそうな表情になっていた。

 

「そうね、他、考えよう。じゃ、博美さん、検査の連絡お願いね。」

 

「そうだった。わかったわ。」

 

 奈美は、やっぱり冷静だった。

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