第11話 奈美と花香

 確かここだったわね。亀田時計店。

 

「もしかして、奈美さん?」

 

 一人の女性が、店の前に立っていた奈美に、後ろから、小声で声をかけてきた。

 

「はい、水口奈美といいます。この前、ここで、お話聞いていただきまして、あの…。」

 

「母ですね。私、娘の華です。ここでもなんなんで、上がってくださいな。」

 

 華は、背中で眠っている3歳くらいの女の子を、起こさないように上り框を、そっと上がった。

 

「かあさん、奈美さん来たわよ。」

 

「あら、ようこそ。2か月くらい前だったっけ?元気だったかい。」

 

「そうですね。それくらいです。連絡ありがとうございます。」

 

「いえね、私もあなたの話が気になっててね。あれから娘にすぐ連絡したんだよ。」

 

「そうなのよ。母から連絡もらった時は、なんだか要領得なくて。でも自分も昔から、あの家族の事が気になってたから、奈美さんに会ってみたいと思ったの。」

 

 奈美は座卓のある居間に案内され、華と向かい合って座った。

 

 華は、女の子をそっと座布団の上に載せ、毛布を掛けた。

 

「可愛いお子さんですね。良く寝てる。お名前はなんて言うんですか?」

 

「ありがとう。結衣って言うんです。」

 

「同い年なのに、もうあ母さんなんて、すごいな。」

 

「里香さんは、20歳でお母さんだったのよ。うちの母は、40歳で私を産んでるから、もう68歳か。早く産むことに越したことはないけど、若すぎるのもね。里香さん、旦那さんもいなかったし、大変だったと思うよ。親になって、それがよく分かるわ。歳取ってからでも、身体がきついみたいだけどね。」

 

 と母の正子に向けて声をかけた。

 

「そうだよ、保育園の運動会、40過ぎの身体にはきつかったねぇ。父さんも、普段運動してなかったからね、夫婦で、翌日湿布の貼り合いしてたよ。」

 

 正子は、お盆を手にお茶を運びながら、そう言った。

 

「やっぱり体力も無いといけないんだ。こんな小さな命を育てるなんて、想像もつかないわ。」

 

「みんな、最初はそうよ。でも、子供がお母さんにしてくれるのよ。」

 

 華は結衣を愛おしそうに眺めながら言った。

 

「そんなもんかな。親との運動会の記憶がなくて、どうだったのかな。小学校から、何となく覚えてるんだけど。そもそも保育園自体の記憶がない。」

 

 華は、お茶を口にしてから奈美の方に視線を向け、本題に切り替えた。

 

「それで、母から聞いた話だと、向かいの駄菓子屋さんの里香さんが襲われたときの娘さんかもしれないけど、戸籍は違うってことよね。」

 

「そうなんです。自分の記憶の中は、確かに、私が三輪車に乗っていて、男の人が、私を無理やり降ろして、三輪車が投げられて、お母さんがかばってくれて…っていうのが、記憶にあるんです。リカって言う名前も。でも実際は、戸籍にある母の名前は違うし、養子でもなさそうだし。自分の名前も、このまえ聞いた、花香ではない。」

 

「なるほどね。そこまでの記憶があるのに、不思議な話ね。もしかしたら小さい頃に、花香ちゃんかもしれない奈美さんと一緒に遊んだ事があるかもしれないのね。なんだか、ややこしい話だけど。ねえ、あの桜の木の隣の岩で遊んだことは覚えている?」

 

「華さんと遊んだかは分からないけど、あの岩に登って、ミイばあちゃんに怒られたこととは、今でも覚えてるんです。」

 

「『ミイばあちゃん』花香ちゃんが、そう呼んでたの、微かに覚えてるわ。そうだ、里香ちゃんにお姉さんがいた事は知ってる?」

 

「えっ、お姉さんがいたんですか?それは覚えてないです。お母さんのお姉さんだから、おばさんになる人?」

 

「そうね、奈美さんの記憶の通りだと、そうなるわね。美香さんという名前だったわ。」

 

「今、どこにいるんですか?」

 

「それは分からないわね。里香さんが25歳くらいかな、亡くなったの。20歳くらいで花香ちゃんを産んでるの。お姉さんは3つくらい上だと思うのよ。きれいな人だったから、憧れのお姉さんって感じね。里香さんが亡くなる前には、もう、この商店街にはいなかったわ。頭が良くて、医者になるとか聞いた事あるわ。大学は東京だったはずだけど。それ以外は、ちょっと分からないわね。」

 

「お姉さんがいたなんて知らなかったわ。」

 

 華は奈美をじっと見つめて言った。

 

「あのね、奈美さん。こうやって、奈美さんを見ているとね、あなた、お姉さんの美香さんに似てると思うのよ。そうだ、ちょっと待ってて。写真があるかも。たしか、お祭りの時だったと思うんだけど、写真撮ったのがあったと思うの。」

 

 華は、足音を立てないように静かに立ち上がった。

 

「奈美さん、華に、この話した時、訳が分からないって言いながらも、奈美さんに会いたいって。なんか、だんだんあの子も生気が戻ってきたみたいね。ちょっとね、最近元気なかったのよ。」

 

「そうなんですか、私、無理言ってしまったかと思ってたんですが。」

 

「気にしないで良さそうよ。」

 

 正子は、ニコッと笑顔を見せ、華の後ろ姿を見ながらそう言った。

 

 華はアルバムを一冊持ってきて、座卓に上に広げ、その中の一枚を指した。

 

「これ見て。」

 

 そこには、女性が二人と、その前で法被を着てハチマキをした女の子が二人写っていた。

 

「赤い法被の子が、花香ちゃん、青いのは私。後ろの、ボブの人が里香さん、背の高い方が美香さん。ほら、美香さんの方に似てない?」

 

「そう言われてみれば…。自分かもしれないって、見てるからかもしれないけど。」

 

「なんだか、こうやって、話していると、奈美さんが、やっぱり花香ちゃんに思えてくるわね。」

 

「記憶と、実際が違うなんて気持ちが悪くて。」

 

「ほんとに嫌な気持ちね。奈美さんが、こうやって調べてるという事は、お母さんからは何にも聞いてないのね。」

 

「えぇ、一言も。ずっと母親だったし、父もずっと父だった。戸籍上でも、里香という名前は無かったし、養子という事でもない。母の実子として、今の父の戸籍に入籍という事になってたの。母子手帳もあるし。」

 

「それもあるけど、奈美さんは、奈美という名前なんでしょ。それ以上の証明は無いんじゃ。」

 

「そうなんだけど…。」

 

「母さん、奈美さんがこんなに悩んでるのに、そんなにサラって言わないでよ。里香さんが亡くなった時も花香ちゃんは見つかってないし…。ね、遺伝子検査は?あ、でも、本人の同意がいるわね。」

 

「親子の証明ってこと?そんな事考えてもみなかったわ。」

 

「普通、そうよね。そんな事まではね。お姉さんの美香さんが見つかれば、何か知ってるか聞けるのにね。何らかの事情で、水口さんの家で育てられたのかも。母子手帳とか、戸籍の事実のことは、どう考えていいのかは分からないけどね。」

 

「そうなのよ。ここで、華さんの話と写真を見て、ますます、自分が花香かもという気持ちがしてきました。まぁ、絶対的な戸籍という壁があるけど。」

 

「私も、美香さんについて、友達にでも聞いてみるわ。何か分かったら連絡するね。」

 

 華は、また奈美に顔をじっと見た。

 

「奈美さん、やっぱり、あなた花香ちゃんよ。何の根拠もないけど。ずっと前から知っる気がするのよ。」

 

「わたしも、初めてではない気がする。華さん。私、思い切って、母に聞いてみようかと思って。どんな反応するか、分からないけど。」

 

「でも気を付けて。話さないってことは、それなりの事情があるって事だから。なんか危険な臭いがする…。」

 

 ここへ来て良かった…。

 

 しかし、これからの得体のしれない未知の不安は、まだ、奈美の心を支配していた。

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