第5話  水口奈美の処方箋

 奈美の腕には、桜の花が刻まれた。

 

 2人が降りた後、赤野は、水口奈美に言った。

 

「水口奈美さん、あなただけ、追加処方がありまして。」

 

「追加処方…ですか。」

 

「はい、実は、あなたは、また、ここを訪れる事になるのです。」

 

「えっ、何でですか?また悩みが出来るという事ですか?」

 

「今から、見る夢に、何かしらのヒントを教えてくれます。あなた自身で見つけなければならない為、私からは何も言えないのです。」

 

「はあ、よくわかりませんが、意識はしてみますけど。」

 

 ただでさえこの状況が呑み込めない奈美は、それ以上の得体のしれない複雑さを整理する余裕は無かった。

 

「お願いします。では、間もなく着きます。良い夢を。」

 

 

 赤野に見送られ、奈美はバスを降りた。

 

 何なんだろうな。追加処方って、訳が分からない。

 

 「おぉ、バス、吸い込まれた。すごい。夢の中でも感動するわ。」

 

 徐々に、奈美の目の前に景色が現れた。

 

 昭和感満載の商店街。

 

 さっきのバスの外の渦巻きといい、吸い込まれたバスに、この景色。タイムスリップでしょ。これは。

 

 ピンクの公衆電話?ここって、おばあちゃんとこ?

 

 小さい頃に、母親に連れられてきたことがある。でもそんなに来てないのに。

 なんでだろ。

 

 たしか、ばあちゃん、この商店街で、駄菓子屋をしてたはず。

 

「あ、ここだ。」

 

 そこは京町家のように間口が狭く、奥行きが長い家屋である。一番手前で駄菓子屋をしており、店の奥の、高めの上り框を上がったところに居間がある。ここで、祖父母がごはんを食べたり、テレビを見ているおばあちゃんの姿をよく見ていた。

 2階では、よく祖父が、窓からうちわを仰ぎながら、店の前を通りがかった知り合いと、よく話をしていた姿を思い出す。

 

 そうだ夏に来たんだ。

 

 店の前にいると、祖母が出てきた。

 

「あら、そんなとこ突っ立てないで、お入りよ。」

 

「ミイばあちゃん、大人になった私がわかるの?」

 

「何言ってんだい、あんたの夢に呼び出されたんだよ。まぁ大きくなって。早いもんだね。」

 

 そうなんだ。この仕組み、まだよくわかんないや。

 

「じいさんもいるよ。」

 

「タカじいちゃんも?」

 

「よう来たな。てか、自分らが、来たんだったな。」

 

「タカじいちゃん、私、この家にお母さんと来てたの?あんまり、ここでのお母さんの姿が記憶がないんだけど。」

 

「お母さんと来てたさ。今のお母さんとは違うお母さんだよ。」

 

「どういうこと?」

 

「やっぱり、覚えてないか?」

 

「奈美にはね、お母さんが2人いるんだよ。」

 

「えっ、知らなかった。」

 

「覚えてないだけさ。」

 

「この家に、奈美を連れて来てたのは、私たちの娘だよ。」

 

「だから…お母さん…ここに来てた時のお母さんと、家にいた時のお母さんのイメージが違うとは思っていたけど…。」

 

「うっすら記憶にあるんだね。この人形は覚えてる?」

 

「リカちゃん人形…そうだお母さんと同じ名前だって。」

 

「お母さん、リカって名前だったんだ。」

 

「そう、奈美のお母さんは、私たちの娘の里香だよ。」

 

「じゃ、お母さんはどこ行ったの?」

 

「ばあさん、どうする?」

 

「まあ、いつかは思いだす事だよ。」

 

「何?え、怖い…。」

 

 祖母が店の前に出て、奈美を呼んだ。

 

「奈美、この三輪車覚えているか?」

 

「ミイおばあちゃん、これ私が乗ってたの?」

 

「そうだよ。じいさんが買ってあげたんだよ。里香の家では、何も買ってもらえなかったからね。ここで、遊ばせてたんだ。」

 

「うち、貧乏だったの?」

 

「そうかもね。三輪車、乗ってごらん。」

 

「やだ、いくらなんでも小さくて無理よ。」

 

「大丈夫、乗れるから。ここは夢の中だよ。」

 

 奈美はしゃがむように三輪車のサドルにお尻をつけた。

 

「あれ、私、小さくなった?なんか、ちょうどいいんだけど。でも、うわ、タイヤが曲がってる。ハンドルも。これじゃ乗れないわ。」

 

「あの時も、こうやって乗って、遊んでたんだよ。」

 

「うん、ミイばあちゃんに、見て、見てって、店の前を行ったり来たりしてた…。誰?

 誰か来た。そうだ、私、無理やり降ろされたんだ。誰かわかんないど、男の人に。三輪車を道に投げつけてる。なんか怒ってる。」

 

「ちょっと思い出したね。」

 

「うん、私が大泣きしてて、殴られそうになった。でも、お母さんが…お母さんが…私を包んでくれて、何度も、ウって唸って…倒れた。ミイばあちゃんの「里香!」って声が聴こえたんだ。あとは、あとは、すごい騒ぎになって、パトカーのサイレンとかすごくなって…」

 

「お母さん…倒れて、どうなったの?」

 

 奈美は、答えを待たずに泣きそうだった。

 

「死んだんだよ。たぶん。」

 

「そうだったんだ…。何で?お父さんは?」

 

 奈美は叫び声に近い声で聞いた。

 

「お父さんは分からない。」

 

「私は、親がいない子だったんだ…。」

 

「奈美、お茶でも飲んで落ち着こうか。」

 

 店の奥の居間に上がって、話の続けた。

 

「でもね、今のお母さんは、子供がいなかった里香の友人だよ。奈美を引き取って育ててくれたんだ。」

 

「ほんとの子供じゃなかったからなんだ。だから、冷たいんだ。」

 

「そんな事ないでしょ。」

 

「だって、いつも、妹ばかり…。歳の離れた妹がいたのよ。母は再婚して連れて行ったから。私はスッキリしたけどね。」

 

「他人の子であっても、子供を育てるのは大変なことだよ。本当の親でも、上手く行かない事が多いじゃないか。奈美は幸せだよ。」

 

「でもなんか、悶々する。」

 

「しょうがない子だねぇ。」

 

「私、戻って、事件調べてみる。誰にお母さんが襲われたのか、なんで、私が今の水口家に引き取られたのか。保護施設でも良かったじゃない。」

 

「奈美。」

 

「あ、お母さん?」

 

「里香じゃないか。お前も呼ばれたのか?」

 

「違うわ。私が勝手に出てきてるの。処方箋には、私は無かったけど。ちょっと奈美の記憶違いがあるから。」

 

「お母さんの顔、少し覚えている。今、思い出してきた。でも記憶違うって?」

 

「覚えていてくれて良かった。嬉しいわ。そう、お母さん、すぐには死んでないの。入院して一旦、良くなったけど、あなたを育てられなくて。」

 

「そうなの?でも一旦って。また悪くなったの?」

 

「そうね。それ以上は言えないのよ。この夢の中のルールなの。あくまでもあなたの記憶の中から、引きだしているから。入院した時、お見舞いに来てくれてたのよ。でも、私の腫れた顔みて、奈美、泣いてたわね。知らないおばちゃんだと思ったみたい。」

 

「全然覚えてない…。」

 

「だから、教えなきゃと思って。あなたが犯人捜しをするんじゃないかと。」

 

「でも、なんで死んだの?いつ死んだの?」

 

「そこまでは、言えないわ。いずれ分かる。」

 

「奈美、練炭見つめてる場合じゃないな。疑問がいっぱいだ。」

 

「タカじいちゃん、そんなことも知って…そっか、私の記憶だった。そうね、なんかバカバカしくなってきた。そんなことより、自分の事なのに、何にも知らなかった?じゃなくて覚えてなかった。」

 

「あなたは、集中すると周りが見えなくなるのよ。一つの事に永遠とこだわってね。奈美が大事にしてた毛布があったと思うんだけど。もうないかな。」

 

「知ってる。ピンクのでしょ。ボロボロになって、私、自分で縫いながら使ってたんだけど、今のお母さんに、汚いって捨てられちゃった。肌ざわりと匂いが好きだったのに。」

 

「そうね、お母さんでも、そうしたわね、きっと。そうやって、大人になってくのよ。一つの事にこだわることも大事だけど、もっと周りを見てね。」

 

「でも、私が喋ると、みんなバカにして笑うし、怒るし。何でなのか分からなくて。私変なのかな。って。」

 

「奈美は変じゃないわよ。ちょっと個性が強いかな。でも、動物には優しいし、頭もいいわ。誰も教えてくれる人がいなかったのね。」

 

「だから、生きるのが嫌になる事があるのよ。」

 

「そうね。まだ、自分の事を分かってないのね。」

 

「自分の事、調べてみるわ。お母さん、ありがとう。なんか、目標が出来ただけでも、楽になったよ。」

 

「ただ、深く自分の事を知ると、苦しくなることも覚悟してね。それを受け入れた時に初めて、奈美が引きずってる心の錘が軽くなると思うわ。」

 

「なんか、まだ、私が知らないことがあるんだね。わかった。怖いけど、向き合うよ。」

 

「もう、私の役目は終わりね。無理言って出してもらったけど、良かったわ。じゃ、これ持ってって。」

 

「桜の枝じゃない?持ってきて大丈夫なの?」

 

「この家の裏に桜の木があったのよ。これ、まだ蕾だけど。今もあると思うわよ。腕の桜も咲いてるんじゃない?」

 

 

 奈美は腕を見た。

 

「ほんとだ。さっき枝なんて無かったけど。枝まで色がついてる。」

 

「私が出たからおまけかな。薄いピンクだけど、大丈夫ね。」

 

「奈美、三輪車についてるミラー見てみて。」

 

「ミイばあちゃん、このちっちゃい鏡を見るの?」

 

 奈美は歪んだ鏡に自分の顔を映した。

 

「ちょっと若くなってるかな。でも歪んでるし、良く見えないわ。さっきね。ミイばあちゃんより、おばあちゃんだったのよ。私の顔。」

 

「あら、そうかい。見たかったね。」

 

「もっと、ここに、いたかったな。でも、また来るかもって言ってたから。という事は、まだ、終わってないってこと?」

 

 あれ、みんな消えちゃった。別れも惜しませてくれないなんて。あの医者ひどいよ。

 

 奈美はバス停に戻った。

 

 桜の蕾が花開いたのを見届けた奈美が目を覚ました。

 

「奈美さん!」

 

「あ、ここ電車の中だ。」

 

「良かった。苦しそうだったから。この男性が一番先に、戻ってきたみたい。」

 

「そうなんだ。でも不思議な体験だったな。」

 

 安藤博美は二人に提案した。

 

「ねえ、三人で、ちょっと話してかない。林の中入ってくる前の駅前に小さな喫茶店があったじゃない?」

 

「そうだね、こんな事、だれも分かってはくれないだろうからな。」

 

「奈美さんもいい?」

 

「良いよ。時間もそんなに経ってないし。他の人に話してはダメって言われてないから、話合いましょ。夢ってすぐ忘れちゃいそうだから、記憶がまだあるうちにね。」

 

「あ、お金払ってないね。」

 

「ほんとだ。」

 

 三人は顔を見合わせて笑った。

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