第5話 ババアの胸で泣きな!

「何よこれ、ひどいじゃない……」


 ジルエットはエルフの森の半壊したアーチの前に近づき、改めて膝から崩れ落ちた。

 ひどいなんてもんじゃないよ。

 見てわかるのは、何か巨大な生き物がここを通り過ぎたって事。

 這いずりながらまっすぐに進んでいる。

 地面はその生き物の体の重さでえぐれている。

 そして。


 えぐれた道は血と肉で汚れていた。ひきずり殺されたエルフたちの残骸で。


「うぶっ……」


 ジルエットはその血だまりの中身を見てしまったんだろうね。

 口を押えて吐き気をこらえているよ。

 かわいそうに。

 まあ、もっとかわいそうなのは大きなモンスターに抵抗虚しく轢き殺されてしまったエルフたちかねえ。

 ここを通り過ぎたモンスターは轢き殺したエルフにも構うことなくまっすぐに突き進んでいったみたいだ。

 押しつぶされた樹木の方向から察するに、でかいモンスターはエルフの森の中にまっすぐ進んでいったみたいだねぇ。

 恐ろしいよォ。


「ジルエット、一刻も早くギルドに帰って報告したほうが良さそうだね」

「ぅ……」


 ジルエットは震えてまともにしゃべれないみたいだね。

 目を見開いたまま涙を垂れ流して視線を宙に泳がせているよ。


「ほら、立てるかい? 足に力を入れて、ゆっくり……」


 アタシが支えながら、ジルエットはようやく立ち上がった。

 まだ膝が震えているけれど、一応大丈夫みたいだね。


「見たところ、これはほんのついさっき起きた事件みたいだね。まだ息があるのもいるみたいだし」

「まだ生きてる人がいるの!? た、助けなきゃ」

「無駄だよ。体が半分ちぎれちまってるんだ。助からないよ」

「そんなの、やってみなきゃ」

「……苦しみが長引くだけだよ。どうしてもって言うなら止めを刺してやることだね。苦しみが早く終わる様に」

「そんな……」


 ジルエットの目には悲しみと怒りが静かに燃え上っている。

 これが普通の反応だよねえ。

 アタシは無駄に長生きして人との死に別れが多くて、麻痺しちまったのかもしれないね。


「ゆるせない……ッ!」


 ジルエットの中では悲しみや恐怖よりも怒りが勝ったみたいだね。

 もう涙はこぼしていない。鋭い目つきは血の道の先をじっと睨みつけている。

 膝が震えているのは武者震いってやつだろうね。

 魔法の杖を握りしめて、ジルエットは、やるつもりだね。


「バイル……私……」

「気持ちはわかるよ、ジルエット。でも、見誤っちゃいけないよ」

「でも……」

「こんな事をするやつに、どうやって勝つつもりだい? エルフが何人がかりでも屁とも思わない奴だろうよ」

「でも……!」

「ジルエット、ここで死んだ奴にアンタの知り合いでもいたのかい? 見ず知らずの奴のかたきを討つために命をかけるのかい?」

「わかってる! わかってるわよォ! エルフなんて無関係。でも、私、許せないのよ!」


 抱きしめる。

 ジルエットの激情をなだめるには時間がかかりそうだけど、アタシについてきたばっかりにこの子を危険に晒せるわけがないんだよ。


「ジルエット、正義感が強くて、優しい子だねぇ」

「離して、バイル! 私、行かなきゃ!」

「よしよし。わかってるよ、アタシも行くよ。でも、アンタが落ち着いてからね」

「……!」


 興奮して正常な判断ができない状態の子を行かせるわけにはいかないんだよ。

 アタシは腕の中でもがくジルエットの頭を撫でながら天を仰いだ。

 ハァ、ついて行ってやるしかないのかねぇ。

 エルフたちの抵抗をものともしないバケモノに低ランクのアタシたちがどう立ち向かえって言うのか。

 ジルエットが落ち着くまで考える時間だけはありそうだから、アタシはこれからどうするかだけを考えることにしたよ。



 ***


「落ち着いたかい?」

「……」

「落ち着いたかい?」

「落ち着いたわよ」

「ならよし」


 アタシはジルエットを解放する。

 ジルエットはゆっくり後ずさって目の下の乾いた涙の痕を今更拭った。


「モンスターとの戦闘は避ける。生きている、助けられそうなエルフがいたら、手当をしてギルドまで連れていく。いいね?」

「……わかったわ」

「うんうん、物分かりが良い子は好きだよ」

「……ハァ。あんたってほんといつも変わらないわね」

「だろう? アタシゃそれだけが得意なんだ」


 苦笑するジルエットを見て大丈夫そうだと思ったアタシは、ジルエットがまた何かを見て駆けださないようにしっかりと手を握ってジルエットと並んで歩き始めた。

 左手にジルエット。右側にはモンスターが這った血の道。

 エルフの森の入口になっているアーチをくぐってもアタシたちを追い回すエルフは現れなかった。きっと今ごろモンスターの下敷きになって血と肉の塊になっていることだろうよ。


「あーあ、エルフの森に入っちまったねぇ。何と引き換えだっけ?」

「……持ち物と装備品、でしょ」

「ハァ~、失敗したねぇ。入る前に身に付けてるモン全部置いて来れば良かったよ」

「……憲兵に突き出すわよ」


 ここを通り過ぎたモンスターが強引に作っただろう森のトンネルを進んでいく。

 血の道は相変わらずまっすぐにのびて途切れないが、エルフの肉片は見当たらないようになってきた。

 エルフ総出で食い止めようとして失敗したのか、止められないとわかって逃げたのか……まぁ、後者であってほしいねぇ。

 アタシはジルエットの様子の変化にも気を配りながら、血の道の先のモンスターがどんなものか見てみたいという気持ちにも駆られてきた。

 ヒトのことを咎められない性分だよ、まったく。


「おや、どうやら森を抜けるみたいだよ、ジルエット」

「ひらけた場所だと危ないわね……『ミスト』!」


 ジルエットは目くらましの呪文を唱えてアタシたちの周りに霧のようなベールを作った。

 これですぐに敵に見つかって不意打ちされることはなくなるはず。

 アタシたちが血の道に沿って進むと、森が途絶えて大きな広場に出た。

 たぶん、エルフの村だった所だね。

 エルフが生きていたらよそ者の人間2人にどれほど厳しい目を向けてきただろうね。

 でも、誰もアタシたちに目を向けない。

 目の前に広がっていたのは建物の残骸と血の跡。こちらを見咎めるエルフはいなかった。

 エルフの形をした何かはあったけれど、その目は虚ろに天を仰いでいたよ。


 血道の向こう、はるか遠くに動く影を見つけた。

 その影にはいくつもの細かい影がまとわりついているようにも見えた。


「バイル……」

「ああ。アレがこのエルフの村を襲ったモンスターみたいだね」


 血の道はまっすぐに伸びている。その先にある大きな影は1つだけだった。

 時折、大きな影の周りで光が舞う。きっと、戦っているのだ。ここに住んでいたエルフたちが、村を襲われてなおも抗い続けているんだね。

 しかし、影が先に進むたびに飛び交う光は消えていく。

 それはきっと戦いですらない。

 ただ通り過ぎるモンスターと、それを止められないエルフの死。

 そんな様子だった。


「恐ろしいねぇ。ありゃ勝ち目ないわ。この村のエルフ総出で倒せないなんてねぇ」

「シッ……! バイル、ちょっと黙って」

「あぁ、ごめんよ。つい軽口を叩いちまって」

「違うの。今確かに声が……」


 ジルエットは注意深く辺りを見回す。

 モンスターの血の道とエルフの死骸しかないこの場所で、弱弱しい泣き声が聞こえたのだ。


「……こっちよ、来て!」


 ジルエットはアタシの手を振りほどいて血の道に飛び込んだ。

 やれやれ。アタシはすぐにジルエットの後を追った。




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