06:今夜は260円のディナー。

 小日向ヒナが倒れた。

 とはいっても高見ヒロにとっては随分見慣れたもので、そいつはいわゆる”気絶”……白夜病罹患者としては一度は被るだろうが普通に考えてあまり望ましくないことでもある。ひと一人ベンチに運ぶことぐらいはなんてことはないが、ひと一人を抱えて化け物の街道を駆け抜けることは流石にヒロにとってはだいぶ疲れるイベントだったとため息をつく。


、なんて知らないんだろうな」


 手のかかるおひなさまだと苦笑しつつ、とっさの予感で視線を周囲に向ける。その先には深夜にも関わらず、賑やかなまま存在しない客に向かって騒音を吐くアーケードゲームの列ぐらいしか見当たらない。疲れているのだろうか、それとも本当に他の人間がいるのかは定かではないがここはひとまず気疲れだということでしておこう。あれはゲームをしている最中に感じるいないはずの観客の視線のようなものだ。

 この騒がしさの隅でも起きない小日向ヒナの豪胆さは中々なものだが、そもそも気絶してるのでどうしようもない。だがまぁ、休憩スペースのベンチに横たえた小日向ヒナをそのまま寝させておくのもどうしたものかと思ったのでイベント中羽織っていたジャンパーをかけておく。

 自身の端末を見れば、もうじきシェヘラザードの試練も終わり際。今頃最前線組はハイスコアのラストスパートにしのぎを削って戦っているに違いない。今回は中々混戦だとギルドマスターから聞いているが、それはつまり今後に控えている本戦がやばいということなのだろうなと意識が遠くなりそうになる。まぁ、こうやって自身の眠りよりもひと時の達成感に憑りつかれている自分たちのほうが十分世界から遠くなっているというべきなのだろうが。

 さて、とヒロは小日向ヒナの端末を手に取る。本来ならロックが掛かっているはずの端末だが、プレイヤー同士なら鍵をすり抜けることができることをヒロは知っていた。

 憎らしい羊のアイコンをタップし小日向ヒナのプレイヤーとしての記録を開く。真っ先に目が向いたのは所持アイテムの欄だ。


「そんな気はしてたけどなぁ」


 睡眠薬のストックは十分にあった、あったというのに気絶した。こちら側としては薬の残量はどんなずぼらでも頭に入っているものだし、小日向ヒナも気に留める程度ではあったが薬の残量は気にしていた。つまり、小日向ヒナは知っていて使わなかったんだろう。

 ここのところだいぶ精神が上がり気味だったこともあってヒロも勘付いてはいた、だがそこらは個人管理の範疇だと気が付かないふりをしたがここまでくると流石に不安になってくる。

 挙動の見えないへんなやつだとは思っていたが。

 たかがそれだけのために起きつづけられるものなのだろうか。


「ん……」


 思考に眠りそうになったと同時、そこから引き上げるように小日向ヒナが目を覚ました。図ったようなタイミングだが、彼女のことだからきっと天然でこれなのだろう。


「おはよう、良い夢見れたか」

「……誰?」

「バイトですよー、気絶したキミを担いでしぼんだ風船頭に追いかけられてここまで運んだバイトですよー」

「あぁ、ヒロか」


 気絶明け、というか寝起きというべきか。瞼がくっ付いて離れないといわんばかりの様子の小日向ヒナは、これまたのんびりながらに状況を思い出したらしく「あー……」と眠気が喋りつつ髪を掻く。


「怒ってる?」

「いや、むしろきみがそういう反応をしたことに俺はびっくりしている」

「僕のことを何だと思ってるのかなこの寄生くんは」

「八割戦闘任せた俺のほうが非があるよな、ごめんな」

「そこは別に構わないけれど……そっか」


 何か納得した顔をする小日向ヒナだったが、すぐにまた何か思い出したのか思いついたのかどこかばつが悪そうに目線を逸らす。


「……いけるかなって思っちゃったんだよね」

「薬のことか?」

「うん」


 と叱られた子供のような顔をする彼女に、ヒロはああやっぱりかと腑に落ちる気持ちと信じられないという気持ちがミキサーにかけられたような気分になってしまった。

 しかしそれを一々剥がして中身を確かめる気にもなれなかったヒロは、それ以上の理由を問う言葉を飲む。聞いても分からないという確信があったわけではないし、聞いたら小日向ヒナは彼女なりに答えを教えてくれるだろう。だが、どうしてかそれを確かめることを避けようとしている自分がいることにヒロは目を逸らそうと思った。


「まぁ、そういうこともあるよな」


 咎めもせず、勧めもせず。曖昧な相槌に小日向ヒナはまるで綿あめを噛むような雰囲気で「次は気を付けるよ」とベンチから身を起こす。気絶明けだから無理はするなといったが、大丈夫だと背伸びをされてしまった。


「お詫びといってはなんだけど、なにか奢るよ」

「いいのか?」

「うん、そんな気分なんだ」


 あぁ、しかし、どうにも分からん。

 どうしてそんなに嬉しそうなのかは、聞いてもいいものなのだろうか。

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