03:鯉と前夜祭と下駄の準備。
それは約束された幸福であるか、それは確約された感性であるか? 役割を持たぬ舞台を待ち続けたキミに問う、キミはそれら新たな物語を紡ぐことを望むか否か。望むも降りるもどちらも選ばぬものも、この音を聞くのならばキミには応える義務があり責務がある。
今宵、新たな大口を開こう。
多くの財と多くの罪、冠するその名はシェヘラザード。一千夜の物語、語られるはずだった与太話が狩りの狼煙を上げる。──集え、力ある者たちよ。魔法の洞窟、その門は既に開かれている。
さぁ今夜はどこに行こうかとスマホアプリを開いた途端、そんな文面と共に新しく開かれたページを見ては小日向ヒナはうーんと首を傾げる。この夜遊びはどうやらゲームらしくイベントごともするというのは聞いていたが、ぺらぺらページをめくる以前の問題だなと顔をしかめる。
参加資格の項目には、ギルドに属していることが条件だと書かれていたのだ。ギルド、この白夜病に悩まされる患者同士で助け合いの手を取ろうと始まった集団。大抵のプレイヤーはとりあえずギルドに属しているものだと高見ヒロが言っていたのを思う出す。だがそれでもヒナにとってはなんだか煩わしく、今だにギルドに属してはいなかった。
「ギルドイベントかぁ……」
夜の図書館前広場、既に湧いていた敵を倒しつくしたどろどろ池のふちでため息をつく。整えられた緑の芝生は枯れかけ、敵の残骸のせいかゴミが散らばっているようにも見える。朝には消えているが少々やりすぎただろうかと心遠くに図書館に謝りつつ、ヒナは黒い水面が揺れる池を眺めていた。
池には魚が泳いでいることをヒナは知っている、それも色鮮やかな鯉が沢山。沢山とはいってもすべての鯉が同じように鮮やかな鱗を持っているわけではなかったが、こうして夜になってしまえばこの街の鬱蒼とした空を水面が映す。いまや目の前に広がるのは池ではなく沼だった。
「おっと、おひなさまも流石にお祭りごとには興味ありみたいだな」
まだ夜の浅い時間であったことをいいことにコンビニへ走っていた高見ヒロが、白いビニール袋片手に小走りで戻ってくる。ヒナは池の縁から立ち上がり、街灯に照らされているベンチに席を取った。高見ヒロはいつも通り隣に場所を取りながら話を続けた。
「シェヘラザードの試練、だっけか。俺はどっちでもいいけど、どうする?」
「どうするって?」
「参加するかしないかって話」
高見ヒロは器用に片手でスマホを操作しながら問う。フリック操作できる人種なのかと、ヒナは少しばかりこの青年のことをすごいなと思った。
「試練って、楽しい?」
ヒナは質問を質問で返す。実際、ヒナにとってこういったお祭りごとは初めてのことだった。何をするのか、何がもらえるのか。何が危なくて、何が楽しいのか。そういったことを何一つ知らない。
そも眠るために戦っているのに与太話のようにイベントがあるのも不思議な話だと思ってもいたが、多分何か、それ以外のことをしたいという欲もあるのだろう。ゲームのような今をヒナは既に飲み込んでいた。そしておそらく、高見ヒロはそれ以上に。
「今回のはわりかし楽しい方だな。街のどこかに敵が固まって湧くのを狩る、狩場の取り合いにもなるから他のプレイヤーとも戦うことになるな」
「争奪戦だ」
「だな。プレイヤー戦は……何も問題なさそうだなぁお前、そこはせめて"大丈夫なのか?"とか聞く場面じゃねえの」
「きみとの邂逅はとても楽しかったよ」
「キミなぁ……」
同じ人同士で殺し合い。殺し合いとはいっても本当に殺すわけじゃなくて、戦う気がなくなるまで戦う。ゲームに呑まれたヒナにとっても、最初は少し怖いものだと思っていたが今はむしろ慣れてしまって楽しくなってしまったのも事実だ。
強くなる、とは別種の達成感と充実感。パズルを解くようなものだとヒナはいつか高見ヒロに伝えたが、高見ヒロはよく分からんと潰れた小鳥のような顔をしていたのを覚えている。
そういうことなら、とヒナは思った。しかしそれでも、ギルドに……見知らぬ人間と同じ場所に属する必要があるのにためらいを感じていた。高見ヒロ以外に知り合いがいないわけではないが、彼らと彼女らのギルドに席があるのかどうかを確かめるのも億劫に感じる。
ふ、と。
ヒナは視線を高見ヒロの横顔へと逸らす。夜がために強く照らす街灯に影として浮かぶ彼の瞳の中に、ちらちらと雪が舞っているようだった。それはスマホの強い白光を写したものだと気が付くに時間はかからなかったが、視線に気が付いた高見ヒロの目線に合わさりそうになりヒナはぼんやり視界を足もとにずらした。
「きみが、」
「?」
「きみが行くなら、僕も参加する」
「そうか、なら準備しとけよ」
消極的とも面倒くさがりとも取れる返答を、高見ヒロはアッサリ応えては思い出したようにビニール袋を漁り始める。出てきたのは缶のコーンスープと、何かのキャラクターものらしい肉まんだった。
「これ、おいしいけどコーンが底に残るんだよね」
「安心しろ、こいつはそもそもコーンが入ってないタイプだ」
「それは……コーンスープと名乗るにはクソザコなのでは……?」
缶のコーンスープを受け取り手が熱に馴染むまで弄びながら、少しばかり残念な中身にツッコミを入れる。そんなヒナが物珍しかったのか言い回しがツボにハマったのか、高見ヒロは「確かに」とけらけらしている。
「ところで一つ問題なんだが」
「何かな」
「この肉まんラスイチでな、どう分けるべきか悩みもんなんだが」
「……? 貸して?」
何かのキャラクターの顔を模しているらしい肉まんを受け取り、ヒナは真ん中に指を入れそのまま真っ二つに肉まんを割った。出来たよと片割れを高見ヒロに差し出すと、彼は腹を抱えてゲラゲラ笑っていた。ヒナにはそれがなぜそこまで笑うことなのか分からなかったが、彼はその反応がずいぶんと愉快だったらしく咳き込むほど笑っていた。
そんな様子を見ながら肉まんを頬張ると、ピリと舌に走る辛さに少しヒナは驚いた。しかしこの時期だとこれぐらい辛いほうがお腹が温まって嬉しいと、コンビニ食特有の美味しい部分しかない味もあってペロリと平らげてしまう。昼間、余裕があったら自分でも買うべきか。こういうものに目がないヒナにとって、ちゃんと美味しいものを買ってくれる高見ヒロはある意味悩みの種でもあるのかもしれない。
「お、朗報だ」
「ん、」
そんな高見ヒロが、ふとスマホ片手にいい知らせだと微笑んだ。
「佐々木さんって覚えてるか? ……覚えてないな、街はずれで神父モドキやってる吸血鬼みたいなおっさん居たろ」
「あー……教会の前で戦ってたら手伝ってくれたひと?」
「そうそれ、あの人がまたイベント限定でギルド作るらしくてさ。混ぜてーっつったらいいよーってOK貰えたぞ」
「ナイス、褒めてつかわす」
「光栄です、おひなさま」
いつも通りの会話の受け取り合いに、いつも通りの夜のざわめきがやってくる。街灯が揺れる、どうやら前夜祭で楽しみたい化け物がまだまだいるらしい。沼のように黒く揺れる池からずるりと顔を出したのは、どうにもサイケデリックな斑色をした魚のような水風船のような何かだった。
突けば割れてしまいそうな外見にくすりとヒナは笑みをこぼす、季節感も何もあったもんじゃあないな。今はいつだっけ? それもどうでもいいか。
「消化試合といこうか」
「そしたら装備の整備な」
「はぁい」
振り抜いた刃に光が照り返すことは、そのありはしないのだが。
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