02:甘味と値段と味覚の話。
白夜病、と言うらしい。
小日向ヒナがその病名を知ったのは、青年高見ヒロと知り合って数日後のことだった。
眠りを奪われ、食事を奪われ、影を奪われ、つまるところ一日中起きていることを強要される不可思議な現象を罹患者の中ではそう呼んでいるのだという。あげてみればあまり不自由はなさそうに思えるかもしれないが、実際数日苛まれた中少女はこれを楽ではなく面倒だと思うようになっていた。
眠れないとは、つまり24時間意識があるということで。
食べる必要がないということは、つまり朝昼晩の時報がないということで。
影を奪われるということは、つまり日常生活のなかで存在が曖昧になるということで。
幽霊のような状態のまま、特に誰かに咎めらるわけでもなく気を掛けられるわけでもないのは、それなりに一人で慣れているヒナにとっても"流石にちょっと寂しい"と思うほどである。
「寂しくならないために狩る、っていうのも中々不思議な話だね」
深夜、普段からもさびれた公園のど真ん中。ドーム状の遊具の上に胡坐をかいたヒナはスマホに表示された画面を眺めながらぼんやり呟いた。
いつの間にかスマホの中にインストールされていた謎のアプリ、羊のアイコンをしたそれはこの妙な状況になった人間の元に勝手に届くものらしい。いつの間にか襲い掛かってくるようになった深夜の化け物を感知すると、これが勝手に起動する。そして己が望めばまるで出来の悪いライトノベルのようにファンタジックな武器が手元に現れる。
「狩って稼いで薬買わないと気絶するだけだしな、そういうもんじゃないか」
遊具に寄りかかったままアプリを弄っている高見ヒロが、ヒナのこぼした呟きを拾ってはスクリーンショットを切る。ヒナはその様子をのぞき込んでは、相変わらず何度見てもよく分からないアプリの装備画面に顔をしかめた。
「また武器データ? の回収?」
「まぁな、慣れてくると面白いぞ」
「……だからspいつも枯渇してるんじゃないの」
「ははは、耳が痛いね」
ゲームはゲームらしく、アプリにはいくつか使い道がある。
深夜の化け物を倒すとspと呼ばれるアプリ内通貨が報酬として振り込まれる。そしてそのspを使って、色々買い物をする。
まずは"薬"。いわゆる睡眠薬で、買って使うと数時間眠ることが出来る。病院でもらえる薬ともまた違うらしく、白夜病になった人たちにとってこの睡眠薬しか効き目がない頼みの綱。主にヒナも(そこまで己の状態を深刻視しているわけではないが)この薬を買うために深夜街に繰り出している。
次に"武器"。化け物たちと戦うのに使う必須道具。本体の相棒を強くするために他の武器を中身に入れておくのだ。しかしいまどきのゲームと同じで買ったところで何が出るかは分からないアイテムガチャ制、なので強くなるためには沢山spを稼いで武器を買う必要がある。強くなれば強い化け物とも戦えるようになる、強い化け物は落とすspが高い。単純なゲームである。
ただ、強くなったところで結局効果があるのは薬だけである。ヒナにはその強くなるのが楽しい、という感覚はよく分からないのだと首を振る。高見ヒロはそんなヒナの様子を見てどこか子どもを見るような目で微笑んでいる。
「そもそもきみはこんなことをする必要もなさそうだし、それでいいんじゃないか」
「褒めてる?」
「褒めてる褒めてる、おひなさまはお強いので」
「……、まぁ、うん、それならいいけれど」
必要がなければ、しなくていい。それだけでいいのだろうかとヒナは少し思ったが、手の中のアプリ画面を見たところでよく分からないので深く考えることはやめようと首を振る。
「来たね」
「らしいな」
キンとした静寂に公園の夜風がざわざわ騒ぐ。見上げれば欠けた月をさらに食むように黒い影が羽を広げ、嘶きのようなノイズを撒きながらヒナと高見ヒロの居座っていたドーム状の遊具に急降下。
「金欠だから俺にアレくれない?」
「やだ、僕もお財布に余裕が欲しいお年頃ですよ」
「若いねぇ」
衝撃波のような爆風、土煙の塊をさっぱり振り切ったその先でヒナと高見ヒロは笑う。ヒナがぱっと手を伸ばし、次の瞬間には大きな大きなテーブルナイフが握られる。いつの間にか手に蛇腹剣のようなカッターナイフを握っていた高見ヒロは苦笑いする。
ばささバササと羽の音を響かせて、頭が警報灯になった大きなカラスの群れがガァガァ"あの子が欲しいの"、"あの子じゃ分からん"と花いちもんめをし始める。相談なんてされる前に武器らしくもない青い武器を構えた少年少女は、それまた躊躇いもなく化け物カラスに躍りかかる。
黒いような赤いような羽根が舞い散る中、眠気のないはずの足取りはフラフラと。そこを掬うようにつっつく嘴には鋭く踵が突き刺さってはグラグラと。
「赤い羽根募金ってなかったっけ」
「おひなさま、それは各方面から叱られるから思っても口チャックしとけ」
化け物の残骸だらけになった公園はまるで紅葉の絨毯が敷かれたようで悪くないなとヒナは思ったが、さすがにそれは自分でもサイコパスすぎるなと飲み込んだ。
「これ写メって加工したらバズったりしねーかな」
と思ったらお隣の高見ヒロがしれっと似たようなことを言いだしたので、結局同類なのだなとヒナはため息をつく。相槌程度に「やめとけ」と伝えれば、「ですよね」とやまびこのように高見ヒロは舌を出して笑った。
スマホがぷるぷる震え画面を見やれば、それなりに獲物に見合うspが表示されている。色付きは美味しい、こうして細やかで健康的な火遊びに慣れ始めたヒナが覚えた最初の知識だった。
「これって何色が強いとかあるの」
公園の隅にある自販機コーナーで一息つきながらヒナは首を傾げる。
「黒はヤバイからやめとけ」
「なるほど」
それは黒が本当に危ないのか、黒以外は大したことないので気にしなくていいのか。どちらにせよヒナにとっては化け物との戦いは今のところ少し危なくて楽しい暇つぶしであり、ついでに楽になれる薬を買える唯一の手段である。
疲れると楽しいがぐらぐら同じ場所に渦を巻いている、不可思議な気分にふとヒナは思う。
強くなりたいとは思わないが、強くなったほうが楽になるのだろうか。
「退屈にはなるな」
高見ヒロは自販機に並ぶなんともいえない缶コーヒーと缶ジュースを眺めながら、そんな風に肩を竦めては結局コーラを選んだ。視線でヒナは何が欲しいか聞いてくるので、ヒナは自販機のラインナップを眺めて微妙なものしかないなぁと思いながらも暖かいココアを選んだ。
「それは良くないね」
取り出した缶のココアは妙に熱くてお手玉をするようにぽてぽてと両の手を行き来させる、服の裾で缶を掴んでその辺のベンチに座ってようやく缶ココアの熱さに手が慣れた。
だがうまく蓋を開けられず、見かねた高見ヒロが代わりに蓋を開く。ほわほわとした白い熱の煙が、夜の公園に溶けていく。
「なんだか、いつもキミにたかっている気がするなぁ」
「気にすんな、むしろ俺がおひなさまに寄生してるんだ。spに比べたら安いもんだぜ」
「とうとう開き直ってしまった……きもいな……」
「ごめんて……」
ココアに口を付ける。
チョコレートとも違う重さのある甘さが舌に溶けていく、どうして家で作るココアはこれよりも薄くなってしまうのだろうか。無自覚な貧乏性は首を傾げたが、それはともあれ甘いものは良いものだ。
「でも許す、これおいしいから」
少しばかり冷えた風は、むしろ今が暖かいと感じさせる。そうしてのんびりぐだぐだ何でもない話をしていれば、しれっと空が白み始めていた。
「また明日かな」
「また明日だな」
それって今日じゃない? とは今更な話だろうか。
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