夜更けのこどもたち。

Namako

01:ある意味いつも通りの日常。

 少女が自分の異変に気が付いたのは、眠れない夜が何日も続いたその夜明けのことだった。そう、眠れないのだ。疲労が蓄積して意識を失うことはあるが、それは眠りではなく気絶と呼ぶものだろう。ただただ眠れない。睡魔という至極自然な身体機能だけがすっぱり抜け落ちてしまったのだと、気が付くに三日、確信するに一週間。これは困った話だと頭を抱えるにそこまで時間はかからなかった。

 

「どうしたもんだか」


 深夜のコンビニの光を背に受けながら缶コーヒー片手にため息をつく。ほどほどに都会ではあるが、本都よりも治安の悪いこの街で少女の単独行動を気に留める人間はいない。

 夏の残り香が捨てられたままのこの季節、寒いとも暑いとも感じることはないぬるい空気は煙草の匂いと排気ガスでドロドロとしている。今日もそうだ、空を見上げれば大抵の人工灯にかき消され星らしい星も見えない。ぽっかりと置いて行かれた月だけがそこにある。


「おっと」


 コンビニからビニール袋を引っ提げて出てきた青年が、こちらに気が付きよっと手を振っては駆け寄ってくる。いかにも古着なジャージも随分見慣れてきたなと少女は目線だけを青年に向ける。

 青年はやぁやぁと人の無愛想さも無視して隣に場所を取り、意識が遥か彼方に向かっていた少女の顔を覗き込んだ。少女からは青年のいつも妙に笑っている疲れた顔が見えた。


「こんばんは、お嬢さん。今夜も張り切るね」

「そんなつもりじゃない」

「だろうな、言っておいてなんだがキミは暇つぶしで生きてるタイプだった」


 肩をほぐして背伸びをしながら青年はため息をつく。仕事はいいのかいと少女が問えば先輩に押し付けて出てきたと青年は笑い、ビニール袋からパッケージされたワッフルサンドを少女に手渡した。


「この調子だと今夜はきみと一緒に行くことになりそうだし、前金ってことで」

「キミ、一人で稼ぐ気はないのか?」

「むりむり、いくら安眠の為とはいえあんなのと一人で殴り合いするとかぜーったいむりだわ。怖いことするぐらいだったら女の子に貢ぐのだってためらわないぜ俺は」

「……へたれ」

「非常に申し訳ないとわたくしも感じている次第で」


 肩をすぼめながらわざとらしく語る青年を横目に少女はワッフルサンドに口を付ける。甘いクリームの味が舌の上で転がる、季節ものらしく栗の味がそういえばそんな時期だったなと。最近のコンビニスイーツもすごいんだなと少女は思ったが、そもそも少女の手持ちではケーキ屋にいくということも中々困難なためわりとお高めな嗜好品であることを思い出し少し凹んだ。

 それをタダでホイホイ渡してくるこの青年は第三者的には不審者ではあるが、少女にとっては数少ないありがたい人間であった。


「まぁ、今日のもおいしいから手伝ってあげるよ」

「よっしゃ、じゃあ今夜もよろしくな。”ヒナ”ちゃんさん」

「……あぁ僕のことか」

「この人また名前置いてきてらぁ……」


 ヒナ。小日向ヒナ。

 少女は忘れかけていた自分の名前を何度も噛む。そういえばそんな名前だったなと、本名まですっかり忘れそうでここのところはぼんやりしすぎだと。とはいえ忘れてしまうのも仕方がない、いつも呼ばれる名前は自分が自分でつけた架空の名前なのだ。

 そういえばこの青年、名前は何だったろうか。


「その様子じゃ俺の方もまた忘れてるな、まぁいいけど」

「ごめん、わりと本気で何だったか……バイトということは覚えているんだけど……」

「きみもしや人のこと服と仕事で覚えているな?」


 やれやれだと青年を肩を落とし、ふと駐車場の方を見た。その反応に少女……ヒナは同じく青年の視線の先へと目を向ける。

 そこには、黒いスーツを身にまとった男性と思しき何かが立っていた。ただその何かの顔には男性といえるようなものはなく、どろどろと溶け切って原型をとどめていない絵の具の塊のようなモノが乗っかっている。

 ずるずると重そうなカバンを手に、これまたずるずるとこちらに近づいてくる。


「何色に見える?」

「灰色じゃねえの、しょっぺぇなぁ。大したspにもならんぜ」

「塵も積もればなんとやら、だよ」


 ヒナはよっと立ち上がり、缶コーヒーと食べかけのワッフルサンドを青年に預け、空いた手で羽織っていたパーカーの中からスマートフォンを取り出す。勝手に起動していた画面には「異常物検知:メインセットで戦闘を開始」と浮き出ていたが、既にそういった反応に飽きていたヒナは気だるくスマートフォンを指で叩く。

 ノイズな耳鳴りに顔をしかめながら、ヒナは右手を見る。スマートフォンが握られていたその場所には今は別のものが握られている。

 身の丈ほど長い、でたらめに大きな食事用のナイフだった。大体の形はそう見える、少なくともヒナにはそう見えた。まるでゲームのようだ、まるでファンタジーだ、それはそれで悪くない日常だとヒナは思った。

 

「ワッフル守っておいてよ」


 足に力を込め、弾かれるようにヒナはナイフを……武器を手にドロドロスーツに襲い掛かる。手慣れた動き。飽きるほど見た動き。灰色なんて一撃で真っ二つになってしまうぐらいの雑魚中の雑魚、いつの間にか増えていたけれどお構いなく無意識にちかい状態でヒナはそれらをザバザバ捌いていく。

 それを見ていた青年は暢気に頬杖つきながら、「魔法少女も真っ青だ」と呆れたた笑みを浮かべる。その目の先には、返り血のようなものでどろどろになった少女ヒナが背伸びしながら今日一番の笑顔を見せている。

 増援があれば青年も動く気でいたが、どうやら今はそうでもないらしい。

 

「おつかれさん、……準備運動にもなってなさそうだな」

「まぁね。いや、うん、こいつら本当に稼ぎにならないね、すごいよ三桁もいかないの」


 埃を払いながら戻ってきたヒナはスマホの画面を青年に見せる、そこにはリザルトが表示されているのだが獲得したspは本当に微々たるものだった。

 これではやくそう一つ買えないだろう。ヒナも青年も呆れ一周回って笑いだす。


「価値があまりにも安すぎて泣けてくるな」

「社畜はつらいね」

「やめろ、俺に利く」


 ヒナは青年の隣に戻ると、青年はヒナから預けられたワッフルと缶コーヒーを手渡した。どちらも泥や返り血を食らわず無事な姿を確認したヒナはほっとため息をつく。


「ありがとう、褒めてつかわす」

「光栄です、おひなさま」

「ところで名前何だっけ」

「きみなぁ……! まぁ分かってたけどさ、ヒロだよ。高見ヒロ」

「……バイトでいい?」

「きみなぁ……!」


 見栄もしない天を仰ぐヒロを尻目にヒナはもさもさワッフルサンドにかぶりついた。前は引きこもりで忘れていたが、適度な運動の後の甘いものは格別である。睡魔がこないのは難儀だが、こうして楽しい夜が来ているのは悪くはない。良くはないが、悪くもない。


「ヒナ、あとはどうする? 通りに稼ぎに行くか?」

「そうだね、流石にそろそろ新しく薬買わないといけないし。いつもの場所でいいかな」


 あ、行くのはこれ食べてからね。

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