七つ目・せんべいとお茶
「―――すげえ。この人投稿して初日でランキング入りとか……え、不正してない?」
真っ暗な部屋の中、一つだけ浮かぶ光源であるパソコン画面を食い入るように見つめ、右手だけが忙しなくマウスを動かしながらカチカチとクリックを押している。
「ミリタリー×魔術ぅ?……まぁ、そういうSFファンタジーものは読んだことあるけどなぁ。やっぱりどいつも似たり寄ったりな―――――ん? んん?」
ありきたりな内容のあらすじを流し読み、本編を読み始めるとあら不思議。気付けば瞬きすら忘れて黙々と文章だけを目で追っていた。
い、いや、これすげぇんだけど。
設定もしっかりしてる。語彙力もあるし文章力も半端ない。基本シリアスな展開が多いが、主人公とヒロインが「ただ生きる」ために必死に運命と抗う姿。息も吐かせぬ圧巻な戦闘描写。胸が締め付けられるほどの切ない心理描写。そして主人公とヒロインの、焦れったくも儚い恋愛描写。
「………これは」いますぐ製本して出版しても問題ないくらいの完成度だ。
これほどの逸材が誕生していたとは………。
当然すべての評価項目を満点、著者と小説をお気に入り登録してレビューを書き込み、SNSでも拡散。この作品をみんなに読んでもらいたい。応援したい。
「著者名が……えー、『
カチカチ、カチカチ。
暫く静かな部屋に鳴り響く滑稽なクリック音。だけど俺の胸中は荒れに荒れまくっていた。――つまり興奮しているんだけど。
滾るなこれ。これだから小説読み漁るのを止められないんだよなぁ。
あー、幸せ過ぎる。
「うおっ、フォロバしてくれた! しかもめっちゃフレンドリー!」
SNSがあって良かったなと思えるのは、やっぱりこういう時だろう。応援したい相手に伝えたい言葉を気軽に送れて、交流まで出来る。本ッ当に幸せ過ぎるんだがっ!
「うはぁ……もう俺死んでもいいかも。ハッ、駄目だ。死んだら続き読めねえ! つーか続き読みたい。更新まだかな? 毎日更新してくれたりするかな?」
すでに恋する乙女状態の読み専引きこもり男(俺)が頬を赤らめ、『萎れた栞』さんの過去作を探していたときだった。
ヴー。ヴー。ヴー。
パソコンの横に置いていたスマホが震える。
……ちょっとバイブ音に驚いて咄嗟に身を引いてしまったのは、まぁよくあることだ。
「なんだよこんなときに……」面倒くさすぎて無視しようとしたが、スマホ画面に浮かび上がる着信表示と発信者の名前に、熱に浮かされていた頭が一瞬で冷め切った。
発信者:みとーちゃん
―――俺はあのとき決意した通り、この一週間ずっと部屋に引きこもっていた。
引きこもってゲームしたり本読んだりネット小説漁り続け。あれ、今日は何日でしょう?――決まってる。あの適当なせんせーが電話してくるってことは、本日は週に一回の登校日に決まってやがるだろぉぉおおおお!? 今何時だよ糞ッたれ!
スマホをタップして「今すぐ行くから欠席扱いにしないでくださいお願いします!」とそれだけを一方的に口早に告げると通話を切り、そういえば今日俺寝てないかもと頭の片隅に思いながら最速で身支度を済ませて自宅マンションを出る。
通学通勤ラッシュが過ぎたくらいの時間なので、あまり人気がない歩道を全速力で走り抜ける。5限目の開始チャイムが鳴り響く頃に俺の通う葉泉高校に到着。校舎2階、南階段を上がって廊下の突き当たりに進んだところにあるのが、安達実冬せんせーが駐在してる保健室だ。
「お待たせみとーちゃん!」
ガラガラッ! と思いっきり引き戸を開けて挨拶(?)をすれば、彼女の澱んだ
「垣根総――欠席、と」
「おっはようございま~すっ、安達せんせー! 本日はお日柄も良く!」
「本日は仏滅なのでお日柄はよくありませんが、まぁいいでしょう。おはようございます、垣根君」
相変わらず死んでしまった表情筋が動かないので感情が読み取れないが、どうやら許しを得られて無事に“出席”扱いになったようなので良かったとしよう。
俺は安堵しながらいつものパイプ椅子に腰掛けると、テープルの上にあった煎餅に手をかける。小説に夢中で今日はまだ何も食べてないんだよ……腹減った。
ガサガサ袋を破って大判で厚みのある米菓を思い切りかみ砕く。バリッと軽快な音と共に周囲へと漂う焦げ醤油と米の香ばしいニオイ。それが口の中にも広がり、うみゃいうみゃいと貪る。
そこにせんせーが煎れてくれたお茶を流し込んだ。お茶と煎餅の風味が鼻を抜け、俺は縁側で日向ぼっこしてるおじいちゃんの気持ちになった。
「―――垣根君、どうして水島さんのことを聞いてこないんですか?」
不意に尋ねられた言葉に、俺はほのぼのと啜っていたお茶を置き、首を傾げた。
「なんで?」
「気にならないんですか?」
「……気にしないといけないんですか?」
「いえ。ですが、
死にたいのに死ねない少女、水島瑞希。
彼女が死にたいという理由の根幹がイジメにあることは分かってる。耐えがたいほどの
水島が向き合うべきは自分自身だ。
見失い、否定したままの『水島瑞希』そのものなのだ。
「関わったけど、」
バリッと煎餅をかみ砕き、言った。
「あとはあいつが決めることだろ?」
「……」
俺は俺の思ったことをあいつに伝えた。そのあと恥ずか死ぬかと布団の中で悶えたけど。
「それともまだせんせーは無責任とか言うつもりだったりするんですかぁ?」前のやりとりをどうやらまだ根に持っていた俺の言葉に、しかしせんせーは首を横に振った。
「水島さんは家に戻ったらしく、現在はきちんと学校へ登校していますよ」
変なこと聞くからまさかと思ってたけど、どうやら水島は自分なりに答えを出したようだ。なんだ、じゃあ問題ないじゃん。
「これで全部元通り、無事解決したってことでいいだろ、せんせー?」
「…………そうですね、
「だろ?」
それからは水島と出会う前と同じように、俺は持ってきたラノベを読み、せんせーは仕事を続け、ただ黙々と静かな時間だけが流れ、放課後になる前に俺は保健室を出た。
せんせーの真意にも気付かず。
***
垣根総が出て行った保健室のドアを眺めていた安達実冬は、ふと手元のファイルに視線を落とす。
それは以前本人にも見せた『垣根総のプロファイリング』だった。
「……垣根君、“元通り”ということは“何も変わらない”ということです」
安達の知る限り、垣根総は本当にただ引きこもりがちの少年だ。だけど彼は人と関わりを持つことを極端に嫌がる。潔癖症ではなく、人間嫌いというわけでもないのに。
備考欄の“他力本願”という文字を指でそっと撫でた。
―――垣根総は他力本願なわけじゃない。
あのときは説得するためにこんな文字を書いて思い込ませた。結果的に垣根は水島と話をし、彼女の
「人と関わるということは、そんな簡単なことではありませんよ――垣根君」
赤いボールペンを手に取ってファイルを一枚めくると、今度は『水島瑞希プロファイリング』リストが目に入る。
最近出来上がったそのリストの下部、備考欄にペンで記入する。
※要注意対象―――自殺願望あり
ネガティブ状態からポジティブ状態へ移行 自殺行為が危ぶまれる
「このままだと水島さん、本当に死んでしまいますよ?」
***
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