六つ目・青春の唐揚げ


 気まずいままに沈黙な時間がしばらく続き、お互い食べ終えたところで水島が小さく口を開いた。


「まだ、会いたくなかったよ、かきくん」

 その言葉に俺は、咄嗟に視線を俯けた。

「……ご、ごめん」


「でも、会えてすごく嬉しかったんだ……あたし」

 矛盾してるよね。

 寂しそうな声音にハッとして彼女を見れば、確かに矛盾したような笑顔を向けていた。


「……」

どう言えばいいのか分からず困っていると「変な顔!」と笑われた。


「お前なあ!」

「――ちょっとした意地悪だよ。かきくんが安達先生の下僕であることは知ってたけど、ここまで従順だったなんて……」

「下僕でも従順でもねぇよ!」

 コイツは俺をなんだと思ってるんだ!

「そもそもお前が家出みたいなことするからいけないんだろ!? せめて親御さんと学校には連絡入れとけよ!」

 ビシッと指差して注意するが、水島は首を傾げて「それは水島瑞希がすることだもん」と返してきた。


「は?」

「水島瑞希なら、そうしてた。けど、今のあたしは水島瑞希じゃない。彼女は死んだから」

「い、いや、それは……」

「だから水島瑞希とは違う行動をとってるの。――普通の女子高校生だった水島瑞希が、考えたことはあっても実際にしなかったことをしてるの」

 したくても出来なかったこと、我慢して後悔して、諦めたことを。

「―――やってみたかったの! 学校サボることも。化粧塗りたくることも。家出することも。全部全部っ、あたしが……水島瑞希が良い子であるために、諦めたことだったから!」


 そこまで吐き捨てるように言うと、水島は興奮して赤くなった顔を隠すように両手で覆った。

「………ごめん、かきくん。あたしはずるい人間なんだ。あたしがあたしじゃなくなるきっかけに、かきくんを使ったの。かきくんの前に現れたのも、かきくんに話したのも……かきくんを巻き込んだのは全部、あたしの我が儘なんだ……!」

 本当にごめん、そう口にする水島に、俺は一つ溜め息を吐いた。


「……」

 んー、どうしたもんか……。

 未だ顔を手で覆い隠し、まるで泣いているように肩を振るわせる水島。


「――――なぁ、嘘泣きはやめようぜ?」


 テーブルに頬杖つきながら、俺は面倒そうにアイスティーを啜る。

「え?」と声を上げて指の間から覗いてくる水島の目は、やはりというか全く潤んでいなかった。


「俺も経験あったな……。自分のこと好きになれなくて、自分のやること為すこと、思うこと考えること、全部が嫌いだった。――なぁ、お前が死にたかった理由は、それか?」

 俺の指摘に、彼女は何も返さない。

 無言は肯定と捉えておこう。

 ――思春期というのは厄介なもんだ。


「ちょうどいいし、ここまで干渉しちまったからハッキリさせようぜ。水島ミズキ・・・・・


 水島の表情がなくなる。


「前に言ったよな?……中学ンときはイジメられてて、それから逃げて解放されたとき、自分には何もなくなったって」

「……」

「俺はイジメられたことないから分からねーけど、お前が逃げたくなるくらいなら、きっと相当ヤバかったんだろうな……。―――なら、どうしてそのとき・・・・・・・・イメチェン・・・・・しなかった?・・・・・・

「…………………」


「―――水島、教えてくれよ。本当のお前は、どこにいるんだ……?」

「…………………………」長い沈黙の末、水島はコーヒーに口をつけた後に窓の外へ視線を向けた。俺もつられて見るけど、そこには見慣れた風景しかない。


「あたしはここにいるよ」


 不意にようやく零した一言が、それだった。


「ここにいる。いるのに、いないみたい」

「?」それは謎かけか? と半ば本気で考えようとしたら、水島が「ふふ」と彼女らしからぬ自分を嘲るような笑い声をもらした。


「あたしがイジメを受けて、一番堪えたのは“無視”だったんだ。まるで透明人間――ううん、元々存在してなかったみたいに振る舞われたの。最初は良かった。痛いこととかされなくなって、正直ホッとしたんだよ? でも、あたしが存在しない世界がそこにあったの。声をかけても触っても、それこそいじめっ子たちの上履きに虫の死骸を入れたりしたんだ」


 なんか最後の一言、いきなり陰湿なんだけど。やられたから地味にやり返した感じが半端ないんですけど。

 ……まぁ? 学生にとって学校は人生そのものだと思う。家と学校を行ったり来たり、そこで生じたコミュニケーションが、リア充にとってかけがえのないモノだとは思うけど。


「分からなくなったの。あたしがどこにいるのか、分からなくなって……逃げた。あたしがいる場所に、逃げようとした。でも…………どうしてかな? あたしは、どこにもいない。いないんだよっ、かきくん」

 声を震わせているのに、水島の表情はやはり無だった。


「葉泉高校に入学して、あたしはあたしを取り戻したかった。でも考えれば考えるほど、思えば思うほど、あたしは“あたし”が分からなくなっちゃった……。とりあえず中学のときと同じように『良い子』で『成績も普通』で『化粧はほとんどしてなく』て、………あたしって、これ? こんなんだった? 分かんない………分かんないんだよ!」


「で、死にたくなった?」

「っそうだよ! こんなの“あたし”じゃない! あたしは、あたしは………っ!」

 水島は自分を抱きしめるように腕をクロスして肩を掴む。指が白くなるほど、その手に力が入っているのが分かった。


 ―――ふむ。

 俺は、自慢じゃないが生まれてこの方、人とコミュニケーションなんて禄にとれた記憶がない。それは俺が人に興味がなかったから、ではなく。ただ、『空回っている』のを見るのが嫌いだったから。

 人の感情は相手に伝わらない。どれだけ思っても考えて言葉にしても、その胸の内にある本心が少しのズレもなく伝わるなんてことはありえない。そうして言葉にするのを諦めた経験は、俺にもある。


 そして、まさしく水島ミズキは空回っている。


 空回っていることに気付いた水島はどうにかしようと思ったのだろう。でも、そうすればそうするほど、違和感で固められる。――それはそうだ、だってそれは水島の本心ではないのだから。


「水島」


 ――なら、彼女の本心はどこにあるのか。


「ここのファミレス、数ヶ月前から『お客様アンケート』とってんだ」

「……、アンケート?」

 意味が分からない、という表情の水島に笑みを向けながら、テーブル脇のメニュー表立ての傍にある、アンケート用紙とボールペンを取り出して彼女に渡した。

「お前はこのファミレス、どう思う?――ほら、ボケッとしないで書け!」


 その間に俺は一度トイレへと立ち、戻ってきてまだ水島が悩んでいるようだったので呼び出しブザーを押して唐揚げを注文。やる気のないウエイトレスが唐揚げの乗った皿を持ってきてちらりとアンケート用紙へ一瞥を送ると、そのまま奥へと消えてきった。


 俺この店の常連だけど、不思議とこのファミレスにはやる気がある店員がいない。目を輝かせた新人が入っても、初日のシフト半分くらいからか目が死ぬんだよな……。

 やる気を削ぐ――というよりも、もっと深い闇を感じるよなこの店。と、熱々の唐揚げをもしゃもしゃ食べているところで「か、書いたけど……」戸惑う水島が恐る恐る口にした。


 水島から用紙を奪いとると、俺は自然と笑みを浮かべていた。

 丸っこい可愛い字で書かれていたのは『呼び出しブザー、誰が押しても鳴るように直してください!』の一文。あとは年齢と性別がきっちりと書かれていた。


「―――水島は変なところが真面目だよな」

「へ?」

「補導員のときもそう。見つかっても逃げちゃえば良かったのに。イメチェンした今の姿なら、お前だってバレることなかったと思うぞ?」

「や、やましいことはしてないもんっ」

「だから逃げなかったって? 家出も無断欠席もやましいことじゃね?」

「うぐっ」

「あと、その厚化粧は似合ってないと思う」

「……それはあたしも思う」


「そういえば前に話したと思うけど、お前って漫画好きでイラストとか描いてたんだよな?」

「う、うん」

「なら今度イラスト描き合おうぜ! お題とか出してさぁー」

「あれ? でもかきくん、小学生並の画力って……」

「ふんっ、俺の芸術的な棒人間を披露するときが来るとはな。俺が極めし棒人間! これでもかってほど書きまくって見せてやるぜ!」

「なにそれ! 嫌過ぎるんだけどっ!」


 あははっ。

 声を出して笑う水島。俺はファミレスのふにゃふにゃ衣が臭いけどうみゃいなぁーと唐揚げを貪り、食べ終わると一言。


「――ちゃんと居るじゃんか、水島」


「………え?」

「俺の目の前にいる。ちゃんと居るよ、お前」

「…………―――なにそれ」


「俺、これでも色んな本読むから哲学っぽいことは、まぁたまに考えるけど。――自分が自分であることを証明することって出来ると思うか?」

「そんなの知らないよ」

「……答えは、出来ない、だ。だって出来るわけないだろ? 自分が自分じゃないって否定したら、周囲にそれが本当かどうかなんて分かりっこないんだから」


「かきくん、さっきから回りくどい!」

 さすがに苛立ってきたのか、声を張り上げる水島。

 この店が常に閑古鳥が鳴きまくりで良かったな、店員の死んだ眼から発せられる殺気が怖いけど。


「水島、自分からも逃げるなよ」


「っ」

「自分から目を背けるなよ。否定すんなよ。――自分の気持ちも、考えたことも、感じたことも。それは他人のモノじゃない。お前そのものなんじゃねーの?」


 水島が俺に対して笑ったことも、怒ったことも。

 自分を変えようとイメチェンしたことも。

 イジメを耐えたことも。逃げたことも。

 何かを話したくて、俺と会おうとしたことも。

 なかったことにして欲しくない、って思うのは俺のエゴだろうか。


「さて、そろそろ疲れたし……俺は帰るからな」俯いて動かなくなった水島を放ってレジへ向かい、二人分の会計を済ませる。今回は奢るって言ったしな。しかし約三千円か……痛い出費だぜ。


 トホホと肩を落としながら家に帰ると、俺は布団にダイブした。

「……………」

 俺は。



「―――っ、は! ず! か! し! いぃぃぃいいいいいいいっ!!」



 俺は己の所業を振り返り、身悶えた。


 いやだってそうだろ? なに言ってんの俺。なに言っちゃってんの俺。恥ずかしい言葉発して! 青春ですかこのヤロー! 青春だよ馬鹿野郎!


「ぐぅおおおおおお! これだから青春童貞は! 小説とか漫画にすぐ感化されちゃうんだからっ。俺はこんなキャラじゃねえーつの!」

 もっと周囲に(特にリア充に関して)冷め切ってて、俺はお前らみたいな青くせえ尻は持ってないんだぜとクールな大人気取ってたのに! いや、もはやそれこそ青春僻んでる童貞ヲタくせぇぇええええ!(偏見です)


「……もう家から出ない。俺らしくないことするから、こんなことになるんだ」

 もそもそと羞恥に染まる顔を毛布に埋める。

「そうだ、俺は引きこもりコミュ障じゃねーか。初期設定忘れるなよ……自分で言うのも残念な感じだけど」


 目を閉じてぼんやりすると、意外にも早く睡魔がやってきた。

 そういえば今日は走ったし。たくさんしゃべったし。……疲れた。

「せんせーのせい、だ……。ぜってぇ、貢ぎ物、用意させ…………る…………」

 そこで意識はぱったりと途切れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る