四つ目・冷めたレモンティー



「では垣根君。あなたは、水島さんとはその日以降会ってもないし、話してもいない。で、いいですね?」



 養護教諭の、相変わらず無機質な無表情と無感情の言葉に、俺はせんせーのいれてくれたレモンティーを口にしながら、一つ頷く。

 レモンの酸味がアールグレイのフルーティーな香りを際立たせ、爽やかな気持ちにさせる。うみゃい。ちなみに砂糖は入れてない。


 水島瑞希と知り合って数日の今日、金曜日。時刻は12時ごろで、昼休みになる前の、静かな時間帯を狙っての保健室登校。目の前で何かファイルに書き込んでいる阿達実冬せんせー以外の教師や生徒とは、一瞬たりとも出くわしていない。

 もはやプロだと言っても過言ではないだろう。………保健室登校の。


 ちなみに、せんせーの名前は「みふゆ」ではなく「みとう」と読むのが正解らしい。


「みとーちゃん。酷いぜ、あんなヤバい女を俺に差し向けるなんて。どうせ嫌がらせだろ? 分かってるんですけどー」

「……………」

「………阿達せんせー」

「はい?」

「阿達せんせー。酷いぜ、あんなヤバい女を俺に差し向けるなんて。どうせ嫌がらせだろ? 分かってるんですけどー」

「そうですか? そうですね。相性ぴったりかと思って」


 阿達せんせーは、まぁ美人だ。黒くて艶やかな長い髪をうなじで束ね、線の細い輪郭だとか、長いまつげとか、真っ白な肌とか、細い指とか。ただ、彼女の短所を一つ挙げるならば、“適当”なのだ。

 口にする言葉は、常に全く心がこもってなく、投げかける言葉も適当極まりない。


 深淵を覗き込んでいるような瞳は、死んでるというより澱んでおり、そして死んでいるのは表情筋だ。どれだけ面白いこと話しても、面白画像を見せても、彼女は現実を俯瞰した表情で、面白いですねとしか言わない。


 あと、下の名前で呼ぶと返事しない。

 それが、この葉泉高校の養護教諭、阿達実冬である。


「つーか、なんで水島の話? せんせー、そんなにアイツのこと気にしてた?」

 まあ、死にたくないけど死にたいとか言ってる生徒を、放置はしないかと思いつつ、それでもこの適当人間がわざわざ俺に、水島とのことを聞いてきたことに、少なからず感動を覚え、茶化して尋ねる。


「ええ、まぁ、引きこもりとメンヘラとの化学反応には、個人的に興味があります」

 本当にそう思って言ってるかどうか、疑わしい棒読みで返してきた。

 ただ、言葉の内容は養護教諭として最低な発言だが。

「そして、垣根君のドМ発言以降、水島さんは無断欠席してます」

 おいおい、その言い方だと、まるで俺がドМみたいな――――て、無断欠席?

「アイツ、来てないのかよ」


「今までは、休むときも遅れるときも、しっかり連絡をしていた生徒です。それが、突然音信不通となり、どうやらご自宅にも帰っていらっしゃらない様子」

 せんせーの、澱んだまなこが俺を見る。

「垣根くん。己の発言に責任を持ちなさい。そのための償いは、分かりますね」

「お、俺のせい、かよ!」


 そもそもの原因は、俺たちを会わせたせんせいーにある。なのに、彼女は俺を責めている。

 俺はただ、水島の話を聞いただけだ。そして俺が思ったことを言っただけだ。そのあとの彼女の行動は、水島本人の自己責任だと思っている。


「大体コミュ障の俺に、アイツの相手が務まるとか思ってたわけ? 違うでしょ、みとーちゃん。面倒になったから俺に投げたんだろ。責任放棄してんのは、そっちじゃん!」

 責任転嫁して押し付けてくるせんせーに、俺はイラついて吐き捨てる。

「それに、そんな状態なら捜索願い、水島の親が警察に出してんだろ。俺がどうこうしなくても、担任の教師とか、アイツの友達とか、その辺が動くだろ」


 水島とは一度会っただけ。どこにいるかも知ってるわけがない。

 それに―――別人になってみる、そう言った水島の決意を、まるで踏みにじるようなこと、俺に出来るはずもない。

「………」

 せんせーは何も答えず、それから手元のファイルに何か書き込むと、それを俺に見せるように差し出してきた。

「―――!」


 そのファイルには、俺の顔写真から住所や学歴、家族構成、それから今までちょいちょい話していた阿達との会話まで、細かく綴られていた。そして、備考欄の最後に大きく丸印がされて書き殴られた単語――――『他力本願』の文字。


「これは、あなたと出会ってから今まで、“垣根総”という人物を主観的に見てきた詳細です。これでも仕事をしっかりこなすタイプなんですよ」

「プライバシーの侵害だぞ、みとーちゃん」

「………」

「……阿達せんせー」


「ええ、そうですね。だから見せるつもりはなかったんです。これは私の趣味ですし」

 おい、仕事はしっかりこなすタイプとか言った前言、撤回しろ!


「――垣根君。あなたは水島瑞希にとって、無関係ではない」

「!……だから、ちゃんと関わって来い、と?」

 なるほど、だからせんせいーは俺に水島を会わせたのか。コミュ障で、引きこもりな俺に、人間関係を築かせようって魂胆ってことか。胸糞悪い。


「勘違いしてるようだから言いますが、あなたは水島さんの本心を聞いたのでしょう? 親御さんも、友達も、そして私も、彼女の悩みの内容については、知りませんでしたよ」

「は、」

「垣根君だから、話せたんでしょう。話そうと思ったのでしょう。でも、あなたは無意識に彼女の気持ちを踏みにじってる。関係ない、と。目を逸らしてるから」

「………」


「ちなみに、私にとっては誰でも良かったんです。垣根君が誰かと関わり、水島さんが誰かに悩みを打ち明けられれば良いと思ってただけなので。ただ、変化が欲しかっただけです。二人共、心情がマンネリ化してたので」

 おかげでファイルに書くことが無くなってきてしまって。そう続けた阿達せんせーは、少し退屈そうだった。


 ………いや、せんせーの気持ちはどうでもいいです。というか、それは言わないで良かったのでは。そして、やっぱりみとーちゃん先生失格だと俺思うよ。

「――あぁ、分かりましたよ。分かりました! 探し出して、連れ戻せばいいんでしょ!」

 仕方ねぇなー。気だるげに立ち上がった俺に、阿達せんせーが制す。

「いえ、連れ戻す必要はありません」


「は?」そういう話だったんじゃないの!? と困惑気味に見れば、「話すだけでいいです」と無表情無感情の言葉で帰ってきた。

「え、そんなんでいいの?」

「引きこもりの垣根君が、水島さんを強引に引っ張ってこれるわけないじゃないですか。筋力もないし、コミュ障ですし。己を過信していけません」

 なんか、すげえ貶されてるぞ、俺! でも否定できない!


「話して、また彼女の気持ちを聞いてあげてください。聞くだけでいいんです。それが、あなたにしか出来ないことです」

「一言前の発言さえなければ、たぶん感動してましたよ、俺」

「そうですか? そうですね。垣根君。人にはちゃんと役割があるんですよ。その役割を、勘違いしてしまえばただの役立たずです。でも、しっかりこなせれば、誰かの心に届きます」


「せんせー、良いこと言おうとしてる?」

「はい。これでも教師ですから、生徒に説教をかましてやりたいと一度は夢見るものです」

 あ、察し。

 せんせー、今までのやりとり、それがしたくてわざと俺を焚きつけたな。


「………まぁ、いっか」

 大きく溜め息を吐き、それから残ってたレモンティーを一気に煽る。

 冷めた紅茶は美味しくない。酸味と苦みが口の中に残るが、喉の渇きは潤った。


「仕方ないからせんせーに乗せられてあげますよ」

「ええ。―――では、いってらっしゃい」

 スカスカの学生鞄を掴み、行ってきますとは恥ずかしくて言えず、そのまま保健室を出た。


 そろそろ昼休みの時間だ。

 誰にも会わないよう、急いで学校を出なければ。

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