三つ目・弔いの肉まん


 隣で肉まんをもしゃもしゃ貪る水島瑞希を一瞥し、俺は両脇の鎖に腕を絡めて体重をかけた。


 ――現在地、ちょっと移動して寂れた公園。


 裏手にパチンコ屋が出来てから、元々人気のなかったこの公園には酔っ払いしかこない。

この近くに大きな自然公園が出来たのも理由の1つだ。……昔はよくこの公園で遊んでいた俺としては、なんだか複雑な心境ではあるが。

 そんな、思い出深くも名前の知らないこの公園で、二つしかないブランコを占領する高校生二人が俺たちである。


「死ぬんじゃなかったのかよ……」

 呆れた口調の俺に、頬袋に肉まんをため込んでいた彼女は、慌てたように高速で口の中をもごもごさせ、頬袋を縮小していく。最後にごくりと飲み込んで、1つ息を吐いてから水島は一言。


「かきくんのせいじゃん」

「……」彼女はやはり俺のせいにしていた。予知夢だったようだ。

 ただし、“死ねなかった理由”だけど。


「なぁ、死にたくないって思うなら、死ななきゃいいんじゃねーの」

 もう、さすがにこのまま放っておくことは出来ず、仕方なく彼女の『ワケ有り』部分に干渉した。


「ダメ。それはダメだよ。あたしは死にたい。楽になりたい。この選択肢は外せないの。―――反対に聞くけど、入学式以降というか、一度も自分の教室に入ったこともないかきくん。きみは、明日から毎日教室へ通いなさいって言われて、今更通える?」

 おっと、俺のナイーブな部分に触れてきやがった。


 当然俺の答えは1つ。

「無理だな」

「でしょー? それと同じだよー!」

 俺の即答がおかしかったのか、ケラケラ笑う水島瑞希。


「あたしね! 中学時代はイジメられてたんだよ」

 彼女は、さらりと、やはり事もなげに口にする。

「ほら、よくドラマとかニュースでイジメの内容出てるじゃん? 現実はもっと酷いんだよー。先生も助けてくれないどころか、むしろ加入してたし! もうね、全校生徒敵っ! て感じでねーヤバかったー。もう殺されるとか売春婦にされるとか思ったし」

「――――」


 壮絶な過去を赤裸々にする少女の言葉に、俺は何も言えない。言えるわけがない。

 つーか、え、マジで言ってんの、この子?

 顔を引き攣らせたまま固まっている俺に、やはりケラケラ笑う水島瑞希。


「あ、言っとくけどこのイジメが全ての原因じゃないの。要因の1つではあるけど。……それに、地元から離れて、あたしを誰も知らないこの葉泉高校までわざわざ来たんだもん。今は、特にないの」

「……特に、ない?」

「そう、特にないの」

 それは、イジメが、ということか?


 なんか適当なこと言えない雰囲気に気圧されていると、少女は首を横に振った。

「なにもない。なんもない。ここは、葉泉高校は、すっごく平和。少なくともあたしの周りでは、穏やかな時間しか流れてないの」

 だから、と彼女は言う。


「つまんないの! イジメられてた頃は、イジメっ子たちへの反発心からか死んでたまるかー! 思い通りになってやるかー! とか思ってたけど。……逃げた先は、何もなかったの」

 イジメから解放され、楽になれた彼女は、それ故に生きる理由を失くした。――そういうこと、なのだろうか。


「友達も出来たし、楽しいこともあるよ。けど、なんだろう……ぽっかり空いた隙間がね、あって。それが気持ち悪いの。逃げたいの、楽になりたいの。そしたらもう、死ぬしかないと思うじゃん?」

 隙間を埋めるには、どうしたらいいか。そういうことよりも、水島は逃げることを再び選んだというわけだ。逃げて、逃げて、そう選択したら、その先には『死』しかなかったのか。


 なるほど。

 そうかそうか。


 …………。


「え、お前、ただのドМじゃねーか……!」

 語尾に“(真理)”とつけたいぐらいには、俺のひらめきは素晴らしいものだった。


「…………え?」

「いや、極限ドМでもいいな。死にそうになるくらい、いや死ぬくらいの、心身へのダメージが欲しいってことだろ?」

「ん、んん? ダメージ?」

「つかさぁー、今時そういうネタって使い古され過ぎてウケねーよ。それにメンヘラ設定は普通に引く」

「………ネタ、……設定……」


「いいか、今ラノベ界とアニメ界が求めているのは腹黒ドSキャラだ。この設定こそが現在のビッグウェーブだと俺は確信してる。ドМキャラも個人的には嫌いじゃねーけど、それなら常にドМであることを全面的に出していかないと、キャラが立たねーぞ」

「……………ビッグウェーブとか、素で言ってる人初めて見たよ、あたし」


 なんだか死んだ目で微笑みを向けてくる水島瑞希に、俺は一瞬何を言ってるんだと訝しげに首を傾げ、それから次の瞬間に己の過ちに気付いた。


 ―――しまった! これは現実だ!


 常にネットやアニメやラノベの世界に没頭する俺は、現実世界への免疫がない。そもそも養護教諭以外の人と話しをすることだって、本当に久しぶりなのだ。

 だから、水島瑞希の話を聞いていても、普通に『そっち側』へと思考がシフトチェンジされてしまった!


 なにがメンヘラ設定は普通に引くだよ! 俺の存在そのものに普通に引くわ!

 頭を抱えて自己嫌悪に苛まれていると、横から「ふふっ」と笑い声が聞こえた。

「かきくんって、オタクだったんだね」

「わ、悪いかよ……」

「ううん。趣味があるって良いことだと思う」

 手の中に残っていた肉まんの、最後の一口を食べ、それから彼女は言った。


「あたしも、漫画読むの好きだったから、よくイラストとか描いてたなーって思い出したの」

「ほお。漫画か……ジャンルは? やっぱ少女漫画系?」

「ふっふっふ……これでも青年向けです」

「エロか! それともグロか!」

「エロティックですとも。あたしは着衣と素肌との絶対領域に力を入れてたなぁー」

 なんと!


「話が分かるなお前。制服は何派?」

「うーん、全部好きだけど、特に好きなのはセーラーと白のソックスだよ。赤いリボンを引っ張ると、胸が半分見えちゃうのとか。それに純白をエロティックに穢すのとか萌えるよね」

「なかなか逝ってる嗜好だな。分かるけど」

 ちなみに俺はブレザーに黒タイツ派だ。


「かきくんはイラストとか描かないの?」

「ふっ。俺のセンスは小学生並みでな……。棒人間なら誰よりも上手く描ける自信しかない!」

 つまり、それ以外は笑い物にしかならないのである!


「――かきくん。さっき、腹黒ドSキャラの方が、ウケが良いって言ったよね」

「ん? あぁ……言ったっけ?」

 自分で言ったことは大概忘れる。そのとき夢中で口走っただけって言うのもあるけど。

「うん、言った。絶対、言った」

 何故か噛み締めるように、俺が言ったことを言ったと言う水島。ううん、この二行だけで“言った”をずいぶん浪費しとる。


「良し!」

 そして突然気合を入れたように、ブランコから勢いよく立ち上がると、彼女は振り返った。

 丸くて大きな目。死にたいとか、暗い過去がある割に、その瞳に宿る光は消えてないように俺には見えた。むしろ、その瞳に映ってる俺の方が、よっぽど死んだ目をしてる。


「あたし、死んでくる」

「へ」

「水島瑞希は、死にます。これにて人生の閉幕をお知らせ致します!」

「……マジで言ってる?」

「うん。―――それで、明日からのあたしは、“水島みずき”になるの」

「それって、」

「今更のキャラチェンジ、みたいな?」

「え、腹黒ドSキャラになんの?」

「さすがにそれは無理。ドSとか、よく分かんないし」


 いやいや、漫画読んでたんでしょ? 登場人物とかにそういうキャラって絶対いたでしょ? それを参考に……て、俺は彼女に一体何を求めているんだ!


「別人になってみる。―――ねぇ、かきくん。そうしたら、もう一度会って、話とか聞いてくれる?」

 寂しげな表情だ。目を伏せる、とはこういう仕草のことか、とぼんやり感じた。

「……まぁ、気が向いたら、な」

 変な意地を張った。


 別に話とか、全然いつでも大丈夫だし。なんなら、今ここで連絡先交換したって良い。

 人間関係は煩わしくて嫌いだ。

 でも、この短時間で話をした水島瑞希は、嫌いじゃなかった。漫画の話、イラストの話、もっとしてみたいとすら思った。


 じゃあね、と彼女は前を向き、足を踏み出した。

 水島瑞希は、これから死ぬ。死にたくて、死にたくないと言った彼女は、これでいなくなる。


 俺のしたことは――――これで良かったのだろうか。

 彼女の姿が見えなくなったところで、俺もまた立ち上がり、公園を出る。

 途中でコンビニに寄り、彼女が食べていたものと同じ肉まんを買った。


「さよなら。水島瑞希」

 次に会うときは“水島みずき”になる。

 どんなふうに変わるつもりなのか、少し楽しみだと、俺は大きな口を開けて肉まんを噛り付いた。

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