二つ目・食べれなかったあんみつ


 噛んだ瞬間に広がる油の甘味。そこに大根おろしがやってきて、油が尾を引かぬようさっぱりとした風味に変わる。うん、うみゃい。

 そして目の前の少女は、そんな俺の様子にお腹を鳴らす。ごきゅりと唾を飲み込む音と、呼び出しブザー連打する音が耳障りだ。


「なんで反応しないの!? 壊れてるの!?」と少女は髪を振り乱し、乱心のご様子。

 俺は定食を半分ほど平らげたところで、彼女からブザーをひったくり、そして強めに押す。


 ピンポーン。


 店内に響く呼び出し音。少女は唖然としていた。

 それから普通にウエイトレス(さっきとは違う女性)に、断念したはずのあんみつを注文する。やっぱ食べたくなったのだ。


「で、お前は?」

 どうすんの、と視線で問えば、慌てたように「か、カルボナーラで!」と注文し、復唱して確認したウエイトレスが去っていく。そこで彼女は、居住まいを正し、1つ咳払いをすると、


「あたしの名前は、瑞希。水島瑞希みずしま みずき。公立葉泉ようせん高校1年3組で、きみとは同級生だよ」


 ようやっと自己紹介に移ったようだ。

 そして、おそらくここから、本題に入るのだろう。


 ……1年3組。俺が確か2組、だったような気がするから、クラスメイトではないのか。

「――まず、1つ聞いていいか」

「うん」

「なんで俺のこと知ってんの」


 こいつが知ってるのは俺の名前だけじゃない。俺が“垣根総”だと分かっていて、目の前に座ってきたのだから。

 少し緊張した面持ちで答えを待っていると、彼女の返しは実にあっさりとしていた。


「保健室の先生から教えてもらったんだよ。悩み事は彼に聞いてもらうといいよって」

「………………は?」

 なんだ、その話は。俺は何も知らないぞ。


 ……さてはあの養護教諭、余計なお節介を働かせたな。俺の極度なコミュ障をなんとかしようと、見た目可愛い同級生を送り込んできたのか。

 しかし無駄なことよ。

 俺は性別差別はしない。男であろうと女であろうと、人間であるなら関わりたくないのだ。

「悪いけど、お前の悩みとかどうでもいいから」

 俺に関係ねーし。


 最後の一個だった竜田を口に放り、残ったご飯を掻っ込む。その頃にはウエイトレスがあんみつとカルボナーラを持ってきた。よし、さすが俺。ジャストタイミング。


「―――あたし、今夜死のうと思うの」


 食べ終えた定食をテーブルの端に寄せ、さっさとあんみつ食べて帰ろうとしていた俺は、その一言にスプーンですくった餡子と寒天をぼとりと落とした。

 ………なんですと?


「死にたかったから、ようやく実行しようと思って。……でもね、問題があって」

 間抜けな面で呆然としている俺を無視し、水島瑞希は続けて言った。

「死にたくないなぁって思ってる自分がいるの。未練なんてないくせにね?―――ね。どうすれば潔く自殺出来るかな?」


 どうしても分からない宿題の問題でも聞くような気軽さで、こともなげに俺に問う。

 潔く死ねる方法を。

 死にたいのに死にたくない、この矛盾した葛藤を解消する方法を。


「………」

 俺はスプーンをテーブルに置き、それから席を立ち上がる。

 目の前の少女が不思議そうに俺を見上げていた。自然な上目遣いがイイ!……じゃなくて。

 俺は大きく深呼吸し、それから。


 それから、逃げた。


 ほとんど家から出ない俺の体力はミジンコ並みだ。しかし、そんな俺が自己新記録を生み出すほど、鮮やかな逃亡劇だったと思う。

 颯爽とファミレスを出て、マンションへ。自分の部屋へ飛び込むように入ると、即座に鍵とチェーンを掛け、その場にへたり込んだ。


「ヤバいヤバいヤバいヤバいって………!」


 ヤバい同級生だった。頭イカレてると思う。

 ヤバいというか、もはや怖い。


 知り合いでもない俺に、どうしてそんな質問してきたとか。今から自殺すると宣言する神経を疑うとか。もしや保健室のせんせー、これを知っててわざと俺に面倒を押し付けてきたんじゃないのとか。

 いろんなことをグルグルと考え、1時間くらい玄関でそんなことをしていた俺は、ハッと重要なことに気付く。


「俺、食べ逃げ………」

 そう言えば金払ってない気がする。

 あのイカレ女から逃げることにいっぱいいっぱいだった!


 ……水島が俺の分まで払ってくれたことを信じたい。いや、でも悩みを聞かず逃げた男だぞ俺は。内容はともかくとして。そんなやつのために金を払うとは思えない。俺が反対の立場だったら、絶対払わない。死にたいとかは思わねぇけどな。

「ま、まぁ、払いたくなくとも、店員に払えって言われるか」

 俺と彼女が話しているのをウエイトレスは目撃してるし、知り合いなら払えって言うよな。


 …………待てよ。

 もし、水島瑞希が俺の分まで会計してくれたとしよう。その後、彼女が宣言通り自殺したらどうなる?………変なことに巻き込まれないよな、俺?

 頭に過ぎる最悪なケース。パトカーに連行される自分の姿まで想像したところで、俺は立ち上がった。


「―――寝よ」

 考えることが煩わしくなったため、布団へダイブ。

 大丈夫、警察は優秀だよ、きっと。それに自殺するくらいなら、たぶん遺書とか書いてるだろうし。もし事情聴取とかされたら、もうありのまま話そう。それで分かってくれるはず。


 現実逃避に走った俺は目を閉じ、

「全部かきくんのせいにするからね」

 水島瑞希の声に目を開けた。


「っ、!?」

 起き上がった俺は部屋を見回すが、当然誰もいない。夢だ。それか幻聴だ。

 冷や汗を拭い、ひとまずスマホを取り出し、起動。時刻はすでに午前2時を回っていた。

「……」


 そのまま、スマホで手あたり次第にニュースサイトをはしごする。

 今日、正確には昨日だが、この街で死んだ人は、いない。市全体だと、ひき逃げで60代女性が亡くなったのと、7股男が元カノの一人に刺されて重傷だとか、それくらいか。県全体でも、数件事件はあったが自殺という文字はない。


 ひとまず安堵したものの、今から二度寝はもう出来ないな。

 俺は大きく溜め息を吐くと、立ち上がり玄関へ向かう。


 別にあのイカレ女の命が心配だからじゃないぞ。もし夢の通り逆上した彼女が、俺のせいとかにして自殺したらたまったもんじゃねーからな。

 そんな言い訳をツラツラ並べ、俺は家を出て、再びファミレスへ。残念なことに0時閉店なために店内はすでに薄暗い。分かってたけど、ここにはいないようだ。


 なら他はどこに行くだろうか、と考える。

 死にたいやつが向かう先。……高層ビルとか?


「うーん……」想像もつかん。


 俺は自宅マンション周辺を捜し歩くことにした。正直面倒くさい気持ちが強くなってきてる。もう帰りたい。つーか、あの女死にたいけど死にたくないとか言ってたし、もしかすると自殺を諦めて家に帰ってる可能性もあるよな……。

 それなら俺のこの、深夜徘徊も無駄か……と思った時、目の前に人影が現れた。


「あれ、何してるの、かきくん?」

 コンビニの肉まんを片手に、不思議そうに首を傾げる水島瑞希だった。


 ……いや、お前が何してんだよ。と俺は心底ツッコミたいのを堪え、大きな溜め息を吐いた。

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