SF

お題:サイコロ、種実、狩人

天のルビコン川

 無数の星々が輝いてあまのルビコン川を作り出している。


 あまのルビコン川なのだから、あまのカエサルはそれを越えようとする。


さいは投げられた」


 あまのカエサルがいてあまのルビコン川があればさいも投げられる。だからきっと宇宙にはあまのローマがあってそこであまのポンペイウスが待っている。


 あまのポンペイウスは言う。


あまのカエサルの専横を防ぎ元老院と手を携えて政治を行う。あまのカエサルのあまのガリア属州総督の任を解いて、あまのローマに呼び戻す」


 事実上の宣戦布告。あまのカエサルは大人しくあまのローマに帰って裁判を受けるか、はたまた軍隊を連れてあまのローマを攻めるかを選ぶことになった。


 あまのルビコン川を越えたら軍隊禁制。即刻反逆者リスト入り。

 それでも軍隊を連れてあまのルビコン川を渡り、戦争を宣言した。

 それがくだんの一言である。



さいは投げられた」



 しかしあまのカエサルが予想できなかったことがあった。


 宇宙でさいを放り投げても一向に目が決まらないということだ。


 ふわふわとどこかに飛んでいってしまって、1分もたたないうちにどこに行ってしまったのかわからなくなった。


「カエサル将軍、それはいったいどういう意味なのでしょう」


 あまのブルータスが尋ねることになる。

 ブルータスといってもデキムスの方でマルクスの方ではない。マルクスの方と言ったらあまのポンペイウスについたというから仕方がない。そりゃあ最期に裏切って一番に刺し殺す役割を担うわけだ。


「もう後戻りはできないということだ。結果はいずれ出てしまう」


 あまのカエサルは格好をつけて言ってみせるが、誰もが首をかしげる。


 地球なら誰もが納得したに違いなかった。しかしここは宇宙だ。

 さいは地面に転がることもなく、ふわふわとあまのローマめがけて消えてしまう。


さいの目が出るところを見たことのある者は誰も……」


 これにはあまのカエサルも同意せざるを得ない。今や放り投げたさいはおそらく等速直線運動であまのローマ方向に突き進んでいる。よしんば何かの恒星系の引力に引かれたとしても、無事に地面について目が決まるなんて奇跡は期待すべくもない。


「ではこういうことにしよう。もう投げてしまったのだから進むしかないという意味だ」


「しかし無限に進むならいつまでも私たちの進軍の勝利は定まらないことに」


 あまのカエサルも困り果てる。してみれば天のルビコン川を渡ってから今が何年目なのかも怪しい。過去と現在と未来が混然となって、無限の進撃が続いているようでもある。


 それもこれも、さいを投げてしまったからだ。


「お気付きでないかもしれませんが、だいたい8億と4千万年はあまのローマへの進撃を続けています」


「なぜわかる」


あまのローマの赤方偏移を観測していたからです」


あまのローマが見えるのか」


 あまのブルータスの使っている電波望遠鏡をぶんどって、あまのローマからの電波を解析する。しかし古代ローマ人であるあまのカエサルには何がなにやらわからない。


「ローマが燃えている」

「赤方偏移です」


「スペクトルのΔλデルタラムダを計算して距離と速度を計算します」

「頭がおかしくなったか、ブルータス」


「つまりまとめると、現在もローマは遠ざかり続けています」

「なんと」


 あまのローマが逃げている。宇宙は元老院に味方した。

 遥かなる宇宙の膨張があまのカエサルをあまのローマから突き放したのだ。


「追いつくにはどれほどの速度がいる」

「およそ光速の65%ほど」

「馬で出せるか」

「無理です」


 万事休す。あまのルビコン川など渡らなければよかった。

 あまのカエサルはいつまでもあまのローマにたどり着けないし、さいは投げられたまま宇宙空間を無限に漂う。そしてあまのポンペイウスは滅びないしあまのローマが帝政に変わることはない。

 あまのカエサルも反逆者の汚名を永遠に晴らすことはできない。


「諦めよう、ブルータス。ここで畑でも作ろう。そうして兵たちとともに生きよう」


「良い考えかと」


 兵の一人が糧食からタネを選り分ける。


 しかしあまのカエサルが予想できなかったことがあった。


 宇宙には大地がないのである。


 あまのルビコン川ばかりがキラキラと光っていて、それが流れているはずの大地は見当たらない。さいも落ちないのだからこれを見落としていたのはまったく愚かだったと言う他ない。


「これでは兵糧が尽きてしまう」

「しかしすでに8億と4千万年はもちました」


 精強な1万の軍勢の1日の消費カロリーはだいたい3千万キロカロリーで、つまり1年では200億キロカロリー。それが8億年で1600京キロカロリーに達する。

 ライ麦パン7京個分のカロリーを消費したはずだ。いつのまにそんな量のパンを運んだのだろうか。ガリアにそんな数のパンがあったとも思えない。


「やむなし、動物を狩ろう」


 なるほど星空にはたくさんの動物たちがいた。クマとかワシとかカニとかとにかくいろいろな動物がいた。


 むろん星座の姿をしていたが。


ケイローン射手座とオリオンが許すでしょうか」


あまのギリシアはあまのポンペイウスの地盤だ。何かいうなら全員我が軍で討伐する。なにせ1万はいるのだからな」


 神をも恐れぬあまのカエサルの物言いにはあまのブルータスも目を丸くするばかり。敵はあまのポンペイウスからあまの神々へと切り替わった。


 あまのカエサルは弓をひく。そのやじりは牡牛座を向いている。


「将軍お待ちください」

「なんだブルータス」


「いま矢を放ったとして、あの牛を射止めるのに何万年もかかります。ともすれば……」


「また赤方偏移か」


 あまのブルータスは恐る恐るうなずく。


 しかしあまのカエサルは忠告も聞かずに矢を放った。その矢はまっすぐに牡牛座めがけて飛んでいき、やがて見えなくなった。


「あの巨体を1本では倒せまいな」


 将軍が腕をあげると、1万の兵が素早く弓を構えた。


「放て!!」


 振り下ろした腕の先に、矢の壁が突き進んでゆく。いくらか離れるとそれは雲のようにも見え、やがて一つに集まって点となり、そして消えていった。


「……私はあまのローマを目指す」


「将軍、時間が失われているのです。あまのルビコン川の流れが止まっているように」


 たしかに星々の輝きは流れを失っていた。

 あまのルビコン川は川であることはできたが、流れることはできない。

 ルビコン川を渡ることはできたが、ローマにたどり着くことはできない。


「私は星座にでもなってしまったのか? あるいは神にでも?」


「いえ、強いて言えば『場』になりました。カエサル場とでもいいますか」


 あまのカエサルの体がシュレディンガーの力で引き裂かれる。頭痛がした。


「カエサルがルビコン川を渡って『賽は投げられた』と言ったというエネルギー場になりました」


 あまのブルータスの素晴らしい注釈も、あまのカエサルの理解を引き起こさない。それでも歴史的事実の波動関数がカエサルの存在確率として確かにあまのカエサルを存在させていた。


「しかし将軍、量子化しているなら光速に近づけるかもしれません」


「そうなのか」


 あまのブルータスは粒子加速器を急いで手配する。

 しかし「カエサルがルビコン川を渡って『賽は投げられた』と言ったというエネルギー場」を加速して天のローマ方面に射出する実験の計画書は時の権威によって突っぱねられた。



「神はサイコロを振らない」

    ——アルバート・アインシュタイン



 カエサルは後悔した。


 なぜ賽を投げてしまったのか。

 コインにしておけばよかった。


 なぜ神になったなどと口走ったのか。

 独裁官くらいに留めておけばよかった。


 あまのカエサルは独裁官にも神にもなれないまま、歴史的事実の波動関数として永遠にルビコン川を渡り続けなければならない。


 まるで星座を読むように、書物を読むように、石碑を見るように、その事実は永久の時の中で観測され続ける。


 もはや後戻りはできない。


 賽は投げられてしまったのだから。

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