綺麗に舗装された市街地の街並みを歩いていると、少しもの悲しさを覚えた
綺麗に舗装された市街地の街並みを歩いていると、少しもの悲しさを覚えた。
以前住んでいた廃墟とはあまりにもかけ離れた世界だったからかもしれない。
街のいたるところで猫が我がもの顔で歩いている。道行く人が猫を見てもとくに気にしたりはしない。ここでは普通の光景なのかもしれない。
ふいに黒猫が一匹、僕の足元にすり寄ってきた。
さっき道路に飛び出した猫のようだ。先ほどは気づかなかったが耳の一部が少しだけ欠けている。こいつは僕が救ってやったことを理解しているんだろうか。
「……」
おもむろにしゃがんで、顎に手をやる。すると黒猫は気持ちよさそうに僕の指に顔を擦りつけてきた。黒い毛並みに、つぶらな瞳――誰かを想起させる。黒髪で、いつも猫のように拗ねた目を向けていた。
「どうかしてる……」
気を抜いたら、すぐに頭に浮かんでしまう。
もうどうにもできないのに、考えるだけ無駄なのに、ふとした瞬間に彼女のことを思い出す。そのたびに胸が張り裂けそうになる。
自然と怖い顔になっていたせいだろうか、猫は僕の手から離れて行ってしまった。
一つ先の曲がり角で足を止めると、こちらに振り向いてにゃあと鳴いた。
ついてこいと、言っているようにも見えた。
僕は、目的地までの正確な道順を把握しているわけではない。
なんとなく、あの黒猫の後を追うことに決めた。
その瞬間が近づいているのだということも、なんとなく感じた。
一分一秒でも早く彼女に会いたいという気持ちはある。でも、同じくらいに怖かった。彼女が僕との再会を望んでいないのではないかと考えていたからだ。
そうやってうじうじとネガティブなことを考えるのは、長い年月が経っても変わらないみたいだ。
猫の気まぐれな散歩に付き合いながら、市街を散策した。
街中を通る水路を柵に沿って歩いたり、建造物の狭い間を潜り抜けたりと、なかなか自由なコースをたどっていった。
この猫は別に目的地なんかないのかもしれない。それでも猫について歩くのをやめなかった。きっと、まだ僕の中で迷いがあるからなんだろう。
リナリアと正面から向き合うことに、迷いがあるんだ。
街に西日が差し始めた頃、猫は急にスピードを上げて閑静な市街を走り抜けた。慌ててその後を追うが、狭い裏通りに入り込んだところで見失ってしまう。
そのまま暗い裏通りを抜けると、茜色の空が見渡せる広場に出た。
そこで白っぽい建物が、土地を持て余すように広い平地にポツンと建っているのを見つける。
建物の周りは芝生で覆われていて、入り口付近にはテラス席がいくつも並んでいる。一階はショーウィンドウみたいに大きな窓が、店内の様子を映し出している。中では従業員たちがせわしなく行き来しているのが見えた。
レストランだ。隣接する広い庭スペースに『ミチーノ』と書かれている看板が置かれていた。
ついに、僕は目的の場所にたどり着いてしまったようだ。
庭の芝生で、件の黒猫が日向ぼっこをしていた。
「一応案内してくれたってことなのかな……」
そちらに向かって歩いていくと、猫の隣で寝息を立てている女の子がいるのに気づく。
芝生の上に寝ころんで、手に分厚い本のようなものを抱いている。
不意に夕日で赤みがかっていた少女の前髪が風に流されて、その顔があらわになった。
「あれ……?」
その顔には見覚えがある。
つい数時間前の、馬車に轢かれそうになっていた少女だった。
白髪だが、僕が探している彼女とは似ても似つかない別人。
それでもその子は、背丈も年齢も、よく知るあの人に近かった。
空を、山のふもとに沈んでいく太陽を眺める。
もうじき日が沈む。そうなればこのあたりには冷たい風が吹き始めるだろう。
「おい、風邪ひくよ」
少女の肩を揺らす。眠っている彼女は煩わしそうに瞳にきゅっと力を入れた。
すぐに起きる気配はない。
ふと、彼女の本の間から、一枚のメモがはみ出ていることに気づいた。
それが風に煽られ、ヒラヒラと揺れている。今にも飛ばされてしまいそうだ。
そうなる前にメモを本の間から抜き取ると、タイミングの悪いことに彼女の目がぱちりと開いた。
僕は驚きのあまり跳びのいて、手に取ったメモをとっさにポケットの中にねじ込んでしまった。
彼女は目をこすりながら起き上がると、
「お客さんですかぁ?」
眠たそうに言った。
「……あれ?」
ところがその後の反応は妙だった。僕を見るや否や顔をぐっと近づけてくる。開き切っていなかったパールピンクの瞳がかっと開いて、宝物でも見つけたようにキラキラしはじめる。
「な、なんだよ……」
間近で見るとその顔立ちの端整さがよりはっきりとわかる。目のやり場に困り、慌てて視線を落とした。すると彼女の着ている服が目に入り、おや? となる。外出着とかではなく、鮮やかな赤いエプロンドレスを着こなしている。
どうやら彼女は、このレストランの関係者のようだ。
おそらく着ているのは指定の制服なのだろう。
「ぼく、あなたのこと、知ってますよ」
なに? どういうこと?
ニヤリと不敵な笑みを浮かべている。
「知ってるも何も、さっき会ったばかりだよね……?」
ドヤ顔で言うことじゃない。
「『ミチーノ』にご用? まだ営業時間だから普通に入れますよ? あ、ぼくは休憩中なんです。そろそろ星が見えはじめる頃合いですから、外に出て空を見ていました」
聞いてもいないのに、少女は喋りはじめた。
「空を見ていたってより、爆睡しているように見えたけど……ここの店員さん? だったんだね」
「はい」
「リナリアって店員が働いてるって聞いたんだけど……君知ってる?」
とにかく、これ以上少女と話していても埒が明かない。目的を優先することにする。
正直なところ、徒労で終わることも覚悟していた。
リナリアがこんな人の多い場所で働き続けられるとも思えなかったからだ。
「先輩にご用なんですか?」
「先輩?」
一瞬、先輩という呼称がかみ合わず、困惑する。
「先輩って、リナリアって子が? 君の……先輩?」
「ですよ。ぼくよりも半年くらい長くここで働いています」
驚いた。
あのリナリアが? 人と交流するのを極端に嫌うあのリナリアが? このレストランでは先輩と呼ばれるほどに地位を確立している?
本当に僕の知ってるリナリアなのだろうか……。
「あなた先輩の何ですか? とても怪しいですよ」
なんでそうなるんだろう。僕は慌てて弁明する。
「か、彼女は恩人なんだ! 本人に確認してもらえばわかるはずだよ!」
矢継ぎ早に言うと、少女は目を丸くして僕の顔をじっと眺めはじめた。
まただ。また顔を近づけてくる。この子、距離感がおかしい。
「り、リナリアさんは……彼女はどこにいるの?」
体を引いて、少女との距離を保ちながら、たずねる。
「今も働いてますよ。ほら、ちょうどあそこに」
少女はおもむろにレストランの方を指さした。
その方角には、大きな窓がある。彼女の指さすその先、ちょうど窓際のテーブルに、葉巻をふかしている老人がいる。
初老の男性の前に、店員らしき服装の少女も立っている。男性にオーダーを聞いているみたいだ。男の言葉に二、三うなずいて、笑顔を振りまいた。
優しい表情だった。
目が離せなかった。横顔だけでも、それがだれかわかる。
一〇〇年間、あの閉鎖された空間に閉じ込められてからも、片時だって忘れたことはなかった。
「師匠だ……」
噂は、正しかったみたいだ。
他人を避けて、人の寄り付かない土地に引きこもって暮らしていた少女が、今はこんなにも大きな街で、僕以外の人と普通に会話をしている。日常に溶け込もうとしているんだ。そんな光景を前にして、いろんな感情が湧きあがってきた。
目を閉じると、あの頃の記憶がいくらでも蘇ってくる。
以前、リナリアに花をプレゼントしたときのことを思い出す。そのときの彼女はそれだけで酷く怯えていた。彼女には周りが、正常な状態では見えていない。それは今も変わらないはずだ。
彼女なりに、前に進もうとしているのかもしれない。嬉しいんだか、悲しいんだか、よくわからない感情でいっぱいになる。
「泣いてるんですか?」
慌てて顔をぬぐった。いつの間にかみっともなく涙を流していたみたいだ。
歳を重ねると涙もろくなるって、本当なんだなって思った。
いよいよこれからってときに、なんて格好の悪い。
そもそも、今更どんな顔をして会えばいいんだろう。
一〇〇年――いや、彼女にとっては一年程度だが、それだって短い期間ではない。今まで連絡一つ寄越さずに彼女を放っておいた僕が、今更どんな言葉を投げかけてやればいい?
「どうします? 先輩、呼んできましょうか?」
「いや……」
こんな状態で、まともなことが言えるとは思えない。
なんか、日を改めた方がいい気がしてきた。
気の利いたお土産とか、もっとちゃんと話すことを考えた方がいい気がする。
「出直すよ。忙しそうだし、また時間があるときに来ることにする」
リナリアがここにいるということはわかった。今はそれで十分だ。
仕事の邪魔をしてまで行動を起こすべきではない。そんな言い訳めいたことを考えながら、僕は早々にその場を去ることにした。
ところがぐいと体が引っ張られ、立ち止まらざるを得なくなる。
「……なに?」
ぎゅっと掴まれた服と、少女の顔を交互に眺める。
いつの間にかエプロンドレスの少女が立ち上がって僕の服の袖を掴んでいる。
「あの人はあと二時間ぐらいで休憩に入りますよ」
「はぁ」
呼び止められた意図が掴めず生返事になってしまう。
「そのあとでよければぼくがお店に掛け合ってあげてもいいですよ? いきなり押し掛けられても、先輩困っちゃいますし」
なるほど、女の子の提案は、魅力的に聞こえた。
いきなり押し掛けるよりはこっちも心の準備ができる。わかるけど――
「会ったばかりの君に頼るのもなんか……」
「さっき、助けてくれたでしょ? そのお礼をさせてください」
馬車の件か。
ただそういうのを抜きにしても、この子のこと知らなすぎる。知らなすぎる割に、やたら話すときの距離が近いのも気になるし――
「ってことで、ちょっとここで待っててください」
「へ――?」
「先輩をうまいこと引き留めておかないと、あとで落ち合えない可能性もあります」
すでに少女の中では僕とリナリアが今日話をすることが決定事項らしい。
止めようとしたが、僕の口を塞ぐように何かを押し付けられた。
「これ、持っててください?」
僕の手には分厚い本が置かれている。彼女が抱きかかえていたものだ。
「……」
茫然としている間に少女は店内の方に駆け出していた。
「おい!」
叫ぶと、振り返って僕に負けんばかりの大声を上げた。
「ぼくの名前は『きみ』でも『おい』でもないです!」
野良猫みたいな挑戦的な目に、僕も口調が乱れる。
「じゃあ誰だよ!」
「シャスタ!!」
そう名乗った女の子は、あっという間に店の中へと消えていった。
立ち尽くすしかなかった。
赤く焼けるような世界で、分厚い本を手に抱えて、一人取り残される。
どうやら僕は、リナリアと再会を果たす前に、妙な女の子に目を付けられてしまったらしい。
「なんだよこれ」
先ほど押し付けられた本を表にする。
『101年、54日〜』
表紙にはそれだけしか書かれていない。何の本かわからなかった。
ふと、先ほど抜き取ってしまったメモのことを思い出した。
すっかり返すタイミングを失っていた。
ポケットからメモを取り出して、それを適当に本の中に挟み込もうとする。
ところが、メモの筆跡が目に入って、手の動きが停止した。
それは見覚えのある字だった。宛名が書かれていて、その人物に宛てた手紙のようだった。
内容を読み進めようとしたところで、ぐっと感情が吹き出しそうになった。
引っ込め、何も感じるなと自分に言い聞かせる。
「それ、いつの間にか本に挟んであったんですよね」
少女が、シャスタがいつの間にか横から僕の顔を覗き込んでいた。
うわと声を上げて飛びのく。
もう戻ってきたのか……。
「また泣きそうになってたんですか?」
泣き虫ですね、と彼女は笑っている。
本に挟まれていたメモを勝手に読もうとしていた男への第一声として、それは正しいのだろうか。
勝手に読むなと、怒るところではないのか。
「これ……どこで?」
気づいたらそうたずねていた。声が震えてしまいそうになるのをこらえた。
メモの筆跡には覚えがある。
でもその筆跡の持ち主と目の前の少女の顔が合致しない。
「この字は……僕がよく知る人が書いたものだ……」
どうしても、このメモの出所について知りたかった。
いや、知らなければいけなかった。
「そうなんですか? なるほど」
「でもここにあるはずがない……」
「へぇ?」
少女は、手を後ろに組んで、笑っている。何が面白いのか、僕にはわからない。
「死んでるんだ……」
なんの感情も込めずに、呟いた。呟いた瞬間、体の中に冷たい空気が入り込んだ気がする。
春の中旬、天気は良くても、夕刻の風には冷気が混じっている。
「僕が殺した……」
まだあの感触が、手に残っている。
彼女の胸に入り込んだナイフ、肉を切り裂く音が、耳に残っている。
そう告げたとき、
「少し付き合ってくれません?」
目の前の少女は、怖がるでも、貶すでもなく、ただ意味深な笑みを浮かべたまま言った。
「まだ先輩の仕事が終わるまでに時間がありますし、いいよねアルバくん?」
また一つ不可解なことが増えた。
僕はまだ彼女に、自分の名前を名乗った覚えがないんだ。
君は死ねない灰かぶりの魔女 ハイヌミ/カドカワBOOKS公式 @kadokawabooks
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