二四日目

床一面が板張りで、それなりの広さのある正方形の部屋。

前に書物で目にした、『道場』という異国の稽古室をモチーフに造られている。

まだアルバと出会う前、よくこの誰もいない部屋の中央に座して、ひたすら頭を空っぽにしてた。

黙想ってやつだ。

何も思わない。何も見ない。何も感じない。

ただ、この無人の部屋の空気と溶け合うことにのみ、精神を集中させる。いや、それすらもしない。ただ「無」になる。色々な邪念を、心から追い出す。

「ぐふ……ッ」

そうやって利用してきた部屋に、今はアルバといる。

また床に転がって、呻き声を上げている。

でもすぐに棒を掴んで起き上がると、そのままわたしに突っ込んできた。

「……ッ」

さっと身を引いて、彼の突きを交わす。がら空きの背中に木の棒を思いっきり叩き込んだ。

「ガァ!?」

おっとごめん。今のはたぶん、いいのが入った。

アルバは肘をついて倒れ、激しく咳き込んでいる。

ふーっと怒った猫みたいな呼吸をしながら、棒を床について無理やり立ち上がった。

口内を切ったか、口端から流血してる。

対峙する彼のことを、冷めた目で眺めていた。

剣術の指南を、魔術と並行して進めていくことになった。

まあ軽い気分転換のようなものだ。

ずっと頭を使う作業を続けるのは非効率的だし、何より罰ゲームのたびに彼に使う治療魔法だってタダではない。

彼が「剣なんて扱えるのか?」なんてことを言ってわたしを舐めていたのもつい一〇分前までだ。

今はわたしの出方をうかがうのに必死な形相をしてる。

別に誰かに教えられるほど剣術に自信があるわけじゃない。

自分が今までどれくらい強いとか意識したことない。

ただ我流ではあるけど、ずっと仮想敵を相手に一人稽古をしてきた。何十年も、何百年も。

そしてわたしには特別な魔法がある。

その魔法がある限りは彼の攻撃がわたしに届くことはありえない。

「ぐぁッ!?」

また一本。アルバはまた床とキスしてる。

突っ込んできたアルバに上手いこと引き打ちが入った。

やっぱりわたしって強い。

「攻撃する時ぐらい叫んだら? 無言で打ち込んでも力入らないよ」

その後もアルバの相手を続けた。アルバは全くの素人だ。わたしが間合いを詰めても上手く離れられないし、攻撃もかわせない。少し攻撃のテンポを変えるだけで構えを崩せる。わたしはまだまだ余裕があるのに、彼の呼吸は早々に乱れていた。

これは一方的な私刑だ。

彼を痛めつけて、蹂躙することを目的としている。

女に剣すら敵わないってのは、きっと相当堪えるんじゃないか?

アルバは棒を構える。その瞳には、先ほどまでなかった憤怒の色が見て取れた。

まだ戦意だけは残ってるらしい。

間合いの読み合いみたいな時間が、しばらく続く。

そろそろだろうか――

「ウワァ!!」

きた。破れかぶれで、無駄だらけの動きだけど、彼の剣筋は鋭く、殺意が込められてる。打たれっぱなしでムカついているんだ。

それに合わせて棒を振るう。棒同士がぶつかり、勢いだけはあった彼の棒の軌道が大きくそれた。床を叩き、刹那――アルバは棒の握りをすばやく持ち替え、そのまま間髪を容れずにわたしの顔めがけて斬り上げてきた。

その一撃をとっさに払うことは簡単だった。

でももしかしたら、このままわたしを殺してくれるんじゃないかと期待した。

そもそも撲殺でもいいのか? なんてことを考えていた。

棒がぶち当たる寸前、彼の手が止まる。表情から怒りが消え、戸惑いに染まっていた。

「……グァッ」

彼の横腹に食い込んだ棒を、そのまま、引き斬るように振りぬいた。

膝をついて、お腹を押さえてうずくまっている。

声が出せないみたいで、涙だけがぽたぽたと床に落ちていた。彼の持っていた棒は、はるか遠くに転がっていた。

勝負ありだ。情けない。

「なに躊躇してんのよ。やる気あるの?」

「だ、だって……」

アルバは涙目でわたしを見上げた。

「手を抜いたろ……、ふざけんなよ」

ほう、バレていたらしい。とろいくせに、そういうところはよく見てる。

「憎いんでしょ? ムカついてたでしょうが。ならあのまま打ち込んでくればよかったんだ」

最後の一撃は、まっすぐわたしに向かってた。あのまま振りぬけばわたしの頭を打ち抜けたはずだ。

アルバは何も言わない。

そんな態度がことさら気に入らなかった。いつもいつも、思い通りにならない。

「それともナイフの方が良かった? ナイフで魔女を殺すの、慣れてるもんね?」

そのとき、苦悶の表情を浮かべながらも、わたしを睨んだ。

「邪念、嫌悪、愛憎、分裂――」

嘲るように言ってやる。

「フィサリス、ルピー、クインス、カルミア、みんなあなたが殺した魔女でしょ?」

四人の魔女の名前。それでアルバの感情を逆なでできると思っていた。

ところが――

彼は、ただ悲しそうに、わたしを見ていた。

わたしを憐れむみたいに見つめただけで、ただ無言だった。

「なによ……、なんとか言いなさいよ!」

アルバはゆっくりと立ち上がり、転がった棒を拾いに行く。

手に取った棒で再びわたしと向き合った。

「……続けよう」

彼は立ったまま、棒の先っぽをこちらに向けた。もうそこに殺意みたいなものは感じない。

「いつかお前から一本とってやるからな……」

傷だらけの顔で、嬉々として言った。

なんでだよ。

なんでそんな楽しそうに笑うんだよ。

殺した魔女の中には、きっとアルバが殺したくない魔女だっていたはずだ。

涙流すほど痛いだろ。苦しいだろ。悔しいだろ。

床を蹴って跳んだ。

湧き上がる苛立ちをぶつけるように、彼の脳天めがけてエモノを振り下ろした。

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