五日目
平手打ちをした瞬間、アルバの体が毬のように転がった。
床に顔面を派手に打ち付けると、グチャという嫌な音が響いた。
「ぐぅ……」
彼の鼻から垂れ流された血が、白い床に飛び散っている。
這いつくばるアルバを見下ろしながら、わたしは微笑んだ。
「床、後で綺麗にしてね」
彼の表情は痛みに歪んでいる。少しやりすぎただろうかとも思ったが、そんな思考はすぐに振り払った。
もうこいつに思いやりなんてものを抱く必要はないんだ。
だってもう、わたしを愛してなんてくれないんだから。
「これただの座学だよね……? 間違っただけで殴りつけるのはどうなんだよ……」
「殴ってないよ。ビンタだもん」
「うわぁ……やさしいね……」
「それにこっちの方が頭に入るでしょ?」
左手で学術書を持ち、アルバが間違った解答をしたら右手で平手打ち。単純なルールだ。しかもこの平手打ち、魔力で攻撃力を高めている。
先生をやるにあたって二日ほどで指導方針を決めた。
といってもアルバをどう痛めつけるかに重きを置いている。
「痛いのが嫌なら早く防御魔法を使えるようにならないとね?」
「ははっ……教師は教師でも暴力教師ってわけね……」
彼はへらへらと笑っていた。納得したのだろうか。こんなルールに?
わたしが適当に考えたのだが、まだこれを受け入れるくらいに心に余裕があるみたいだ。
ひそかに、爪を噛んだ。
一度追い詰められている彼なら、早々に嫌になって泣き言をいうと思ってたのに。
「まあでも、初日だったらこんなもんか」
まだ今日が初めての授業だ。
心が折れるのにはまだ早いってことなんだろう。
わたしは懐からあるものを取り出して、床に叩きつけた。
「じゃあ次はこれね」
「……え?」
突き刺さった刃物が、真っ白な床で存在感を放っていた。
それを見たアルバは面白いほど顔を引きつらせている。
「間違ったら、左手にぶっ刺す」
「正気か……?」
「ええ、正気」
床に倒れている彼に近づいて、しゃがみ込んだ。わたしが顔を近づけると、血の気が引いたようになる。
「めちゃくちゃ痛いから覚悟してね。あ、でも安心して、すぐに魔法でわたしが治してあげるから」
だから、死にはしない。
「痛いのは、三分ぐらいにしよっか。三分経ったら治療してあげる。その繰り返し。あんまりひどい解答が続くようなら、治療までの時間を五分に延ばす」
「血は流れるよな……? なんかどんどん弱っていきそうな気配がするんだけど」
「おお、なかなかいい洞察力ね!」
彼に笑いかけた次の瞬間――
「……ぐぎッ!?」
掴んだナイフを素早く彼の手のひらに刺した。
「ほら、試しに実演してあげるから、布を口に入れて」
彼の口に白い布を押し込んでから、突き刺さったナイフを握りしめる。
「んぐぅ……!?」
右回りにねじる。すると肉を突き抜けた刃が、さらに傷口を広げるように裂いていく。
「電撃のような痛み、その後全身に広がって、蝕まれていくような痛みに変わるの」
「ん――!!」
布がないと、舌を噛み切ってしまうかもしれない。
そして、ナイフを抜き取って、刺した方の彼の手を、自分の手と重ねた。
「ん……ッ、ん……ッ」
彼は涙を浮かべながら、体を震わせていた。
人は痛みに弱い。驚くほど弱い。わたしはそれをよく知ってる。身を以て体験したことがあるからだ。
「ごめんね。今回は間違ったわけじゃないから、すぐに治してあげる」
よかったね、と彼の耳元で囁く。
彼の瞼が、不憫に思えるほど小刻みに震えていた。
「ん……ぅ……」
そして彼の瞳がだんだんと虚ろになっていき、ほどなく気を失ってしまう。
「わかる? わたしの治療は、あなたから流れた血もあなたの体内に戻してあげられるの」
特殊な魔法を使用している。その詳細を彼が知る日は、たぶん来ないだろう。
彼じゃそこまではたどり着けない。
きっと心が壊れて、いつかわたしに牙をむく。
その日が来るのを心待ちにしている。だからこんなにも、わたしは心穏やかでいられる。
「感じるのは痛みだけ。痛みに慣れてない間は、刺されるたびに気を失っちゃうかも」
気を失った彼の頭に手を置いた。
「でも大丈夫、間違えなきゃいいんだよ」
気を失っている彼には、もうその言葉は届いていない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます