二日目
彼――アルバをわたしの住まいに引き入れて、次の日の朝。
目が回るほどの忙しさは落ち着き、わたしとアルバ、二人の生活が始まった。
ここまでの経緯としては……わかりやすく言えばこうだ。
アルバの周りにはたくさんの女の子がいました。
その内の一人の女の子は、アルバのことが好きで好きでたまりませんでした。
ある日、女の子はアルバの周りから他の女の子を遠ざけ、孤独にさせようとしました。
独りぼっちになったアルバに手を差し伸べ、女の子はアルバの一番になろうとしたのです。
ですが最後の一人が、なかなか彼のそばから離れてくれません。
最終的に二人は愛を誓いあいました。
女の子は絶望し――
……絶望し、彼に愛されないぐらいなら……。
「殺された方がましだと考えた……」
リビングのソファに腰掛けながら、白い天井を見つめた。真っ白な色が、今のわたしの心そのもののように思えた。もうなにもない。手からこぼれ落ちたものは戻らない。信頼とか、愛情とか、全部、壊れてしまった。
計画を全部ぶち壊して、彼を強引にこの閉鎖された世界に連れてきた。
彼にとっては望まない転居だったにちがいない。
だから、わたしと関わることすら拒絶して、しばらくは自室に引きこもるんじゃないかと予想していたのだ。
ところがリビングでくつろいでいたわたしの前に、朝になって普通に姿を現した。
ちょうどソファで横になっていたところだったので、不意討ちだった。
わたしは慌てて乱れた服を整えてから起き上がった。
「おはよう」
返事は無かった。むすっとした顔を一瞬わたしに向けただけだ。
すぐそばにアルバがいる。
朝目覚めてからすぐ、彼と顔を合わせられる状況というのは、なんというか、ものすごく新鮮だった。
昨日までの出来事も夢ではなかったんだと、あらためて実感していた。
「な、何か食べる?」
やはり返事は無い。頑なに、わたしの顔は見ない。
「食べないと、死んじゃうよ?」
彼はそのときはじめてわたしを見た。
憎々しそうな目。
その瞳は、きっと二人の関係が、今後二度と良好になることは無いということを意味している。
自分の悪行のすべてを彼に打ち明け、わたしはこれからに期待するのをやめた。
彼を愛する人から引き離して、わたしの家に監禁した。
加害者と被害者――それがわたしたちの関係だった。
簡単な食事を用意した。
同じテーブルに着いて、一緒に朝食をとった。
会話はなかった。
なんの色もない真っ白な室内で向かい合うように座っている間も、彼は眉を寄せて難しい顔をしていた。ずっと考え事をしているみたいだった。
「紅茶いれる?」
食後にわたしがそう提案すると、彼は少し驚いたように目を見開いてから「じゃあ……」とうなずいた。
二人で紅茶を飲みながら、一息つく。
静かな部屋に、今はわたしではない人の息遣いが聞こえてくる。彼を見ると、ちょうどわたしと目が合った。
アルバからの視線は、居心地の悪さを感じるくらいには剣呑だった。
その視線をやり過ごして、ティーカップの縁に口を付けた。
「いつまで一緒なんだ?」
すると突然、彼はわたしに尋ねた。
「部屋は別にしたでしょ? 昨日あなたが文句を言ったからよ」
「ちがう、僕が聞いてるのは、いつまでお前とここで暮らしていかなきゃいけないんだ、ってことだ」
彼の口調は淡々としていた。わたしと口論することすらしたくない、という意図が見えた。
人差し指を一本だけ立てて、彼に微笑んだ。
「ひとついいことを教えてあげる」
「いいこと?」
「あなたはわたしに一生分の時間をささげたの。その時間は、あなたが生きている間には訪れないし、勝手に死ぬことだってできない」
意地悪な言い方をしてる自覚はあった。悪人も板についてきたってことなんだと思う。
アルバは、数部屋を行き来することしかできない真っ白な部屋に閉じ込められている。
アルバが愛した人――リナリア・センチェルという魔女の危機を救うことを代償に、わたしと破ることのできない誓いを立てたからだ。
今のアルバは絶対にこの空間から抜け出すことはできないし、自分の意思で死ぬことだってできない。
そういう契約を交わした。
もう二度と、彼がわたしを裏切れないようにするために。
「無駄な希望はもたない方がいいよ。それよりもさ、もっとこれからのことを考えよ? 今君ができる中で、楽しく過ごせる方法について考えるの。どうせ逃げられない暮らしなら、楽しい方が良いでしょ?」
彼からの返事は無い。視線を下げ、目をつむっている。
二人きりとなったこの空間で、目の前には自分を陥れたわたしだけがいる。
逃げ場はどこにもない。
ひしひしと感じる彼からの刺すような空気が、いっそのこと実体を持った刃になってわたしの体を貫いてくれればいいのにと考える。
殺意のままに、わたしを殺してくれればいいのにと考える。
この先、彼に恨まれながらここで暮らしていくくらいなら、彼に殺されてしまうのも悪くない。
今のわたしの気持ちはそんな方向にシフトしていた。
わたしは不死身だ。普通の傷では死に至らない。
でも彼は特別だ。
わたしを唯一、殺すことができる。
彼は不死身の魔女を殺すことができる。
「楽しくってどんなだよ?」
そんなこと、聞かれると思わなかった。
「ん? えー」
まさかわたしと楽しく過ごす気があるわけないだろうに。
「例えば――わたしと、閨を共にするとか……」
アルバは半眼でわたしを睨むと、あからさまに疲れたような顔でため息を吐く。なんだか腹の立つ反応だった。
「それがお前にとって楽しいことなのか?」
「そうよ……」
「愛してもない男とそんなことしてなんになる」
あいしてない?
「わたしがここまでお膳立てしたのはなんのため? 今この瞬間のためだよ? あなたとここで、二人きりになるために決まって――」
アルバは、じっとわたしを見てる。まるで何もかも見透かしているような冷たい瞳だった。
「だ、だから、愛してるのよわたしは! あなたのこと!」
「お前は、自棄になってる」
冷たい声だった。機械みたいだった。
「どうせもう好かれないと思ってる。殺されても良いって思ってるだろ?」
胸の内を読み取られたようで、息が詰まる。
先ほどまさに、彼がわたしに刃を向けることを、期待していた。
「お前の考えてることはもうなんとなくわかるんだよ。お前は今ここで僕に殺されても構わないと思ってる。ちがうか?」
わたしは、押し黙った。
「無言は肯定だな」
彼の顔を睨む。不服という気持ちが、わずかでもあったからだ。
「つまりお前は僕を愛してなんかない」
でも、まっすぐな目で言われ、何もかも見透かされているようで、わたしは自然と目を逸らしていた。
「決めつけないでよ……」
言い返そうとするが、苦し紛れな言葉しか出てこない。
「自分がどうなっても構わないから、適当に振舞ってるんだ」
「決めつけるなって言ってるでしょ……!」
イライラしはじめていた。
「まあ、本当のところはわからないけどな、でも――」
彼はそう区切ると、自信ありげな表情でわたしを指さした。
「少なくとも僕は信じない。僕みたいなへんくつな男を好きになるのはお師匠くらいなんだよ」
そう言って、ふんと鼻を鳴らす。
「覚えとけよ、魔女」
「自分で言ってて哀しくならない?」
「……少し」
アルバはわざとらしく咳払いをした。
「だからさ、一つ方針を決めようと思ったんだ」
なにが、だから、なのだ。
うって変わって軽い口調になったアルバに、わたしは睨みながら言い返す。
「方針ってなによ……」
「リセットだ」
「リセット……?」
「お互いギスギスした状態でこの先何十年も一緒に過ごしていくなんて耐えられないんだよ。だから一旦リセットしよう」
「リセットってなによ……」
意味がわからなかった。本当に殺してくれないのかと不安になった。
他の選択肢なんてはじめから想定していないんだ。
すると彼は、実に緊迫感の無い態度で言った。
「お前、僕の魔法の先生になってくれよ」
「なに?」
魔法の先生――?
「だらだらと二人で無意味な時間を送るより、そっちの方が生産的だろ?」
予期しない提案だ。先生ってなんだ。
「目標は必要だ」
彼の目は真剣で、切実な様子だった。
「こんななんにもない世界で、二人っきりで、ただ惰性で過ごすのか? 僕にはそんなの耐えられない」
だから、わたしに魔法を教えて欲しい――?
わたしにはそれが何の意味をもたらすのかわからなかった。
「今更そんなものを学んでどうする。どうせここであなたの寿命は尽きるんだよ」
「それでも、お前には僕の先生になって欲しい」
「無意味でも?」
「無意味でも」
本気でわたしに先生になれと言っているみたいだ。
それ以上、恨み言の一つも言いやしない。
だから、リセットなのか。
「あえてわたしと、関わるっていうの? あなたの大事なものを奪ったのに? とんだおバカさんだね」
「そうだよ。察しがいいな、ばばあ」
瞬間、目の前で火花が散った。
「なんですって?」
「ババアだろ。一万歳のおばあちゃんだろ」
どうやら、本気で喧嘩を売ってるらしい。
「言っただろ。ギスギスしながら過ごしていくのは嫌なんだよ」
たった今ギスギスしはじめたところだ。
「だからお前には、僕に魔法を教えて欲しい」
そう言って、彼は無邪気に笑って見せた。
「ってことで、改めてこの質問に正直に答えろよ」
なんの思慮もない瞳で、わたしを見つめる。恨み言も、辛いことも飲み込んで、
「お前は今、僕を愛してないだろ?」
彼は先ほどと同じ質問を投げかけてきた。
「……」
愛されないなら、死んだ方がマシだ。
愛してくれないなら、関わるなんて苦痛なだけだ。
それを、見透かされている?
もう一度、彼の目を見た。何かを決意しているかのように、口元を引き締めて、わたしを見つめている。
どうあっても、彼はわたしを殺す気がないらしい。
先生と生徒というあいまいな関係に落ち着こうとしている。
これは彼なりの、仕返しなのかもしれない。
死んで楽になんて許さない、ということなのかも。
歯を見せて笑ってやった。
「愛してない……」
上等だと思った。これはわたしへの報復だろうけど、わたしにだって歯向かう準備がある。
今ここで、わたしに怨嗟を向けない――殺してくれないなら、そうなるように仕向ければいい。
先生でも、それ以外でも、恨まれ役を買って出ればいい。
それに彼には魔法の才能なんてものは無い。魔術に向き合う資格も、覚悟も、半人前だ。
ずっと彼をそばで見てきたからわかる。
彼は、ただ周りに翻弄されるだけの、弱い人間だ。
愛情を育むのは難しい。でも嫌われるのは簡単だ。あっけなく壊してしまえる。
「愛してないわ。あんたみたいな頑固野郎なんて」
だから徹底的に壊してやればいい。
二度とそんな甘い考えに走れないぐらいに、彼を追い詰めてやればいい。
「だよな」
彼はまた笑った。
すっとしない、気分の悪さに一瞬だけ襲われた。
でも、本当にほんの一瞬だ。
「それが今の僕とお前の関係ってことだ、ババア」
「先生と呼びなさい」
先生と生徒――望むところだ。
わたしは腕を前に組んで、アルバを睨んだ。
「いいわ、暇を持て余してたし、望むとおりにしてあげる。言っておくけど容赦はしないからね」
彼はきょとんとしている。今日見た中で一番の間抜け面だ。
「望むところだ、バぶ――!?」
バチィーンと、間髪を容れずに彼の頬に平手打ちを叩き込んだ。
床に転がったアルバを一瞥し、ティーカップを手に取る。紅茶の残りを啜る。一息ついてから、低い声で告げた。
「先生と呼びなさいと言ったでしょ。ぶん殴るわよ」
倒れた彼は、自分の頬を押さえながら涙目で言った。
「もう殴ってんじゃねぇか……」
そうやってわたしと彼は、先生と生徒という関係になった。
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