ひとりぼっち、ふたりぼっち

   白白明



 リナリア直伝の法陣を伝授された翌日――

「おじゃましまぁす……」

 その日はなんとなく、扉を開ける手が重かった。

 中は、静まり返っている。白い空間が視界に広がり、後ろ手で扉をゆっくりと閉める。静寂の中に、何か不穏な気配が漂っていた。

「きたぞー」

 いつもの迎えがないことに不安を覚えた。二日ぶりなのに、空間全体の空気が重く淀んでいるように感じる。

 一歩、前へ踏み出す。

「こんにちは」

 すぐ背後で粘着な、纏わりつくような声がして、びくりと心臓がはねた。振り向くと、アイビーが笑顔で立っている。

「び、びっくりしたぁ……い、いたならすぐ出てきてよ……」

「ちょっと驚かせようと思って」笑顔で、立っている。

「ずいぶんお久しぶりね。心配したのよ」

「う、うん。二日ぶり。昨日は来れなくてごめんね」

 まあそんな義務はないが、一応の謝罪はしておく。

「なぜ、前回はこなかったのかしら?」責めるような声音だった。アイビーは依然として笑顔だったが、目は笑っていなかった。

 昨日顔を出せなかったことを怒ってる?

「ちょっと昨日はばたばたしてて……朝にこっちに来る時間が取れなかったんだよね」

「……ほう?」そこでついに、彼女から笑顔が消えた。

「お、怒るなよ。悪かったって、そういう日もあるよ」

 アイビーの様子がおかしい。たった一日の間になにがあったというのか。

「あなた、夜も来るようにしなさい」突然そんなことを言う。

「なんだよ藪から棒に」

「それぐらい大したことじゃないでしょう? あなたにとっては十数分程度のことじゃない」

「なんで急に? 何か手伝ってほしいことでもあるの?」

 力仕事ぐらいはできないこともないが、この空間で特にそんな作業があるとは思えないぞ。

 発案したアイビー本人は沈黙した。口を閉じ、顔を真っ赤にして震えている。湧き上がる激しい感情を、必死に抑え込んでいるように見えた。「お、おい」こちらまで肩に力が入る。

「た、耐えきれないのよ」絞り出すような声で言う。「三か月も独りっきりになるのは、我慢ならないの……」

 耳まで真っ赤にして出した言葉に困惑する。独りっきりが? 耐えきれない?

「今まで独りっきりだったのになんでまた?」

「これは心情的な問題、なのよ」

「はぁ……」

「わかる!? これは心情的な問題なの!!」

「落ち着けよ……」

 急に怒鳴られると心臓に悪い。

「むず痒いのよっ、もやもやするのっ! 三か月って微妙よ! 微妙に長いのよ! 一年にたったの四回ってどんだけよ!」

 三か月、言われてみれば、漠然と日に一回というのを習慣づけていたけど、こっちではそういう感じなのか。

「いやでもあの、さ。言っちゃなんだけど、こっちは別に一日一回君に会いに来る義務とか、そんなのなかったよね?」

 そういう取り決めはなかったはず。ただ自然と、足を運んでいただけだ。しかしその言葉は鎮静剤ではなく、起爆剤だった。

「何よその言い方、もう来ないなんて言い出す気?」空気も、凍った。

「私は夜も来てと言ってるのに……っ、減らすなんてどうかしてるッ! あんた私に恨みでもあるの!?」

「お、落ち着いて……。別に来ないとは言ってないぞ。来る決まりがないと事実を口にしただけだ……」

「ここを安眠するために利用しているくせに」彼女は半目で言った。うっ……と変な声が出るほどに、否定できない。

「利用するだけ利用して私を捨てるなんて、最低だわ」

 いったいこの子は自分のなんなのだろう。

「そのあとはちゃんと起きて相手をしてるじゃないか」顔を引き締め、言葉に誠意を込める。誠意って大事だよね。

「まあ仮に睡眠だけとってここを出て行ってたら、私、お前を殺してるわよ」

「で、ですよね……」

 ぞっ、とするような笑みだった。

 どうしよう。目の前でヒステリックに声を荒げている少女と、どう付き合っていけばいいのかわからない。ヘタに敵対できない。機嫌を損ねたままでは、後にめちゃくちゃなことをやりかねない。かといってアルバが譲歩するにも限度がある。

「あの……、夜にもう一度ここにくるから、それでいい? それ以上増やさないっていうなら、夜も顔を出すようにするよ」

 ここは相手の要求を汲みつつ、状況の悪化を防ぐしかあるまい。

 彼女に笑顔を見せながら、顔色をうかがう。キンと張り詰めた空気はなくなり、アイビーの表情も先ほどのような怒りの形相は鳴りを潜め、落ち着きを取り戻しているかのように見える。

「なんでそんなけちけちするのよ」

「……え?」

 一瞬何を言われたのか理解できなかった。

「少なくともあの白髪の魔女には一日の大半をささげているじゃない。それなら私に一時間ぐらい時間を割いても罰はあたらないでしょ?」やっぱり何を言われてるのか理解できない。

「一時間って、百時間ってこと?」

「一時間であることには変わらないでしょ。散歩にでも行ったことにして、こちらに来ればいいのよ」

 さも当然のように言う。

「……あのさ、自分がかなり無茶言ってるって自覚はある?」

「ないわね、当り前のことしか言ってない」

 当たり前ってことはないだろ。

「別に何かしろって言ってるわけじゃない。ただここにいればいいのよ」

 アルバは顔をしかめる。「居ればいいって、それ意味あるの? そんな熟年夫婦じゃあるまいし」

「夫婦……」軽はずみに口にしたアルバの言葉に、彼女は仄かに顔を赤らめる。いや、なんだその反応。

「と、とにかく、意味があるか無いかは私が決めるの。学のないお前が思考する必要なんて皆無よ」

 なんでそんな上から目線なの?

「そもそも僕じゃなくてもさ、他の誰かをここに連れてくればいいんじゃない? 話し相手ぐらいにはなれるでしょ」思い付きにしては我ながら的確なアドバイスだ。

「それは無理ね」あっけなく言われる。

「たぶんお前以外の人間をここに連れ込んだら、のたうち回って死ぬわよ」

「なんでだよ」

「前に話したでしょ? 私の呪いは体感時間を大幅に引き上げるのよ。無論、それに同期させているこの空間にいる人間も同じ呪いが付与されることになる。普通の人間がなんの代償もなしに一分を百分に引き延ばせると思う? バカじゃないの? パン生地を潰して極限まで薄く引き伸ばしするようなものよ」

「引き延ばしたパン生地は、それでも焼けば美味しく食べられ――いだ!」

 頭を叩かれた。

「体感時間の引き上げは想像を絶する負荷がかかるわ。血液の脈動が尋常じゃなく速くなって終いには沸騰するわよ。常に全速力で走っているようなものね。文字通り想像を絶する苦しみよ。休む暇さえ与えられずに体内の器官を酷使され続け、数分も経たずに血反吐を吐いて死ぬわ」

「……」

 さらりとえげつない真実を口にするアイビーに絶句する。だが、ちょっと待って欲しい。

「じゃあなんで君は無事なんだよ。その理屈なら今ここで君が苦しんでないのはおかしいだろ?」

 嘘つきやがったな、とアルバは勝ち誇ったように指を突き付ける。

「私は不死身だからね、最初はその負荷に何年も苦しめられたけど、徐々に体が適応していったわ。それまでに何度死んだかはわからないけど」

 さらに恐ろしい事実で返され、アルバは指をさしたまま硬直する。

「い、いや、でもまだおかしな点がある。僕がここで無事なのも変だ」

「お前は、魔女の呪いを無効化するじゃない。それと似たような原理なんじゃない?」

 彼女は投げやりに言い捨てた。

「だいたい……、一日一回って言い方が気に入らない。なにお前の物差しでものを語ってんのよ、バカ」

 バカ、いただきました。ちょっとカチンときた。

「というかさっきから言うに事欠いてストレートにバカってか? 一万年生きてきたくせにその語彙の貧弱さ、驚愕ですね! 本当に一万年も生きてきたんですかね?」

「なんですってぇっ!?」彼女は顔を真っ赤にして怒鳴った。

「図星ですか!? 怒らないでくださいおばあちゃん!」もう止まらない。思いつく限りの罵声を口から垂れ流す。

「だまれよバカが! お前の一日が百日になるってちゃんと説明したでしょ!? 何ナチュラルに九十九日も放置してんのよっ! なに一回来るのをさぼって二日ぶりだとかほざいてんのよっ!」

「うるさい知るかボケ! なんでもあんたの都合でこっちが行動できると思うなよ! カス!」

「この野郎……っ! その生皮剥いでゴミスクロールにしてやりゅぞ!」

「今噛みました!? 噛みましたね!? ぶくく、やれるもんならやってみてくだしゃーい!」

「ぶっ殺す!」

 アイビーはアルバにとびかかる。なんだこの、とアルバも首に掴みがかってきた手を掴んで振り払う。もみくちゃになる。

 低俗な罵倒の横行がいつまでも続いた――時間の余す限り続いた――


 数時間後――

 ぜいぜいと息切れしている男女二人が、床の上に転がっている。

「なかなかやるじゃない……っ」

「ふはは……今日はこれぐらいで勘弁してやるよ……」

「ぐっ……、それはこっちのセリフよ……っ」

 無駄な体力を浪費した。見ればもう、こちらに来てだいぶ時間が経過している。

「いいかアイビー……、お前との決着はまた次回だ……っ! それまでにその貧弱な語彙を何とかしとけよ!」

「ん゛あ……っ!? お、お前こそ次回までにその無礼な態度をどうにかしてきなさいよっ!?」

 先ほどまで取っ組み合いの喧嘩までしたというのに、再び不穏な空気が充満してくる。

「ふふ……っ、だいたい師匠とやらの教育の悪さが露見してるのよ……。師弟共々、人並みの礼節を学んできなさい」

「お師匠の悪口は言うんじゃねぇよ!?」

 こいつ、こりてねぇ。アルバは目をむくが、それ以上の怒りを飲み込むよう努めた。とりあえず過剰な要求はうやむやになった。それだけは喜ぶべきところだろう。まだ冷静になれる。アルバは呼吸を整える、気分を落ち着かせた。落ち着いた。

「そ……それといい? 一日三回……だからねっ」

 アイビーが息荒くしながら顔を赤らめてそう言い放つまでは。

「さささささりげなく増えてんじゃねぇか貧乳! ふざけてんじゃねぇぞ貧乳!!」アイビーの慎ましやかな胸部を指さしながらの暴言。これには彼女も今日一番の恥辱と憤りで顔をぼんと爆発させた。

「に、二度も貧乳とか言うんじゃねぇえええクソガキぃいい!!」

 そうしてまた不毛なやり取りが再燃していく――


「やっと解放された……」

 結局一睡も容赦されず口喧嘩だけで亜空間を抜け出すことになった。

 眠るどころか、疲れが倍増だ。部屋の時計も信じられないことにまだ朝の七時くらいを指している。

「どうしてこうなった……」

 最終的にアイビーの元へは隙を見て日に三回顔を出すことになった。ここまで譲歩したからには遠慮なく活用させてもらおう。ぼーっとする頭を奮い起こしながら家のリビングへと向かう。

「アルちゃん!」

 リビングにたどり着くと、ソファに腰を掛けるルピーと鉢合わせになる。

「ルピーだけか……」

「リナリアは今お風呂入ってる。というか私のことはお姉ちゃんでしょ」

「それ、まだ続いてたんだ……」

 どっからどう見てもお姉ちゃんっていうビジュアルではないのだが、それに突っ込むとまたややこしいことになるのでもうお姉ちゃんでいいや……。

「どこに行ってたの?」ルピーはきょとんとした瞳をこちらに注いでいる。

「ああ……ちょっとガス抜きに行ってた」

 ヒステリック女のガス抜きだ。ルピーは少し怪訝な目をした。

「下品よアルちゃん……。お姉ちゃんの前だからってそういうの……」

 意味を履き違えていた。しかしその勘違いを訂正する気力もわかず、クッションの上に突っ伏す。

「ちょっと、横になるよ……。気分が悪くて……」

 ルピーは心配そうに「大丈夫?」とそばに歩み寄る。突っ伏しているアルバの背中を優しくなでてくれる。

 アイビーとは天と地ほどの差がある彼女の行動に泣きそうになる。楽園は、ここにあったのだ。彼女の柔和な声、優しい匂い。このまま微睡に身を委ねてしまおうか。

「ぽんぽんが痛むの? お姉ちゃんが痛いの痛いのする?」

「知能指数が下がりそうなこと言わないで……」

 うとうとと、意識を手放そうとしていたそのとき、

「ん? んん?」とルピーがなにやら不穏な声を発した。

「なんか、別の女の臭いがする」

 心臓がドクリとはねた。

「誰かと一緒にいたの?」

 アルバは突っ伏した体勢のまま、自分を見下ろすルピーの空気が急変したことを確信する。

「お、お師匠の匂いじゃないかな……」

「口調、乱れてるよ」聞いたこともないような恐ろしく低い声だった。というか普段の愛らしい口調すら変貌している。

「どこのどいつにマーキングされたの? お姉ちゃんに正直に話しなさい!」

 ルピーの顔には、先ほどのあどけなさは全くうかがえなかった。暗闇に潜む猛獣のように目を見開き、アルバにぞっとするような視線を投げつけている。

「落ち着いてお姉ちゃん……」

「ごまかさないで言うの!」

 落ち着けと、今日何度目かもわからない気休めの暗示で、気を落ち着かせる。

「この廃墟にお師匠とルピー以外の子がいるわけないだろ? だってほら、お師匠もルピーも面倒な体質だし」

「おん? んぅ……まあ言われてみれば」

 あぶない。冷静な切り返しに、ルピーは負のオーラを引っ込めてくれた。どうやら納得してくれたようだ。

「あはは……、分かってくれてよかった」

 リナリアと違って、ルピーは物分かりが良い子だ。こういうところは大変ありがたいと思う。

「ん? んんー??」

 再びルピーが不穏な声を発する。今度は何だと、身構える。早々、先ほどよりもやばい空気にはならないだろうと、まだ楽観していた。その予想は、最悪の形で裏切られる。

「なあにこれ?」

 彼女は何かを指先につまんで、アルバの鼻先にかざした。

 それは、細く長い……、黒い髪の毛――あいつのだ……。

「誰の毛かな?」目が、笑ってはいない。「黒髪だから、私のでも、リナリアのでもないよね? それに獣にしてはきめも細かいみたい」

 あらゆる、可能性を、軒並み、封殺されていく。

「ねぇ、だれよ」

 ぐにゃりと、視界が歪んだ。

「み、身に覚えが、ないとしか……」

 そもそも、紹介できるような存在じゃない……。

「じゃあリナリアに相談してみるね」

 ルピーはほくそ笑み、立ち上がった。アルバから距離をとり、自然な足取りで、出口に歩き出そうとする。咄嗟にその足にしがみついた。

「それだけはほんと、マジで、やめてくださいっ!! おねがいします! おねがいします!!」

「ひょわぁ……っ!? ちょっと!」足に額を擦り付けるアルバに、ルピーは別の意味の悲鳴を上げる。

 謝罪は大事だ。あらゆる状況を打破する可能性を秘めている、と思う。

「リ、リナリア――っ!!」

「やめてえぇぇぇぇ!?」

 ただ今回は旗色がかなり悪そうだった。

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