第2話 きっと。

1992年〇月✕日。兄が生まれてから約7年後に母親によってこの世に産み落とされた。

この年の出来事を調べると、ほとんどのメディア媒体がX JAPAN 日本人アーティストとして初の東京ドーム3daysライブの事を記載している。非常に喜ばしい。その理由はまた後ほど。


両親は共働きだったが故に、幼稚園や小学校での授業が終わると祖母の家に戻り絵をひたすら描き殴っていた。

幼稚園の頃は割と活発的な性格だったものの、物心が着いた頃には人見知りで引っ込み思案。

親戚の集まりですら躊躇していた。

体操クラブやピアノなどの習い事でヒーヒーしていたのも記憶に残っている。

自称ヤンキー上がりの母親は手が早い。

兄、私関係無く手を上げる。

ピアノの音符がなかなか読めない時には、髪を引っ張られベランダに出された。


「お前は何でー…」

から始まる怒鳴り声。


とにかくすぐ怒鳴る。

慰め役は決まって父親。


でも不思議と好かなかった。

寂しさや虚しさはその頃から持っていた。

それが原因なのかは定かではないが、左手の親指に2cmほどのカミソリの切り傷が今でも残っている。


その当時に、母親の化粧品が置いてある棚から取りだして自ら切ったのだ。

血が止まらずタクシーで夜間外来にかかり、数針縫う事になったのは覚えている。

痛みはさほど無く、渦巻く感情から衝動的に行ったものならば、早すぎる自傷行為だった。

27年経った今でもたまに夢で見るほど、脳内に焼き付いているらしい。


中学に上がって間もない頃までは、父と母、兄、父方の祖母、今は亡き愛犬、私含め6人家族であった。

特別貧しくも無いが、裕福でもない。

他者から見たら普通の団地に住んでいたつまらない家庭だろう。

直に離婚もするが、その最終判断も子どもに委ねるという家庭。


蓋を開けても普通の家庭だったであろうか。

いや、今思うと少なからず変わっていたはず。


きっとね。

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