7 アーメン

 ニトロを打ち込む為に距離が近かった酒楽は、寄ってくるゾンビに銃を構えようとするがゾンビの方が動きが早く、あっと言う間に距離を縮められ、岩を投げつけたような強烈な拳を喰らう。


 酒楽は一撃を食らう寸前に胸を両手でガードし防ぐも、その衝撃は凄まじくベッドの対象となる壁へ、宙に放られた人形のように吹き飛ぶ。


 彼のヘアーカラーであるピンク色が、残像だけ尾を引いて壁へ激しく激突した。

 自分は彼の安否を知る為に、駆け寄ろうとするも、怒声を浴びた。


「近づくな!」


 思わず足を止める。

 酒楽は打ち所が悪く額から流血するも、立ち上がり念を押す。


「死にたくなかったら近寄るんじゃねぇ」


 確かにこれは近寄り難い場面だ。

 違法薬物を取り締まる側の者として、悔やまれる。

 今、自分に出来ることはレンズを向け、この現状をありのままカメラに記録することだけだ。


 ゾンビが再び彼を襲おうと疾風のごとく駆け寄る。

 だが、今度は充分な距離も取れたので、銃口を窓へ向ける隙があった。

 寝そべる酒楽は片手で腰のホルスターからベレッタM八五を抜き取り、銃口をゾンビの足へ向け二発発砲。


 密室でここまで銃声を鳴らされると、鼓膜が激しく揺さぶられ、脳が痺れる。

 射出された弾丸は、一発目がゾンビの左くるぶしをかすめて外れる。

 続く二発目は左のスネに命中し枝を割るような音と共に、砕けた骨が露出する。


 ゾンビがつまずくようによろけると酒楽は半身を起こし、銃把グリップに片手を添える。

 両手で構えたことで狙いが定まり、さらに発砲。

 命中精度が上がり三発目、四発目は右太ももへ命中し、風船が破れるように腐りかけの肉が破裂。


 ゾンビは前のめりなり転倒し機動力を奪われた。

 銃の命中精度は射出の反動や腕力による押さえ込みを考慮すれば、まとに当てるだけでも難しく、どうしても訓練は必要になる。

 近距離とは言えピンク髪の男は、一瞬で狙った箇所へ連続で銃弾を撃ち込む、器用な芸当をみせた。


 しかし、ここまでに彼が発砲した銃弾は七発。

 M八五に装填された弾は八発。

 変則的なことがなければ、弾丸は後、一発しかない。

 その一発をどう活かすつもりなのか?


 ゾンビは起き上がろと両肘で上半身を起こすが、足の筋肉が損傷したことで立ち上がることができない。

 崩れかけの泥人形となったソレは、膝をつき半身を八の字になるよう、フラフラと揺らすことしか、できなくなってしまった。


 ピンク髪の取締官が立ち上がり、近付こうとするとゾンビは興奮しだす。


 頭を両手で押さえ振り子のように大きく揺らしゾンビは頭を抱えて、何度も床に額を打ち付ける。

 それは自身が冒した過ちへの後悔に苦しむ姿にも見えた。

 屍は床にうずくまり小動物のように震えて大人しくなる。

 酒楽はその光景を見て、哀れむように語りかけた。


「苦しいだろ? 薬物ドラッグの苦しみが、お前を蝕んでいる証拠だ。今、楽にしてやる」


 酒楽取締官は地に伏せるゾンビへ歩み寄り、眼下に置く。

 ゾンビの後頭部に銃口をむけ、聖者を気取るように語りかけた。


「天にまします我らが父よ。願わくば、この者の悪しき魂を――――――――」


 言葉が途切れると彼は、おどけて見せる。


「忘れたから、続きは神様に聞いてくれ」


 急遽、ゾンビが顔を上げ酒楽とゾンビと目線が合う。

 彼がかざした銃口はゾンビの眉間に位置が移り、ゾンビは遠吠えを轟かせ、肉を食らうライオンのように口を開け広げた。

 目の前の生きた肉に食いつく為、立ち上がろうとした瞬間。


職務完了アーメン――――」


 銃声と共にM八五が火を吹いた。

 眉間へ銃弾を放つとゾンビの顔面から貫通し、まるでトマトを勢いよく踏み潰したように、肉片、頭蓋、そして脳ミソをぶちまけながら後頭部を貫く。

 

 頭を吹き飛ばされたゾンビは、膝をついたまま両手を広げ、腰から上を背面へ仰け反らせて倒れた――――。


>C10H15N


 新宿のホテル街は騒然となった。

 日常ではまず無いであろう、銃声が鳴り響き、その結果、死体ゾンビが出たからだ。


 狭い路地裏を数台のパトカーが封鎖し赤色灯昇降装置パトランプをせり上げ灯火を回して、紫や緑のネオンをペンキで塗りつぶすように、赤く染めていた。

 駆けつけた救急車の後ろでミキは毛布に包まれ、救急隊員に肩を支えられる。

 ドアの空いた後部に座り泣きじゃくっていた。


 ホテル街では女連れの輩共が野次馬となり、皆、黄色の立入禁止テープ越しに中を覗こうと試みていた。


 自分と酒楽取締官は制服警官に身分を明かし、警察官の図らいで人目につかない場所へ誘導される。


 麻薬取締官は潜入捜査が必要となる専門職。

 一般人に顔や素性を晒すわけにはいかない。


 予め建物の影に乗り付けていた、マトリのバンに身を隠し、負傷した取締官の健康状態を確認する。


「酒楽さん。大丈夫ですか?」


「大丈夫に見えるか? モーレツに痛てぇよ」


 額から流血し噛みつかれた上着の袖は、破けて血が滲んでいた。

 違法薬物を取り締まる職員は、基本的には薬剤師などの医療に関わる資格を持つ。

 軽傷なら持てる知識で手当は可能だ。


 しかし懸念するところは、そこではない。


「ではなく。噛まれると、その……」


 ピンク髪の取締官は話を察したようで、鼻で笑いながら答える。


「緑色のゲロ吐いてゾンビになるってか? B級映画の見すぎだ。いいか? アレはゾンビ映画の監督が、映画『ドラキュラ』からパクったんだよ。だからゾンビってのは元々、設定がガタガタなんだぜ?」


「それは、知りませんでした」


「だいたい、むさぼり食うほど腹空かしてるのに、人間に、ちょっと噛りついて後はほとんど残すなんて、おかしいだろ? ゾンビは腐って朽ち果てるだけなのに、仲間を増やす意味は何だ?」


「言われてみれば、そうですね」


「ゾンビは薬物中毒者だ。噛みつかれても、ゾンビにはならねぇよ」


 彼は袖をまくり傷の手当を施そうとした。

 だが、噛まれた腕から血と共に、緑の膿がスライムのように垂れる。

 二人揃って戦慄を覚えた。


「酒楽さん!? 腕が!」


「なんじゃこりゃー!?」


 ――――――――これが「自分」と”酒楽しゅら捌人さばと”取締官との初仕事だった。

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