無慈悲な追跡者プロトタイプ・「走る少年」第2話

 滋賀県でも裸の少年は波紋を起こしていた。




「週休二日の土曜日とは言え侵入を許すとはどういう事ですか」




 とりあえずそういう文句が出るのは当然だろう。中学の敷地内を走っていた訳ではなかったにせよどこの学校周辺でも騒がしい事が多い昨今、ああ易々と侵入を許してはセキュリティが問われると言う話である。


 そして、何より場所が問題だった。


「福井の方では天使とか言われていますが、あれは亡霊じゃないんですか」


 いじめ事件により自殺した生徒のいる学校。そういう陰惨な事件があった場所で何かが起きれば、それと関連付けて考えたくなるのは道理と言う物である。

「背の丈は十歳児程度なのでしょう、それに金髪で真っ白な肌をしていて」

 だから死んだ生徒、すなわち黄色人種の中学生とは関係ないだろ。そう断言できる訳ではない、だが無関係とも断言できない。しかしなぜわざわざ大津市に、そしてその自殺騒動が起きた学校に現れたのか。しかももんじゅに続いてである。


「とにかく確保してから…」


 結局、役所側としてはそう言うしかない。なぜあのような格好であんな場所を走っているのか、本人以外回答を知りようがないのだ。




「上田→岐阜→敦賀と来て今大津にいるって事ですか?」

「ええ…多分」



 そして、偶然にも1日30人程度のアクセスしかないとあるブログの、その内の1人の閲覧者がこの大津市にいた。


「上田や岐阜で何かありましたっけ」

「さあ…」

「その子は上田や岐阜にどれぐらい居たって言うんですか」

「それはその…私に言われましても…いやでもですね、全裸で走り回る子供を目の前で見てすぐ忘れられます?」

「要するにもっとたくさんの人が見ていればもっとたくさん…」


 真っ昼間に全裸の少年が野外を走り回ると言う衝撃的な光景を目の当たりにすれば、印象に残らない方がおかしい。

 写真を取ってアップロードするまでは行かないにせよ、誰かに言い触らしたくなるのが自然と言う物だろう。しかし上田にせよ岐阜にせよ、一人しか見ていない。私も見ましたよと言う類のコメントや、他にもどこかで写真などが上がっていても全くおかしくないはずなのにどこにもないのだ。


「何かあったんですよ絶対、そうに決まってます」

「最近上田城や岐阜で何かありましたっけ?」

「いやその、それは一六〇〇年の上田城の戦いとか…」

「どこが最近ですか!」

「もしかして、これをきっかけに再び問題を蒸し返そうと」

「蒸し返すも何もあの悲痛な事件を忘れようだなんて」

「と言うか、上田と岐阜と敦賀とこの大津、計四ヶ所に現れた子が全て同一人物なんて断言できる証拠はあるんですか?」

「大津城の戦いってのがありましたでしょう」


 関ヶ原の戦いの直前、大津城で京極高次軍三千が一万五千の西軍相手に籠城戦を行い、落城こそしたものの西軍を喰い止めた事は大津の人間ならば大半が知っている。金ヶ崎と言えば豊臣秀吉が活躍した撤退戦の舞台であり、上田城もまた関ヶ原の前哨戦として有名な舞台である。そして岐阜城については言うに及ばない。

「と言うか、あの子が敦賀から大津に来るまでに本当に誰も見ていないんですか」

「あの子が敦賀から大津まで全裸で走って来たと言うんですか?」

 話はまるでまとまる様子がない。敦賀と大津で渦中にあった場所を走ったのだから上田と高山でも何かあったのだろう、こんな姿で走っているのになぜ一人ずつの目にしか留まらなかったのか、そもそも上田と高山と敦賀と大津の四つの地に現れたのが全て同一人物なのか、敦賀から大津に来るに当たり誰もその姿を見ていないのか、全てもっともな疑問である。

 だが、それらの疑問に対する正確な答えはどれ一つとしてない。そして最大の疑問である、なぜ少年が大津に現れたかと言う事についても、確固たる答えはない。

 多分、であろう、おそらく、と思います、こんな言葉ばかり出た所で話はまともに進むはずもない、いや進んだとしても牛の歩み以下の速度である。

 にも関わらず、映像を見せられた人間たちの口は止まる事がない。そこにいる全員が、玉虫色発言で先送りを繰り返すお役所と同じ真似をしたくないと言う事だけは一致していたからである。

「とにかく、明日時間のある方は学校まで来てください、何としても私たちの手であの少年を確保するんです!」


 強引に出された結論は結局それであった。他については話してもまとまりようがないのでとりあえず意見が一致する事を無理矢理にまとめただけである。

 そして、仕事が遅いと非難の的にされている役所の方にも動きがあった。







「京都、大阪、奈良、三重、岐阜…これで福井以外の全府県からです」


 大津に裸の少年が現れた事がニュースとして流れてから二十四時間も経たない内に、福井を除く滋賀県の隣接府県全てから大津市役所に向けて電話が入った。

「あの少年ですか」

「ええ…」

 裸の少年が上田に現れた事を知っているのはごくわずかだが、岐阜に現れた事を知っている人間は少しいる、そして敦賀に現れた事を知っている人間は山といる。

 少年が上田→高山→敦賀→大津、すなわち長野→岐阜→滋賀→福井と移動している、そう考えた人間が滋賀の次に来るのは自分のいる府県ではないかと考えてもおかしくはないのだ。

 脛に傷持つ身とか叩けば埃が出るとか言うが、人間誰しも心の中にやましい物や負い目を抱えている物であり、ましてや府県と言う単位になれば残念ながらと言うべきかどこかで遣る瀬無い事態、恥と言うべき事態は起きてしまう物である。

 自分の住む府県のどこかで起きているあるいは起きていたその事態を突くかのように裸の少年が現れ、自らの恥部をさらけだしながら住民や府県、市町村の恥部をさらけ出す。もんじゅの場合は福井県の恥部とまでは言えないにせよ急所とは言えるだろうし、滋賀の中学に至っては完全に滋賀県の恥部である。

 それと同じ事が自分たちの府県でも起こるのではないだろうか、そういう恥ずかしさとも焦りとも言えない感情が電話をかけさせたのだ。


「大半は本当に現れたんですかで終わったんですが」

「終わってない所もあるのか」

「ええ、京都の四十代の主婦ですが」

「まさかあんな全裸の子どもの映像を出すなんて非常識、教育上良くないとか」

「…………はい」

 風呂場に服を着て入れとでも言うのか、母親の腹の中からおむつを履いて出て来いとでも言うのか。

「最近さあ、子どもの作り方も知らない若夫婦が増えてるって話だけどねえ」

 性交の仕方を医師に相談した新婚夫婦がいる、そんなニュースがネット上で話題になった事がある。相談を受けて性交のやり方に付いてゼロから指導した医師は、まるでサラブレッドの種付けをしているような気分だったとコメントしていた。

「敦賀の方じゃあの少年に服を着せようとして上下一式の服を持ち込んだ主婦がいたらしいけれど」

「うちでももう来てますよ」

 下着上下、短パン半袖シャツ。明らかに古着とわかる物がほとんどであるが、一日もしない内にもう五、六枚ずつ来ていた。裸の少年を走らせては教育上問題があると言うもっともらしい理屈にかこつけてタンスの肥やしを押し付けているだけじゃないのか、正直そう叫びたかった。




「来ます?」

「わからねえよ」


 中学の周りに張り込まされた市役所職員たちはだらけ切っていた。一応網や刺又と言った捕獲用具は取り揃えているものの、それであの少年を確保した所で一体何になると言うのだろうか。

 高校の周りを裸で走り回っていたのはなぜかと言う事がわかると言うだけの話である、いや本人が口を開かねばそれすらわからない。

「するってーと何かい?俺らって裸で走り回って子どもの発育に良くない影響を与えかねない奴を世間から覆い隠す事だけの為に動いてるってのか?」

 最悪の場合はそういう事になる。しかも捕まえられればの話であり、捕まえられなければ無為に時間を潰しただけである。その上に子どもによくない影響を与え「かねない」と来ている。

 子どもたちがむしろ裸で走り回る少年を見てみっともない事と認識して教育的効果を生む可能性がないだなど、誰が断言できるのだろうか。屁理屈そのものであるが、否定する確固たる根拠はない。万が一その屁理屈がまかり通ってしまえば、役所の行動には全く何の意味もない事になる。

「自分たちの税金使って何やってんだって騒がられるぜ」

「そんで傍観してりゃしてりゃで怠業だってワーワーうるせえし」

 ああいうのを国民主権って言うんだろうなと二人の市役所員はぼやいた。




「もしもし、あの子は来ましたか」

「見えていません」

 市民たちもまた中学の周りに集っていた。絶対に自分たちの手であの少年を捕まえる、なぜあんな事をしたのか聞き出す。

 そういう意欲に満ち溢れた市民たちは目を輝かせながら少年が通過していたルートを見張っていた。市民の中には敦賀の時と同じように衣服を持ち歩いている者もいた。


 だが、その市民たちの意欲が削がれたのは一瞬だった。


「臨時ニュースだそうです」

「そんな物後にして下さい」

「でもその、金閣寺に」


 携帯電話で連絡を取り合う市民たちの一人がそんな事を言い出した頃、テレビでは京都の金閣寺が映し出されていた。


「最近話題になっている金髪の少年が、ここ京都金閣寺に現れました!こちらが先程たまたま取材に来ていた当局のクルーが撮影した映像です」


 その映像にははっきりと、金髪の白人の少年が映っていた。髪や肌や全裸である事だけでなく、顔も敦賀や大津に現れた少年と同じであった。

 その映像を見、また情報を耳にした市民たちの表情が一気に冷めた。

 あの少年はもう大津にはいない、既に京都に行っている。そう考えると、自分たちが何をしていたのか空しくなり、やる気が一気に萎えてしまったのも当然であろう。一人ではないかもしれないと残った者も何人かいたが、結局もう一日いただけで全員帰ってしまった。




「放火事件?」

「さすがに古すぎないか」

 京都においても、当然ながら裸の少年は物議を醸させた。なぜ金閣寺に現れたのか、敦賀のもんじゅや大津の中学のように何かがあるとでも言うのだろうか、あるいは上田や高山のようにただ走っただけなのか。

「金閣寺を走ったから金閣寺に何か問題がある、そういうのは先入観って奴だ」

「だがかつて放火事件があった事は紛れもない事実」

 やはりまるでまとまらない話が続く中、集まった中の一人が一見突拍子もなさそうに聞こえる事を言い出した。

「あの子は人間ではないのかもしれん、いやそうだろう」

「なんでまた」

 と言ってはみたものの、その先の言葉がない。

「誰ともぶつからなくて良かったな」

「ぶつかってたら大変だったな」

 もんじゅや大津の中学の周辺で走っていた少年の速度は時速15~16キロと言う所だった、しかし金閣寺の周りを走り回った少年の速度はその倍以上はあった、計算によれば40キロを越えているそうである。

「別人じゃないのか」

「40キロの速度で金閣寺を一周できるのか」

「カメラに映った一瞬だけかもしれんぞ」

 今現在最も早く走れる人類が時速38キロ前後である。一瞬であるにせよそれをも上回る速度で十歳の少年が走れるものか。その少年が人間ではないとか言う飛躍していたはずの言葉がいよいよ真実味を帯びてきた。

 そして例によって例の如くその後金閣寺にも役人や市民が貼り付いたが、結局その後3日経っても少年は現れなかった。


 槙島に張り込んだカメラマンもいたが、結局こっちも空振りに終わった。

 既にどこかに移動してしまったのだろうか、では次はどこか。


「城崎温泉だろ」

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