無慈悲な追跡者プロトタイプ・「走る少年」第1話
日付:20××/05/07
タイトル:すっげーの見つけちゃいましたよ!
実はわたくし一昨日まで信州の上田に旅行行ってたんだけど、上田城でこういうの見かけちゃったんですよ!何なんでしょうかね実際。余りにわけわからないもんで写真撮っちゃった訳なんですけど。でこの後山に向けて走って行ったんですよ。…いや実際どこの子なんですかねえ?
1日閲覧数30人程度。インターネット上に溢れかえる有象無象のブログの中の1つ。
そのブログに1つの記事が書き込まれた。
そしてその記事には1枚の写真が貼り付けられていた。
ただそれだけの事であった。
凡百のブログのありふれた記事として読み流されるか、さもなくば見落とされるのが運命であっただろうし、本人もそう思っていた。しかしその記事に貼り付けられていた一枚の写真は、多くの人間の目と足を止めさせるに十分な力を持っていた。
その写真には、1人の少年が映っていた。
少年は走っているようなポーズを取っており、肌の色は真っ白だった。背丈は近くの標識と比較すると140センチ余りだろうか。背中からの写真だったので顔は写っていなかったが、髪の毛はやや短めだった。
とここまで書くと、なんで多くの人間が目を止めるんだよとしか言いようがないだろう。
その少年には、人の目を引くに十二分な2つの点があった。
第一に、その少年は金髪であった。
しかも全く染めている様子がない、まごう事なき金髪であった。
日本人には絶対にありえない髪の色だ。
ブロンドってのはこういう髪の毛の事を言うんだなと言わんばかりの金髪である。純白の肌と合わせて、日本人がイメージする「白人」と言うのはこういう物だと言わんばかりの代物である。
もっとも、観光客や地元に移住してきた外国人と考えればさほど驚く話でもない。だが、もう一点の方については誰もが驚きを隠す事ができなかった。
「ちょっとおい5月でしょ!?何がどうしたんですか!?」
「近くに水場とかあったんじゃないですか?」
「ぶっちゃけ上田って山ですよ、まだ寒いんじゃ?」
そんなコメントがその記事には付けられていた。
その写真に写っていた後ろ姿の少年は、真っ白な臀部を剥き出しにしていたのである。臀部だけではない、背中も、膝の裏も。文字通り一糸まとわぬ状態だったのである。
5月上旬に、長野県の上田で、全裸で走り回る。
いやそれが8月だったとしても、ハワイだったとしても、人目構わず全裸で走り回ると言うのはかなりセンセーショナルなシチュエーションであり目を丸くさせるには十分であった。
されど、所詮1日閲覧数30人程度の弱小ブログであった。
いかに情報の伝播が簡単な物となった時代であるにせよ、30人の力と言うのは高が知れている。発信した本人にもあまり真剣に伝播する気がなかった事もあり、この全裸の少年の写真はごくごく僅少な人数の、極めて矮小なコミュニティの中の一つの事件とも呼べない異常として忘れられて行くはずであった。
「この子一体何?家族旅行兼取材に行ってた岐阜城で見かけちゃったんですけど、ぶっちゃけ5月半ばだってのに妙に寒くって寒くって娘なんかずっとワタシのそばを離れようとしなくって、それだってのにすっぽんぽんのまるだしでかけ回るだなんて。地元の子にしちゃおかしい髪の毛の色だし、一体どこの子なんでしょうかねえ??」
自作漫画の単行本の巻数が2ケタを数える主婦漫画家のブログにそんな文面が躍ったのは5月12日の事だった。その文面の上には、全裸で走る金髪で真っ白な肌をした少年が映っていた。
しかも真正面からであり、顔もくっきりと写っている。その顔は髪と顔の色に似つかわしい「白人」のそれであった。そしてさすがにぼかしが入れられてはいたものの、男性器も写されていた。
人気漫画家のブログだけに閲覧者数は普通の日でも4ケタは下らない。普通の日の記事につくコメント数も、3ケタに達するのは日常茶飯事であったが、その日のこの記事はコメント数が千近くになっていた。
「ええええええ!?何なんですか!?」
「娘さんは何つってたんですか?!」
「いやモロですよ、モロですよこれは…」
中には「ヤバいですよ、こんなもん載せちゃってプライバシーの侵害とかシャレになりませんよ」「これで児童ポルノだと思うんですけど」と言った物もあったが、その大半が圧倒的なインパクトに気圧され、作者と同様に驚嘆を示すコメントであった。
元々作者の漫画と言うのが双子の息子と年子の娘の子育ての日常を綴った物だったので、似たような境遇の人間が多かった閲覧者にそれほど性器の描写に対して嫌悪感がなかったのである。
「これは…」
「目の錯覚なんかじゃありませんって」
そして5月19日、彼はまた現れた。
これまでと同じように、金色の髪を震わせながら全裸で走っていた。
そして、今度は日本中の耳目を集める事になった。その日彼が走っていた場所、それは福井県敦賀市。高速増殖炉もんじゅの十キロ圏内。
四六時中、国家によって監視体制の取られているもんじゅの周りを走り回る。なんて大胆な行為だろう。しかも一糸まとわぬ姿で。これはもう大胆不敵などと言う次元を通り越している。
「猥褻物陳列罪ですか」
「十歳前後の子どもだろう、刑法で裁ける範囲じゃない。保護者を」
「とりあえず保護しろ、話はそれからだ」
その反応は極めて自然な物だっただろう。だが、このもんじゅと言う場所がその自然な反応を許さなかった。
全裸の少年は、もんじゅから離れなかった。20日も、21日も。そしてついに、公共の電波に乗った。さすがに性器は映されていなかったものの、そこ以外のほぼ全身がテレビにはっきりと映されていた。
「あの少年はきっとあれだ、我々を戒めているのだ」
誰かがそう言い出すと、誰かわからない誰かがそう言い出すとそれがいっぺんに広まった。
もんじゅの周りを、三日に渡って走り続けている。しかも全裸で。
なぜ全裸で走り回る必要があるのか。しかし、普通の格好で走り回った所でどれだけ耳目を集められたのかわからない。だが全裸で走れば、ただそれだけでも耳目を集められる。
なぜ耳目を集める必要があるのか、しかも十歳の少年が。
どう考えても尋常な話ではない。三日もの間全裸で走り回るなど、肉体的にも精神的にも普通の十歳の人間にできる事ではない。
以上の理屈が、かの少年は人間ではない何者かだと言う想像をさせたのだ。
そしてその人間ではない何者かが、なぜわざわざもんじゅの周りを走っているのか。
「あの子は天使だ。天使が原発を廃せよと言っているのだ」
人ならぬ力、そして金髪に真っ白な肌。それが天使を思い起こさせたのだ、キリスト教徒のみならず仏教徒にも。その天使がなぜまたもんじゅの周りを走り回るのか。それは、国民に原発に耳目を向けさせ、その危険性を改めて知らしめようとしているのだ。理屈としてはそう言う所である。
一見、筋が通っているように聞こえて来る。
「高速増殖炉の周りでも平気で走れるんだ、原発に脅える必要はない」
しかしその解釈もまた可能である。
「とりあえず確保して話を聞かない事には何も言えません」
行政側の回答がそれになるのは当然の話である。されど原発に反意を抱く住民はその言葉に強く反発した。
また適当な事を言ってお茶を濁す気か、だったら早く確保しろ、行政の怠惰だ。住民たちは日頃のうっぷんを晴らすかのように怒鳴り声を上げた。
「では明日確保作戦を実行に移します」
担当者はそう平身低頭するしかなかった。だがそう口では言ってみたものの、実際には計画は何にもできていなかった。
少年がこの三日間で通ったルートに張り込むと言う、ありきたりその物の作戦しか思い付けなかった。
「これで確保できるんですか」
「知るかよ」
投げ槍極まりない物言いだが、まごう事なき本音であった。
「ヒマな主婦連中が張り切ってくれてるから、何とかなんじゃねえの?」
「別方向で張り切ってるのもいますけどね…」
「実際殊勝な姿勢だとは思うけどな」
この作戦には住民たちの代表である主婦たちも加わっていた。行政側の人間ではない誰かが、口だけ出して行動しないのではただのクレーマーじゃないかと言ったらしい。
実際人員不足を補ってくれるので有り難くはあるが、同時に行政に対する激しい嫌悪もにじみ出ていた。
もちろん、彼女たちが原発に対する不安だけで動いている訳ではない。
「あの漫画家さんのブログ見ました?」
「ああ」
「間違いなくあの子ですよ」
「早く確保しないと」
リーダー格の主婦は虫取り網と一緒に大きなカバンを持っていた。
「これですか、中学二年生の息子が一昨年まで着てた物で」
何が入っているんですかと言う主婦仲間の質問に彼女はさらりとそう答えた、しかし主婦仲間が首を傾げると一挙に顔が紅潮し口数が増えた。
「はあじゃないでしょう!いいですか、考えてみてください!こっちは連日連夜すっぽんぽんで走り回る男の子がいるってニュースを見せられるんですよ!そんな子どもを放置していたらどうなります!?」
カバンの中にはボクサーパンツにハーフパンツ、タンクトップにボーダーシャツ、そして靴と靴下まで入っていた。
「えーとその…」
「何か!」
「私たちはあの子がなぜ原発の周りを走り回っているのか…その事を本人の口から聞くために集まっているのでは?」
「もちろんそれが本題です、なぜあのような事をするのか。そして私たちの子どもの為にも絶対に確保しましょう」
彼女が熱っぽく語る一方で、主婦仲間たちは微妙に冷めていた。確かに原発の危険さはわかっているが、あの少年を捕まえた所で、そして服を着せた所で何が解決すると言うのだろうか。
しかしそれがわかっていても、目を爛々と輝かせる彼女に圧倒されるかのように絶対に確保しましょうと言う彼女の言葉に主婦仲間たちは頷かされた。
しかし少年は現れないまま四日間の時が過ぎ、そして突如敦賀市役所は解散命令を出した。
「もはや確保は不可能であると判断しましたゆえ」
「どうしてそういう発想に至ったのかお答え願います」
市役所員たちにしてみればやれやれと言った所であるが、主婦たちからしてみればたまった物ではない。言い出したのはそちらでしょ、勝手に始めたのは誰ですかと言い放ちたかった。その気持ちを抑えながら市役職員は二枚のDVDを再生した。
一枚目のDVDには金ヶ崎城跡の史跡と、そこを走る全裸の少年の姿が映されていた。
日付は5月22日、要するに張り込みを始めた初日、既に少年はもんじゅを離れていたのだ。
「これは昨日滋賀県から送られた映像です」
二枚目のDVDにはある中学校が映っていた。かつていじめを受けていた生徒が自殺したとして話題になっていた高校である。
その映像には全裸でその中学周辺を走り回る金髪の白人の少年が映っていた。
「そんな事をする人間が二人いると思います?」
「人間じゃなくて天使じゃないんですか」
「天使だなんて言い出したのはどなたですか、それにこの映像に移っている少年が天使だとして二人も舞い降りたと言う証拠はどこにあるんです」
役所側としてはその少年が天使であるなんて言う事を言い出した覚えはない、主婦たちもまた誰が言い出したのかは知らない。
にも関わらずそのどこから出たのかわからない話を主婦たちは随分と間に受けている様子である。
「とにかく、一刻も早く原発を完全に止めていただきたいんです」
彼女たちの結論は当初からそこにあり、そして一歩も動いていない。
最初から結論ありきで動いていると、その結論に対して不都合な事実は無視され、中立的または玉虫色の事象はその結論になるように都合良く解釈される。そして度が進むと結論にとって不都合な真実は自分たちの考える結論を阻もうとする勢力が起こしたと考えるようになる。
彼女たちはそこまでは行っていないにせよ、裸の少年がもんじゅの周りを走り回ると言う極めて玉虫色な事象を自分の求める結論に利用しようとしたのはまごう事なき事実である。
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