第7話 とあるジャーナリストのレポート
あの裸の人間たちが出始めてから、一年近くが経つ。彼らに関する問題は、今や世界中に広がっていた。
日本でサルオとサルコと言う侮蔑語が広まるとともに、英語圏ではNNN、略して3Nと言う侮蔑語が増えていた。
3NとはNever・Nob・Nudeの略であり、要するに裸を絶対に肯定しないと言う意味である。3Nにはいわゆるワーキングクラスは少なく、上流階級と移民たちが主な層であった。彼らは裸の人間たちを汚らわしく野蛮な者たちとして軽蔑し、彼らを見ても何も思わぬ者たちをも軽蔑した。
ソーシャル・ジャスティス・ウォーリア、通称SJWと言う言葉が存在する。端的に言えば社会的正義を拠り所に少しでも、その正義に反する存在をインターネット上において徹底的にとがめ、矮小な満足感を得ようとする人間の事である。やたらに攻撃的で、ところかまわず議論を吹っかける、暑苦しく重たい存在。ジャスティスなどと言う単語にはおよそふさわしからぬ、嘲笑と非難の籠った単語である。
そのSJWたちに取り、裸の人間たちは盛大な挑戦者であった。真っ当な秩序を平然と乗り越え、自らが期待する公権力を軽々とすり抜けていく存在。その上彼らの主戦場であるインターネット上にも次々と姿を現して来る。
むろん不適切な画像と言う関門はもうけられているが、SJWたちにはそのような注意書きなど知った事ではない。このようなわいせつな写真を掲載するとは何事です、となる。ちゃんと注意してあるんだから入り込んでくる方が悪いと言う正論は通用しない。
その時点で正義の味方どころか無法者なのだが、本人にその意識はまるでない。自分たちの手で害悪を取り除いているつもりである。だが無論そんな事をした所で現実の裸の人間たちが消える訳ではない。
まあ裸の人間たちの画像、取り分け女性の乳房や性器が映った画像が何の説明もなくポンと置かれている場合についてはまあ問題にされてしかるべきだっただろうが、それ以上に干渉を図った所で何が得られる物でもない。
そしてちょうど年が明け始めた頃から、全裸の人間たちについての情報が出る機会が減り始めていた。一部のSJWはこれこそ自分たちの成果だと思い浮かれ上がり、個人的にさらに数を減らそうと指摘と通報に励みまたサイトにも規制を求めた。現実には初発見から半年近くが経ち、単に多くの人間が裸の人間たちから放たれたウィルスに感染し免疫を作り上げ過剰に反応する事もなくなっただけの話である。
全然裸の人間たちの数は減らず、その活動力も落ちる事はなかった。だから普段の生活に戻ってみると自分たちの活動の無意味さを叩きつけられ、ますます鬱屈がたまりそしてまたネット上で騒ぐ。そんな悪循環に陥っていた。
もっとも、SJWはあくまでもネット上の存在に過ぎない。それを表出させれば生活すら侵してしまう事を理性の上ではわかっていたからだ。侵されるとどうなるか。それが日本で言う所のサルオとサルコであり、英語圏では3Nであった。無論両者とも程度に差はあり、なんとなくから人生を賭ける段階にまで発展させて行く者までいた。
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「お前は一体どこで過ごしているんだよ」
「わかってるだろ、シドニーだよ」
「いつまでサンフランシスコにいるつもりなんだよ、もう十五年も経つんだぞ」
「何か悪いか」
これは昨年末に、ハイスクール時代から含めれば二十年来の友人からの、一年ぶりのメールにより始まったネット上での会話である。その際に自分の容姿に対し、そんな指摘をされたと言うのに彼はまったく動ずる様子がなかった。
言うまでもないが、オーストラリアにも全裸の人間たちはあふれていた。日本で発見されたのは五月二日で、オーストラリアで初めて全裸で走る人間が見つかったのは五月五日である。
いずれにせよ、南半球では初冬と言うべき時期だ。言うまでもなく初冬から七ヶ月経てば初夏、もしくは盛夏になる。クリスマスもニューイヤーも太陽の天下であり、言うまでもなく人々の衣装も薄くなる。
そんな中、その男性はびっしりと服を着こんでいた。冬服とまでは行かないにせよ、まるで露出部分のないぴっちりとした長袖に長ズボン、さらにサングラスに風邪を引いている訳でもないのにマスク、そしてやけに大きな帽子。サングラス以外は明らかに不自然で、日焼けを嫌うにしても過剰防衛としか思えない暑苦しい服装。アメリカに住んでいる友人からそんな言葉を投げつけられても、彼はまったく動じなかった。
彼はすでに、そんなスタイルを半年近く続けている。日本人のように日夜オフィスと家の往復を繰り返す訳でもなく、在宅ワークをしながら家族とともに三人仲良く暮らしていた。
それが五月九日、全裸の人間の存在が認識され始めた頃の朝、まだ他人事だと思っていた彼の家の目の前を、一人の全裸の人間が走り抜けた。自分と同じ年齢ぐらいの黄色人種の女性を見た彼は意識を失い、そのまま倒れ込んだ。
妻と子に介抱されて目を覚ますとお前たちも見たのかと連呼し、二人が見たと言う回答をするとまるで母親に泣きつくように妻に取り縋った。生涯最悪の悪夢だ、彼はこの時の事件をいまだにそう呼称してはばからないと言う。
それからと言う物、彼はずっと同じスタイルを崩していない。真冬ならばともかく、どんなに気温が上がろうとも彼は露出を極端に嫌った。妻子や同僚からなぜと聞かれれば日焼けを嫌うためと吹聴していたが、その言葉の説得力は日に日に薄れて行った。
どんなに外出しても、全裸で走る人間に出くわすとそれだけで奇声を上げ、嘔吐してしまう事もあった。奇声についてはまだ六月いっぱいぐらいまでは見慣れていない人間が多い事もあり許容範囲であったが、八月九月になってもそれを続けていたものだからだんだんと弱虫と呼ばれる事が増え始め、その上に気候の変化など知った事か言わんばかりに服装を崩そうとしない物だから、だんだんと人が離れて行ったそうだ。
いささか信じがたい話であるが、これほどまで世界的な話でありながら今の今まで誰も権威ある立場の研究者たちは全裸で走る人間についてまともな統計を取っていなかった。
あまりにも卑近、かつ研究した所でどう有効に使えるのかわからないテーマに時間や金銭を割くような科学者はほとんどいなかったのである。かろうじてPTSDの観点から手を付けようとした医学者もいたが、この件で医者にかかって来るサンプル数の少なさから研究は難航している。無論、小さな診療所ランクの病院にノウハウがあるはずもない。彼もまたPTSDだの、性嫌悪だのと言うありきたりな理論で片付けられ瞬間的にはそれで納得して安堵してみたが、出くわすだけですぐにぶり返してしまうので一時しのぎにしかならない。
出くわすたびにだんだんと彼の服は厚くなり、露出部分が少なくなった。気温がいくら上がろうが汗を掻こうが誰の意見にも耳を貸さずに着込む。入浴やシャワーの時にはさすがに全裸になったが、時間が経てば経つほどだんだんとその時間は短くなって行った。とりわけ全裸の人間に遭遇した日などはどんなに暑かろうと服を脱ぐ事さえしないと言う。
「君はいったい何度あの化け物を見たんだ」
「十一回だな、最新の発見はおとといの夜だよ」
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時……」
「何お前ブディストにでもなったのか」
サンフランシスコの友人に事もなげに見たと言われると、彼は突如念仏を唱え始めた。化け物により精神の平衡を失ってから、彼はすがれる物ならば何でもすがらずにいられなくなった。むろん最初は家族、のちに地元の教会の牧師に救いを求めたが、いずれも彼の悩みを解決することはできなかった。最近では通販サイトで日本から購入した般若心経の経本が彼の愛読書になっており、化け物の出現により心が乱れると落ち着くまで何時間でも般若心経を唱えるのだ。
「また機会があったら連絡するよ」
結局会話は友人側の方から一方的にエンドマークを付けられ、あいさつもないまま終わった。その友人も実は兄から3Nの気があるのではないかと言われており、だからこそ二十年来の友人である彼に相談していた。
そんな友人にリストから外された事を知る由もないまま彼は般若心経を二往復し、ようやく会話が終了したことを知り自分もPCを閉じた。
この般若心経のおかげで友人は化け物から救われた。彼は本気でそんな事を考えていたが、実際には彼が般若心経を唱え出してからのひと月あまりで彼は妻と子と、リアル・ネットを含め六人もの友人を失っていた。
これが日本で言う所のサルオとサルコであり、英語圏では3Nであった。
また、「フル・クロス・キング」と言う言葉もある。三月ごろから、3Nの親玉として使われる事が増え始めたその言葉におけるクロスはCrossではなくCloth、つまり布の事であり、目一杯の布に包まれた王様と言う事だ。
そしてそのスペリングはFull・Croth・Kingであり、頭文字の取り方によっては英語圏における最大の侮蔑語と取る事が可能である。ひどい物になるとフル・ユニット・クロス・キングとなり、これはもはや言い訳のしようがないほどにそのままであった。
そしてフランスで、五月だと言うのにいつものように厚着に厚着を重ねて出社した男性に向かって、フル・ユニット・クロス・キングという言葉が投げつけられた。直接発言したのは同僚であったが、普段から口や頭さえもまともに露出しようとしないで過ごす彼に対し会社も辟易しきっていた状態であり、ある意味でその言葉は最後通牒でもあった。
そして彼は、その最後通牒に対し一つの答えを出した――。
パリの現地時間五月四日二四時〇分、つまり五月五日〇時。同時多発テロ事件は発生した。花の都に血しぶきが舞い、各地に分散していた七十六人の犯行グループは裸の人間たちに対する憎悪を叫びながら自分たちとの共闘を強要し、少しでもためらった者は次々と死体に変えた。
犠牲者は死者二百八十七人負傷者七百九十六人に上り、犯行グループ七十六人のうち五十二名が射殺され残る二十四名のうち八名が自殺、首謀者を名乗る白人男性を含む十六人が逮捕された。凄惨を極めた大殺戮事件であり、世界中が犠牲者を悼もうとした。
だが、人類にそんな暇は与えられなかった。
パリだけでなくロンドンやローマでも、アメリカでもサンフランシスコやニューヨークを始めとした大都市を中心に次々とテロが発生。モスクワ、北京、シドニー、メキシコシティなどでも同様のテロが発生し、パリでの事件からわずか一週間の間に世界中の五十以上の都市で同じ目的によるテロにより犠牲者は五ケタに達し、負傷者は数万の単位に上ったのである。
「次世代を担う子どもたちの為に、我々は今こうして戦っている!我々こそ平和を望んでいる!なぜ立ち上がろうとしない!」
犯人たちは一様に皆、こう叫んでいたと言う。
はっきり言って、あまりにも薄っぺらい。
大量殺戮犯の口から吐き出された子供のためとか平和とか言う言葉になど、びた一文の価値もある物か。実際この一週間のテロ事件で百八十一人の十五歳以下の人間が、未だどうなるかわからない来たるべき世界を奪われたとされている。
あまりにも自己中心的な善意の元により、これ以上の生存は無意味以下であると自分勝手に規定された。そしてこのありふれた独裁者の劣化コピーの様な物言いを、首謀者たちはまるで打ち合わせでもしたかのように異口同音にしゃべっていた。この選民思想以外の何でもない物言いは一挙に世界中に伝播され、七十億人の人間を被害者にした。
しかし、このただ凄惨なだけのテロ行為に百%のノーを突き付けられない層は確実に存在していた。やり方には問題があったが理屈はもっともだ、もっと皆この問題に対して真摯に取り組み立ち上がるべきではないのか。何とも都合の悪い事にと言うべきか権力と地位と、さもなくとも金と暇を持っている層にそういう人間は多かった。
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彼らと同種の志を持ち五月半ばに立ち上がった人間が東京で起こしたデモに対して、逆毛皮デモ・モンキーデモ・フルユニデモとか言う単語が投げ付けられた。
毛皮を使ったファッションショーに抗議する動物愛護団体が、毛皮を着るぐらいなら裸の方がましだと言いながら抗議の声を上げ会場周辺を闊歩するデモが以前行われた事がある。その事から、裸の人間たちに抗議すると言う意味でのデモに対してあてはめられたのがまず逆毛皮デモと言う単語だった。
そして裸の人間が現れてから一年と言う時間ですっかり独り歩きを始め、昨年の流行語大賞となった「サルオ」と「サルコ」と言う単語から派生した言葉としてのモンキーデモに、そのサルオとサルコの英語版に当たる単語の略称からのフルユニデモ。それからまた3Nデモと言う単語もあった。いずれにせよ、そのどれもが全く好意的な意味で放たれた単語ではない。
デモ行進を行った所で、裸の人間たちは一人も減らない。時間の無駄、他にやる事はないのか。浴びせかけられたのは、そんな嘲弄ばかりだった。もっとも、そのデモに参加していた人間の内、成人男性の割合はかなり少なかった。多くは頭が白くなっており、残る成人男性はほとんど頭の白い層に引きずられた者たちだった。
子どもたちのためにと言う大義名分にもっとも力を与える物、それは「子どもたち」になるべく近い存在だ。だが男も男なら女も女で、子育て世代と言うべき二十~四十代の層が主催者の予想以上に薄かった。結果女性もまた白髪頭ばかりが目立ち、ますます大時代的な色合いを濃くしてしまった。
そして呼びかけられた人間のうちあまり熱心でなかった者は世界同時多発テロ事件を見て引いてしまい、熱心で賢明な者は時に利あらずと静観を決め込んでしまった。結果、そこに立っていたのは熱心だが時を見極められないと言う人間たちばかりになった。
「平和な秩序を世界のために!」
「淫乱なる怪物を追放せよ!」
「正義を守れ、子どものために!」
自主参加した数少ない若年層の男性と子育て世代の女性たちがスローガンをわめき散らす。勇ましくはあったが、それを唱えたり貼ったりするだけでその怪物を追い払えるのでれば、同じベクトルで世の中の問題の大半は解決している。
実際、怪物よけを願って神社仏閣その他にお祓いを受けたり願掛けを受けたお札その他を購入したりした例は多数あったようだが、寡聞にしてこれまでそのおかげで怪物から逃れられたと言う話を私はひとつも聞いていない。
その成功話をしようとした所で現れると言う性質の悪いケースも少なくなく、やっぱりダメかと言うあきらめや金返せと言う逆恨みを抱いた人間も同じぐらいいたそうだ。
そしてそんな中、やはりこのデモにもその存在は現れた。
今回は四十歳前後の黄色人種の男性、そして見苦しいほどに太った姿の上に頭髪は金髪に染めた事が丸わかりな、いわゆるプリン頭で量も少ない。これまで現れたどの同種よりも醜悪で、負の関心しか引かなさそうな存在。
「どうしたんだよ、早く止めて見せろよ」
その声を実際に発したのは心ない野次馬の男であったらしいが、デモ隊にはその醜悪な怪物の声に思えた。そして何より憎たらしい事に、その怪物はいつものように志高き人間たちがデモ行進をしている目の前を走り去って行った。止めてみろよ、お前らは俺を捕まえるために騒いでるんだろと言いたげに走る姿に、秩序を守って動いていたはずのデモ隊はたちまちにして乱れた。
「未来を返せ!」
デモ行進の中ほどにいた男性が叫ぶと、デモ隊は一斉に化け物を捕まえに動いた。もっとも、今まで地球上の人間たちが人智や文明を尽くしてもまったく捕まえられなかった存在である。たかがデモ行進をしているだけのまともな武器も持たないような団体にうんぬんできる訳ではない。
挟み撃ちにしてやると意気込んだ所で、これまでの同種族と同じように時速40キロのスピードで走り続けられる相手に追いつける人間がいるわけはない。あっという間に引き離され、強引に追おうとして警察官に止められるだけだった。
秩序を守れと言いながらその秩序を乱す存在にまるで対抗できていない、ではこのデモ行進に一体何の意味があると言うのか。そういう挑戦をふっかけられて逃げるのであればただ負け犬の遠吠えだと言う事になるだから、無視と言う選択肢は存在しえなかった。しかし、そうして必死に戦いを挑もうとした所で結果は見えている。タクシーとか何とか叫んだ所でそんなに都合よくタクシーが止まっている訳でもないし、仮にあったとしても最高速も持久力も高く、それ以上にコントロールの軽いあの化け物を道路の上しか走れないタクシーで追いかけた所で捕まる物でもない。
「子どもたちの未来を、返せぇぇ!」
「ちょっと往来の皆さまにご迷惑を」
「うるさい!!」
それでも彼らにしてみれば、倒すべき怨敵がこうして目の前に出て来た千載一遇の好機である事に変わりはない。悲願達成のためには、多少の犠牲もやむを得ない。
そう、自分たちを必死に制止し敵を逃がす時間を与える警察官の負傷も、自らが口から吐き出す騒音公害も、まともに道路を往来している他の人間たちの邪魔をしている事も、そして自分たちがこれにより公務執行妨害と言う罪を犯し犯罪者になる事も、全てが大義を為すための多少の犠牲だった。
結果的にこの暴走、いや珍走が何をもたらしたか。一人の警察官の全治一週間の負傷、参加者数名の逮捕。それから前述したように騒音公害と往来の妨害。それがほぼ全てであった。
いや、それ以上に大きかった物もある。日本版同時多発テロ事件、と言う烙印だ。
死者こそゼロであったが根っこが同じである事は主催者自身が認めており、そしてまるで恥じる事をしなかったのもまた同じだった。このデモに密着取材していた私も警察にほんの少しお世話になり、絶対にデモを計画した団体に発行する雑誌に乗せられない記事を今こうしてインターネットに掲載している訳である。
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