19
アパートがある通りに戻ると、自宅の庭で愛おしそうに煙を吐き出していた倉田老人と出くわした。彼は僕に気づくと、僕の部屋の前で若者がたむろしていると教えてくれた。
いやな予感がした。
そのままUターンして、桜でも愛でていた方がよっぽどよかったのかもしれない。しかし、大家の眼光は迷惑な連中をすぐさま駆除するようにと訴えていた。
僕はため息をつき、きしむ階段を上った。二〇二号室の前に揃い踏みしていたのは誰であろう、同僚連中だった。宮下、立花、相原。それぞれ手にワインボトルだのビニール袋だのピザの箱だのを抱えている。どうでもいいけど、テイクアウトでピザを買う人を見たのは初めてだった。
立花が僕に気づいて言う。「あ、ちょうどよかった。いま電話しようとしてたんすよ」
電話番号なんてどこで知ったのだろう。それを訊く気力は僕にはなかった。
「それはまたどうして」
「お花見に来たんだけど、どこもシートがびっしり埋まってて」相原が答えた。「代わりに高垣君の家で宴会しようってなって」
あまりにも飛躍した話に僕は腰が砕けそうになった。
「え、何? 何でそうなるの?」
「だって、近いんすもん」
「それに、高垣君も誘った方がいいかなって。もしかして予定あった?」
「ないですけど」
思わず正直に答えてしまった僕は馬鹿だと思う。
「じゃあ、いいよね。ワインとかおつまみとかいっぱい持ってきたんだよ」
宮下がやけに静かだなと思ったら、目が合った瞬間、僕にわびるようなジェスチャーをしてきた。「ごめん。俺、止めたんだぜ?」とでも言うように。
「分かりましたよ」
僕は言った。部屋に入れなければ、廊下でそのまま宴会を始めそうだったから。
「お邪魔しまーす」
同僚連中はどかどかと部屋に上がった。
「これ、どかすよー」
相原が言った。僕の返事を聞く前にテーブルの上からノートPCや本をどけて、ピザの箱を広げるのだからかなわない。同僚たちはテーブルの周りに腰を下ろす。上座が空いているのは、部屋の主に気を使ったのだろうか。どうでもいい。僕は観念して、そこに座った。立花は手際よくグラスを並べ、そこにワインを注いでいく。ロゼワインというのだろうか、淡いピンクの液体からやけにフルーティーな匂いが漂ってくる。その芳香だけで頭がくらくらするような気がするのは、僕がアルコールを意識しすぎているだけだろうか。同僚たちは同僚たちですでに高揚しているようで「うわ、ホントにピンク」と相原がスマートフォンでグラスを撮影しはじめれば、宮下は「俺、ワインなんてはじめてだ……」などと感嘆している。
「うち、酒屋なんすよね。花見に行くって行ったらちょうどいいのがあるって渡されたのがこれなんすけど」
立花が何気ない仕草でワインの匂いを嗅ぎ、そしてグラスを回し始めた。
「立花君、かっこいー」
相原が冷やかすように言う。立花は「いやー、親父がこういうのにうるさいだけですって」などと謙遜しているがまんざらでもなさそうだ。宮下が見よう見真似でグラスを回しているが、なるほど初心者らしいぎこちなさだった。
「じゃ、乾杯しましょうか」
すっかり場を取り仕切りはじめた立花の号令に合わせて、僕らはグラスをつき合わせた。
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