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 家に帰るとシャワーを浴びて、Twitterを開いた。土曜ということもあっていつもより流れが速い。一度開くとずるずると居座ってしまう。不思議なものだと思う。出先ではそんなに気にならないのに。


 ぼんやり眺めていると、ある相互フォロワーがTwitCastingというサイトで生配信を開始したので、そのページを開いた。映像はない。音声だけの配信だ。彼の部屋で流れているのであろうアイドルソングをBGMに、男の声がだらだらと日常を報告している。


 プリリズムというかわいいハンドルネームの彼はしかしちっともかわいくない二十代後半の男性だった。彼は都内の大学を出た後就職した芸能事務所が倒産して以来、短期のアルバイトを渡り歩いてはその貯金でひきこもる生活を繰り返しているという。本人曰く「あんまり長いこと同じ場所に腰を下ろしていると苔が生える」とのことだ。現在はひきこもりの周期に入っているらしく、配信も頻繁だがその分ネタに困ってもいるようだが、いつも「話すことがない」と言いながらも漫画やアイドル、ニュースの話で二時間、三時間と話を引っ張れるのだからなんだかんだで引き出しの多い人だと思う。


 僕はTwitterアカウントでログインし、「こんばんは」という挨拶を打ち込んだ。すると若干の時間差をおいて「こんばんは」という返事が彼の声で返ってくる。こういうとき、僕は挨拶も悪いものではないかもしれないと思う。コメント欄には僕のほかにすっかり顔なじみになったアイコンがいくつか並んでいた。フォローしているアカウントもあるし、そうでないアカウントもある。この場限りの付き合いはきっと僕ら全員にとって心地よいものなのだろう。プリリズム氏のトークに合いの手やツッコミを入れつつ、別のタブで他のサイトを見て回るのが週末の習慣になっていた。


 どうしてだろう、と自分でも思う。僕は控えめに行っても人付き合いが好きなほうではないのに、こうして自分から他人とかかわりを持とうとしている。Twitterに他愛ない投稿を残し、タレントでもなんでもない素人の配信にコメントを残す。Twitterのフォロワーやこの配信主の動向をすべて把握していないと落ち着かなくなっている。


 あれは誰の投稿だっただろうか。インターネットの普及は、人々に他人を網羅し所有したという欲望を植えつけたのではないか――そんな投稿をお気に入りに登録したことがある。僕にも思い当たる節があったのだ。


 現実に誰か特定の個人の動向をすべて把握するのは不可能だ。恋人や家族であっても、一緒にいられない時間は必ず存在する。一方でネットにおける個人の行動はすべて確認でき、ログが残る。僕は多分、RPGのクエストやアイテム図鑑を網羅するのと同じ感覚で彼らの動向をチェックしているのだと思う。その衝動が何に根ざすものかはやはり分からない。それが人間に対する興味と呼べるのかさえ。


 そのとき、外で気配がした。階段を上る足音が聞こえる。隣の住人はもう帰ってきているし、客人もめったに訪れない。僕は箪笥と壁の隙間に立てかけた金属バットに目をやった。それは僕が野球に熱中していた頃、父がバザーで買ってきたものだった。家を引き払うとき、僕らは家の物を分配した。埃をかぶった金属バットは、他に引き取り手がいないであろうことが簡単に予測できた。それをこっそり引き取ったのは、有事の際頼りになるかもしれないと思ったからだった。


 つまりいまのようなときに。


 チャイムが鳴った。僕はすぐにはドアを開けない。バットを意識しつつ尋ねる。


「どなたですか」


「宮下だけど」


 錯覚かと思った。


「どうしてここを」


「相原さんから聞いて」


「住所なんて教えてませんけど」


「相原さんも誰かから聞いたんじゃない?」


「誰にも教えてないのに……」


「何それ。怖っ」


 宮下の言い方はまるで他人事だ。


「で、何ですか?」


「話すから入れてくれない?」


 僕は躊躇したがけっきょく、彼を部屋に上げた。宮下は片手にコンビニの袋を持っていた。


「うわ、マジで本ばっかじゃん」


「それを確かめに来たんですか」


「違う違う。いや、それもあるかもだけど、テレビ見せてほしくて」


「家にないんですか?」


「それがさあ、立花がパンチで液晶を割っちゃって」


「は?」


 思わず失礼な返事をしていた。


「あいつ、酔うとブルース・リーになるんだよ」


 同僚のあまり知りたくない一面だった。


「じゃあ、そっちに行けばいいのに」


「それが……他人の家で見るのは恥ずかしいっていうか」


 宮下はここは他人の家ではないとでも思っているのだろうか。


「エロいのじゃなくて……いや、ちょっとエロいかもだけど。高垣君、アニメとか見る?」


「それなりに」


 宮下は「おおお」と意味のない声を上げた後「だよね。だと思った。だから来た」と一人で盛り上がっている。僕は内心で立花の鋭さに舌を巻いていた。この人、本当にオタクじゃないか。だが、僕はこの喜びに水をささなければならないことを知っていた。


「って、テレビないじゃん」僕が告げるまでもなく、宮下が気づいた。「どこ? そのダンボールの中に入ってんの?」


「ないですよ」


「嘘」


 宮下はしぼんだ風船のようになった。


「ニコニコとかありますし……」


「実況したいの」宮下はぐいと僕の目の前にスマートフォンを突き出す。「ああ、ほら、Twitterよ。高垣君もやってたりする?」


「いえ」 咄嗟に嘘をついていた。


「面白いよ。なんていうかさあ、世の中にこんなにアニメを見てる人がいるんだって。お前ら、普段どこに潜んでんのよってなるよね。いるならいるっていえよって言うか。まあ、普段は普通の学生とか社会人の顔してる奴らがネットではアニメの実況で盛り上がってるっていうのもそれはそれで秘密クラブみたいな感じがしておもしろいんだけどね。しかし、テレビがないか。残念だな」


「そうですね」


 これで帰ってくれるのだと思うと、ほっとしてしまった。


「まあ、ワンセグで我慢するか」


「そうですね」


「始まるまで時間あるし、高垣君と今期アニメについて語るか」


「え」


 僕は言った。「そうですね」とは言えなかった。


「どうよ、高垣君。どれが覇権取ると思う?」


  宮下は言いながらコンビニの袋から取り出したスナック菓子の袋をバリバリと破り、テーブルの上に広げてしまった。本気で居座る気だ。


 僕はその後、宮下が今期の推しアニメについて熱っぽく語るのを聞かされた挙句、それぞれ自分のスマートフォンで同じアニメを見るというよく分からないことをする羽目になった。宮下は実況ができない代わりだとでも言わんばかりに画面に向かって声を上げ、しきりに僕に話しかけてきた。三本続いたアニメが終わり、そのままでは一泊しかねない宮下を追い出した頃には午前三時を回っていた。僕は着替える余裕もなく、布団に倒れこむ。彼が持ち込んだスナック菓子の袋と、「お土産」と言って残していった週刊少年サンデーが強盗が残した遺留品のように思えた。

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