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僕の家にはサンタクロースがいなかった。かわりにいたのが誰であろう神さまだ。
両親はキリスト教系の新興宗教の信徒だった。
幼い頃の僕は熱心な宣教者だった。家に招く友達に神さまの存在を説き、またその熱心な
信仰は僕ら姉弟にいろんなものを禁じた。たとえばそれはお酒だったり煙草だったり恋愛だったり、だ。そのほかにも僕らが見るテレビ番組は厳しく検閲された。僕はそうした戒律を守る自分が誇らしく、教室の子供たちよりも一段上に立っているような優越感を覚えた。宗教とはそういう意味で甘い蜜だった。なんてことはない。僕はイエスが批判したパリサイ人の一人にすぎなかったのだ。
僕がその愚に気づいたのは中学生のときだった。それは何か劇的なきっかけがあったわけではなく、ふとした疑念や不信が積もり積もって信仰という厚い壁にひびを入れたのだった。
信仰は僕の人生を支える柱だった。
子供の頃はそれが失われたときどんなことになるか想像もしなかったけれど、現実に起こったことを述べるとこうなる。
無気力。
僕は生きるエネルギーのようなものがすっかり空っぽになってしまったのを感じた。それでもいつも通り学校に行って、いつも通り友達と話して生活を維持できたのは、そうするのが習慣にすぎなかったからだと思う。そして高校に進学し、習慣がリセットされるにいたって僕の人生はついにピタッと止まってしまった。登校拒否の始まりだ。
それは実は、姉も通った道である。姉は僕より四歳上で、特に身長が高いわけではないけれど、僕が思春期にぐっと背が伸びるまではずっと見上げるような存在だった。その姉が不登校に陥ったのは、僕が中学校に入ってすぐのことで、つまり彼女が高校二年生のときだった。遊び盛りの僕は、一日中部屋に引きこもって暇じゃないのだろうかと思ったものだけれど、後に聞いたところでは彼女もやはり信仰の挫折とともにエネルギーが底を突いていたのだ。
後に僕もたどる道だけれど、姉はけっきょく高校を中退してしまった。彼女がそのどん底の状態から立ち直るには、五年の歳月が必要だった。一方の僕は一年。
僕らが社会復帰するきっかけとなったのは、皮肉にも両親の信仰が破綻したことだった。ある日、妙に改まった口調の母親からそれを告白された僕はなんだか拍子抜けしてしまった。僕はなんとなく両親のことは良くも悪くもすでに完結した小説のように思っていて、そのページに新たな展開が書き加えられるとは思いもしなかったからだ。
僕らにとってはきっとひきこもることが両親に対する反抗のようなところもあったのだと思う。その動悸が骨抜きにされたとき、とたんにのしかかってきたのが将来の二文字だった。うちは決して裕福とはいえない。両親も晩婚のため高齢だ。親の庇護の元で暮らせる時間は限られている。沈むと分かっている船にいつまでも寝転がっているわけにはいかない。そう考えた僕はコンビニで無料配布されていた求人誌を家に持ち帰りバイトを探し始めた。そして、どうやら姉も同じことを考えていたらしい。僕ら姉弟はまるで図ったように同じタイミングでバイトを見つけ社会復帰の第一歩を踏みしめた。
僕ら家族は同じ家に暮らしながらばらばらの生活を始めた。朝になると、父親と子供たちが働きに出て、母親はなんと自叙伝の執筆を始めた。
やがて、姉が結婚し家を出て、両親が離婚し母親が出て行った。父親と僕の二人で暮らすには家は広すぎ、すぐに引き払うことが決まった。この際だからとすでにアルバイトで自分の生活費を稼いでいた僕は独立することになり、とうとう家族は散り散りになった。それが一年前のことだが、結果としてまだみんな同じ行政区に固まって暮らしている。離れがたいというわけではない。お互いのことを意識していないから、あえて離れる必要がないのだろう。
姉は母親と連絡を取り合っているようだけど、僕は親子関係の一切をばっさりと断ち切ってしまった。僕は両親が特別できの悪い親だとは思わない。憎んでもいない。自分とは関係のない他人。ただ、そう思っているだけだ。親不孝がすぎるだろうか。それとも親離れが成功したと喜ぶべきなのだろうか。僕にはよく分からない。
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