8

 玄関でスリッパを脱いでいると、姉が追いかけてきた。


「何?」


 そう訊きつつも、姉の用はだいたい分かっていた。姉は言いたいことを我慢できないタチだ。まるでその場で思いついたことを全部話さなければ、自分が維持できないかのように。


「さっきの本なんだけどね」


「うん」


 姉が話したことを要約するとこうなる。幼い日に心からサンタクロースの存在を信じることは、その人の中に、信じるという能力を養う。そして心の中にひとたびサンタクロースを住まわせた子は、その心の中にサンタクロースを収容する空間を作りあげている。その空間がある限り、人は成長に従って、サンタクロースに代わる新しい住人をここに迎え入れることができるというのだ。


「わたしたちの心には誰が住んでるんだろうね」


「うちはサンタなんていなかっただろ」


「うちはほら、神さまがいたでしょ。神さまがいた部屋が余ってるはずじゃない。そこに誰がいると思う?」


「事故物件だから誰も入ってないんじゃない」


「また、そんなこと言って」


 僕はドアを開いた。夜の闇。寒風に打たれて思わず身をすくめる。


「わたしは健一さんに会えてよかったと思ってる」


 健一というのは義兄の名だ。


「なんだよ、いきなり」


「裏切られて傷ついたのは分かるけど、やっちだってもう自由なんだから空き室があるなら借り手を募集してみたら?」


「神様が死んだ部屋、借り手募集か。誰が入ってくれると思う?」


「分からないじゃない。マルクスとかニーチェみたいな女の子がいるかもよ」


「あんまりそういう人とはかかわりたくないな」

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