7
姉の料理は僕の貧乏料理と違って肉が多く、彩りも豊かだった。未来はおかわりしたが、胃が小さい僕はご飯一杯ですっかり満腹になってしまった。食後、姉は冷蔵庫からビールを取り出して「飲む?」と訊いて来たが、僕は遠慮した。アルコールをこうも抵抗なく体に取り込んでしまう姉との間に距離を感じながら。
「わたしね、意外と強いの」
姉はそう言って、黄金色の液体をグラスに注ぐ。
「ふうん」
「やっち、煙草は吸う?」
「大家さんが吸うから、副流煙を少々」
「まさかまだ引きずってるわけじゃないんでしょ」
姉はあえてぼかして言ったのだと思う。
「どうだろ。別にどっちでもいいんだよな。酒にしろ煙草にしろ手を出さないに越したことはないし」
「恋愛も?」
「変なこと訊くなよ」
「変じゃないでしょ。もう自由なんだから……」
「それだってどうでもいいかな。いまのところ必要は感じないし」
「興味がないわけじゃないんでしょ。いまだから言うけど昔、香奈枝からやっちが同じクラスの子……ええっと、名前が出てこないけど、その子のことが好きだって聞いたけど」
僕は思わずため息をついた。
「何?」
「説明が面倒くさい」
「好きじゃなかったの」
「分かるでしょ。小学生にも付き合ってものがあるんだよ。見てないテレビを見たフリをするときもあれば、好きでもない相手を好きなフリをするときもある」
「ふうん、じゃあ、そういうことにしておく」
「何だよ、それ」
「家で何してるの」
「本を読んでる」
「絵はもう描かないの」
「いつの話だよ」
「でも、一時期はそればっかりだったでしょ。てっきり漫画家になるんだと思ってた」
「そっちももうテニスやってないじゃん」
姉は中学時代、軟式テニス部に属していた。僕と違って運動神経はまずまずある方だからそれなりに活躍したのだろう。そのラケットも数年前の引越しで見つかるまで、押入れの奥に眠っていた。
「本っていえば、最近『サンタクロースの部屋』って本を読んだの」
「どんな本?」
「それがね――」姉はそこで何かに気づいたようだった「ごめん。いまはちょっと」
そう言って未来の方をチラッと見た。一瞬、意味を察しかねたが、すぐにサンタクロースの存在論に関する本なのだろうと気づいた。
そのとき、ドアの鍵が開けられる音がした。
「ただいま」
バリトンの効いた声に続いて、熊のような巨漢がぬっと現れた。義兄だ。姉がこの角ばった顔の男と結婚すると聞いたときは驚いたものだ。それは何も、彼が姉が勤めている喫茶店の店長だったからでもなければ、十歳以上の年齢差があるからでもない。元芸人という経歴も問題ではなかった。結婚の二文字は僕たち姉弟から最も縁遠い言葉に思えたという、ただそれだけのことだ。
「やっち君、久しぶりだね」
「ええ」
姉が家でそう呼ぶせいだろう。おかげで僕はこの義兄から本名とは似ても似つかない呼び名を授かっている。
僕は時計を気にするふりをしてから言った。「そろそろ……」
「また未来の相手をしてくれ」
「はい」
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