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 休憩は、それぞれ任意のタイミングで取ることになっている。僕は一時過ぎになってから、かごをカウンターに下ろしたところで食堂に向かった。食堂といっても、白い長机が並んだ脇にパンやカップ麺の自動販売機があるだけで、定食のようなものはない。利用者は少なく、倉庫の外でハンバーガーなり牛丼なりを食べて帰ってくる人の方が多いくらいだ。


 持参した百円のコンビニパンを食べ終えると、僕の手は自然とスマートフォンに伸びた。この時間は特に人が少ないので、つい居座ってしまう。Twitterのアプリを立ち上げ、可能な限りタイムラインをさかのぼってチェックする。日中はさすがにタイムラインの人もまばらで、ニュースや企業の広報アカウントの投稿が目立った。僕も昼間に投稿することはめったにない。


「ここ、いい?」


 顔を上げると相原がいた。珍しいことではない。彼女はたまにこうして僕に話しかけてくる。


 相原は僕がうなずくのを確認すると、机の上に中高生のようなかわいい弁当箱を広げた。最初に相原と話したとき、僕はそのやけにファンシーな弁当が、彼女の母親の手作りであることを教えられた。また、彼女の腕に巻かれた、フリーターの身分には不相応な時計が父親のプレゼントであることも。ただ、そんな家庭の女が文房具倉庫なんかでバイトをしている理由だけは分からなかった。


「昨日、本屋にいたよね」


 僕はもう一度うなずき、スマートフォンを引っ込めた。覗き見防止のをシールを貼ってはいたものの、他人の前ではやりづらい。それにしても、気づいていて声をかけなかったのなら、そのまま黙っていればいいのにと思う。


「お昼もう食べたの?」


「はい」 


 僕は返事をした。相原の年齢は知らないが、明らかに年下と分かる相手以外には敬語で応対することにしていた。それは僕が他人に対して何重にも張り巡らせた壁のひとつなのだと思う。


「何食べたの?」


「ハムのパン」


「何それ。具、ハムだけ?」


「卵も入ってました」


「じゃあ、卵とハムのパンじゃん」


「そうとも言えます」


 相原さんは笑った。僕と話している相手はたまにまったく突発的な笑いの発作に襲われるときがあるらしい。その理由は考えてもよく分からいことの方が多い。


「高垣君って面白いよね」


「普通ですよ」


「でもみんなは『そうとも言えます』なんて言わないよ」


「じゃあ少しだけ変なのかもしれません」僕は言った。「クラスに一人、二人はいる程度には」


「あー、たしかにいたよ。高垣君みたいな男の子。いっつも一人でいるの。修学旅行にも来なかったんじゃないかな。別にいじめられてたわけじゃないけど。びっくりしたのが、一度、休み時間に将棋盤を広げ始めたときね。それ自体もびっくりだけど、将棋って一人じゃできないでしょ。きっと相手してほしいんだって考えるじゃん。で、男の子の一人が相手しようかって駒に手を伸ばしたら、その子なんて言ったと思う?」


 相原はそこでしゃべるのをやめた。修辞としての問いかけではなく、僕に答えを求めているらしい。


「触るな、とでも言ったんじゃないですか」


「ちょ、高垣君。いきなり正解はなし。空気読もうよ」


 僕は驚いてしまった。「正解?」


「なんで高垣君が驚いてんの」


「適当に言ったから」


「なんだ、高垣君もその男の子と同じことを思ったのかと思った」


 なんだか言質を取られたような気がした。


「それにしても、触るなってちょっときつすぎだと思わない? 詰め将棋って言うんだっけ。それをやってたらしいけど、ああいうのって普通本に書いてあるんじゃないの? わざわざ駒まで持ってくることないのにね。ああ、あの子に比べたら高垣君はまだとっつきやすいかも」


「別に」


 自分にも似たような経験のあると言ったら相原はどんな表情をするだろう。そう思ったが、あえて口にはしなかった。


「あ、うぃっす。相原さん、外食べに行かなかったんすか」


 立花が長身をかがめて食堂に入ってきた。


「うん。立花君も?」


「はあ、まあ宮下さんにラーメン食い行かないかって誘われたんすけど断りました」


 カップラーメンの自動販売機には給湯機能がある。ここで買ったラーメン以外のために使うのは違反行為とされているが、立花は何食わぬ顔で持参したカップラーメンを給湯口の下に突っ込みお湯を注ぎ始めた。


「って、ラーメン食べるんじゃん」と相原が突っ込む。「ひどー。立花君、宮下さんに冷たくしすぎじゃない?」


「じゃなくて。ラーメンは食べたかったんすけど、店のじゃなくて、インスタントのがよかったんですよ」


「あー、分かる分かる。安っぽい味の方がいいときってあるよね」


「でしょ? あ、そうだ。相原さん。今度、宮下さんがどっか遊びに行かないかって言ってましたよ」


「どこかってどこ?」


「さあ、そこまでは訊かなかったっすけど」


「ふうん、じゃあ考えとくけど立花君も来るの」


「来ない方がいいっすか」


 それを訊きながら、僕はなんだか駆け引きっぽい台詞だなと思った。宮下が相原に気があるのはなんとなく分かるが、もしかしたら立花もそうなのかもしれない。相原も多分そのことには気づいているのだろう。気づいた上で態度を保留し二人の間にぶら下がっている。


「ううん。いきなり一対一っていうのも会いづらいし」


「そうっすよね。オタクっぽい店に連れて行かれるかもしれませんし」


 立花がまじめ腐った顔で言うと、相原はぷっと吹き出した。


「そのネタ、いつまで引っ張るの」


「宮下さんの化けの皮がはがれるまで」


 二人はこうして食堂で揃うたび、宮下をからかっている。彼らはきっと僕が告げ口するなんて考えもしないのだろう。実際、その予測は正しいのだけれど、僕が感じる居心地の悪さには思い至らないのだろうか。


 休憩時間はまだ半分以上残っているけれど、僕は早くも機械の一部に戻りたいと思いはじめていた。


 仕事帰り、昨日の古本屋に寄ったが、お目当ての『刺青殺人事件』は小口が研磨されていたので何も買わずにそのまま店を出た。

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