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ロッカーに鞄をしまい、支給された黒いエプロンをかけると更衣室を出た。タイムカードを押した後、端末とカートを受け取り、ピッキングと呼ばれる作業をはじめる。広い倉庫の中を一周しながら、端末で指定された商品をカートに突っ込んでいくのだ。
「高垣君、おはよう」
一足作業に出ていたらしい相原が声をかけてきた。僕は軽く会釈だけしてすれ違う。端末に送られてくる指示はそれぞれまったく別なので、アルバイト同士が並んで歩く機会は少ない。立花や宮下も勤務中はほとんど私語を交わさず作業に従事している。この職場では人間関係が分断され、私語がシャットアウトされる。二十人近くのアルバイトが動き回ってるはずだが、倉庫の中はカートの車輪が回転する音が聞こえるばかりだ。機械の命令に従って黙々と作業を続けていると、僕自身が巨大な機械の一部になったような感覚を覚える。
カートを押しながら僕は小声でとある少年殺人犯がメディアに送った声明文を暗唱していた。もう何度となく暗唱した文章で、ほかの事を考えながらでもひっかかりなくそらんじることができる。けれど、記憶というものはたまにこうして出し入れしていないと、どこにしまったか忘れてしまうことがあるのだ。夕食のメニューを考えるほかに、記憶のありかを確認するのも暇つぶしの方法のひとつだった。
最初のピックアップ作業が終盤に差し掛かった頃、棚の前でしゃがみこみバインダーの箱にカッターを突き立てている宮下と出くわした。
「あ、高垣君もこれ?」
僕はうなずいた。
「取るよ。何個?」
「五」
「オーケー」
宮下は多少手間取りながらも、べりべりと箱を開け、バインダーを僕に渡すと残りを棚に並べた。どうやら、彼自身の分はすでに取り終わっていたらしい。別に棚を空にした人が新しく在庫を出す必要はないのだけれど、宮下はこういう変に律儀なところがあった。
「高垣君って本とか読む?」
昨日の話を念頭においているのだろうか。宮下がそう訊いてきた。
「読みますけど」
「それってやっぱりタブレットで?」
「紙の」
「読み終わったからって売ったりしないよね?」
「まあ、滅多には」
「ヘイ」
宮下は急に言うと、なぜか手をこちらに差し出してきた。
「何ですか?」
「握手」
僕は彼の勢いに乗せられる形で手を握った。彼は一度上下にぶんぶん揺らしてから手を離した。
「昨日、立花と話してたんだけど、好きな漫画でも飽きたら売るって言うんだよ。ありえなくね?」
「まあ、場所取りますしね」
「それも分かるけどさあ……なんでも電子電子っていうのもどうかと思うよ、俺は。みんなが紙を使わなくなったらこのバインダーだってお役ごめんになるのよ。こんな仕事も成り立たなくなるし。あ、立花だ」
僕は思わず振り向き、そこに高い人影を認めた。
「おい、高垣君は本売らないってよ」
「まだその話してんすか」
「お前らが分かってくれないからじゃん」
「宮下さん、やっぱオタクだわ」
高垣が笑う。二人が話し始めたのを機に、僕はその場を離れた。端末にバインダーを回収した旨を確認させると、そのままカウンターに運ぶよう指示が出た。そこで文房具が詰まったかごを下ろし、また次の注文に応対するのだ。一周するのにだいたい三〇分から一時間はかかる。一日にだいたい十週。もう何回この倉庫の中を回ったことになるのだろう。立ちっぱなしの仕事は足が疲れるが、常に動き回っているからこそこうして一人でいられる。
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