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僕の部屋は二階のちょうど真ん中、二〇二号室だった。キッチン、ユニットバスがついた一K。月々の出資の半分はここの家賃が占めている。八畳の和室には僕より背が高い本棚二竿と、本が入った段ボール箱が積み重ねられていた。ノートパソコンが載った脚の短いテーブルの脇には使い古して薄くなった布団が敷きっぱなしになっている。帰ってきてすぐ寝そべられるように、朝起きてもたたまないようにしているのだ。
僕は布団にダイブした。スマートフォンをポケットから取り出す。電源は昼の休憩が終わるとき、オフにしたままだ。そろそろ電源を入れるべきなのかもしれないが、気が進まない。このエアポケットのような時間をもうちょっと引き延ばしたかった。枕もとの時計を確認する。五分だけと自分に言い聞かせながらごろごろすることにした。
けっきょく十五分ほど横になってから起き上がると、夕食を作ることにした。あらかじめ組み立てておいたメニューの内容を反芻しつつ、冷蔵庫から材料を取り出す。栄養が偏らないようにいつも三、四品は作るが、時間がかかる料理は嫌いだった。費用がかかる料理も嫌いだった。だが、それらの条件を考慮して、メニューを考えるのは嫌いではなかった。勤務中のいい暇つぶしになるからだ。
大根の皮を細切りにしてごま油をひいたフライパンに放り込む。しょうゆ、砂糖、みりんをそれぞれ目分量で入れて箸でかき混ぜていると、電子レンジがチンという音を立てた。大根が若干しんなりしてきたところで火を止めると、レンジを開けた。ラップをかけて暖めたジャガイモに箸を突き刺しやわらかくなったことを確認すると、箸たてからフォークを取り出しつぶし始めた。器を持って移動しながら塩胡椒をふりかけ、マヨネーズを搾り出した。そこまで作業を進めてミックスベジタブルを混ぜるのを忘れていたことを思い出す。混ぜるのを中断し冷凍庫からミックスベジタブルを取り出して袋の口を縛っていたゴムをはずすと、中身を器にあけ、再びラップをかけてレンジに入れた。
フライパンのきんぴらを箸で片方に寄せ、そこにちぎったレタスを敷いてポテトサラダを盛り付けた。空になった器に冷凍のブロッコリを三つ入れてレンジに入れる。続いて、小型の鍋でレトルトのハンバーグをあっため、それもフライパンの上に開けた。水仕事は何にも増して嫌いだった。使う食器は最小限に抑えたかった。
料理が完成すると、机の鍋敷きにフライパンを置き、PCの電源を入れた。食べる間、目を遊ばせておくのは時間を無駄にしているような気がして好きではなかった。味の薄いきんぴらを咀嚼しながら、Google Chromeを立ち上げ、ブックマークバーに並んだサイトを片っ端から開いてチェックしていく。まず最初に本の新刊情報をサーチして回り、めぼしい情報を見つけるとサイトのTweet ButtonからTwitterに投稿した。それからTwitterのクライアントを開き、たまったログを消化し始める。それは僕にとってコップに注がれたジュースを飲み干すように自然なことだった。
フライパンがあらかた空になった頃、姉から電話がかかってきた。着信音に設定している『アイネクライネナハトムジーク』が部屋の静寂を切り裂き、僕の胸に突き刺さる。
いつもこうだ。
自分が設定した着信音なのに、どうしても慣れない。それどころか、着信音を変えるたびに苦手な曲を増やす始末だった。
電話に出ると、紛うことなき実姉の声が聞こえてきた。
「中三のときのクラスの同窓会があるらしいけど行く?」
「やっち」というのは僕のあだ名だ。姉以外の口から聞いたことはないけれど。
「なんでそっちに情報が回ってくるの」
「ほら、わたし香奈枝と友達でしょ。陽君のお姉ちゃんの」
「ああ」
僕は鷲鼻が印象的な平田陽の顔を思い出した。彼とは小学校から中学校まで一緒だった。
「で、やっちの連絡先を教えてって言われたんだけど、教えたくないだろうなと思って。でしょ?」
「うん」
「だと思った。だからかわりに訊いとくって言ったんだけど、その調子だと興味ない、か」
「うん」
「そ。じゃあ断っとく」と言う姉に対して、僕はもう一度「うん」と答えた。
「未来がおじさんは今度いつ来るのだって。本当にやっちになついちゃったみたい。いつも何して遊んでるの」
未来というのは姉の娘で、つまり僕の姪だった。
「何もしてないよ。ていうか、いつも言うけど、それ本当なの? あの子、全然そういうそぶり見せないんだけど」
「やっちに似てシャイだからねえ。そこがまた気が合うのかも。それより今週末、来れる?」
「また買い物?」
姉は「うん」と答えた。姉が僕を呼び出すときはたいていそうだ。
「で、来れるんだよね」
「多分」
僕は曖昧な返事をした。けれど、姉はそんな弟の扱いを心得たもので、「じゃあ来て」と決め付けて通話を切ってしまった。予定もなければ、これから予定が立つ見込みもないのはお見通しなのだろう。
ニコニコ動画で無料配信されているアニメを見つつ、別のタブでTwitterのタイムラインを見ていると、今度行われるオフ会の詳細が自動投稿で流れてきた。日時は来週の土曜日。参加費は五千円。いっそ姉へのあてつけに、一度こういうイベントに参加してやろうかと思う。そうすれば、僕も暇ではないのだと姉にアピールできるだろう。参加費がもうちょっと安ければ実際にそうしたかもしれない。それにしても、五千円も何に使うのだろう。どこかの飲食店に集まるらしいが、そこの飲み食いだけでそんなに使うのだろうか。それだけあれば半月は食べていける気がして、ちょっとしり込みしてしまう。
続けてタイムラインをぼんやりと追っていると、はっとするような投稿を見つけた。二十代半ばの女性の投稿で、日々募る寂しさとそれに相反して抱く自尊心の葛藤を詩的に表現していた。僕はフォローしているユーザーがみんなロボットなんじゃないかと思うことがあるけれど、たまにこういう文章を見かけると彼らも確かに血の通った人間なのだなと確信する。
お気に入りに登録しようとして、手が止まった。僕にとっては価値のある言葉でも、当人にとってはノートの端に書いてすぐ消す落書のようなものかも知れず、それをことさら「見た」とアピールするのは無神経な行為に当たるかもしれないと思ったからだ。
僕は新しい投稿を読み込み、当たり障りのない投稿をお気に入りに登録した。たかだかネット上の付き合いで気を使いすぎなんじゃないかと思うときがある。けれど、そのくらいのことはみんなが感じていることだろうし、ことさら負担になるわけでもない。また、いま以上に深く他人とかかわりたいわけでもない。
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