第4話


 遡ること数分前――。


「すみません、こんな遅くまで……」

「いいのいいの、それに私は見えないし……。まぁ、それはそれとして……」


 なんて、琴葉さんは片手をヒラヒラさせながら笑っているが、すぐに私の後ろにいる緑の方へと視線を移した。


「なんで病人の緑がここにいるのかしら?」

「…………」


 緑も自分が『病人』という自覚があるから、何も言い返せず無言のまま下を向いている。


 しかし、その様子は「はぁ、うるさい」とでも言いたそうにも見えてしまう。とにかく、雰囲気はあまり良くない。


「すっ、すみません! 外はもう暗いからあぶないだろうって、緑が送ってくれたんです」


「あははっ、いいのよ。いつもの事だから……ね?」

「……うるさい」


「でも、自分が風を引いていることには違いないから、家に帰ったらちゃんと薬飲んでしっかり暖めて寝るのよ? 明日も学校休むとか……許さないから」

「分かっている」


「…………」


 そのやり取りを見ていると、どうにも『姉』と『弟』というより……。


「はぁ、姉さんは俺の母さんか」


 そう、どちらかというと『母』と『息子』に見えてしまう。


「その母親から生まれているのよ? 似てもおかしくないじゃない」

「……俺が言っているのはそういう事じゃない」


 緑は「はぁ」と深いため息をついたが、琴葉さんは全然気にしていない……というより、そもそも気がついていないようだ。


「……えと、ここの上ですか?」

「ええ、さっきちょっと覗いてみたけど……」


 やはり琴葉さんには、勝幸伯父さんが独り言を言っている様にしか見えないらしい。


「まぁ、姉さんには見えないから仕方ない」

「それは、分かってはいるんだけど……」


 琴葉さんは琴葉さんなりに、どうにかしたいという気持ちがあるのだろう。


「そっ、その気持ちはありがたいですよ」

「本当?」


「はい」

「そっか……。ありがとう」


「……そろそろ行った方がいいだろ、早く帰らないと明日が辛いぞ」

「わっ、分かっているわよ」


 そう言って、私は「数馬と勝幸伯父さんがいる」という二階へと向かったのだった――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「ん……?」


 階段を上りきると、何やら話し声が聞こえてきた。


『そうですか、じゃあもうすぐ終わり……』

「…………」


 立ち聞きするつもりはなかったが、やはりなんとなく気になってしまう。


『僕がいた時の……正確には昴の目の前に現れた時からの記憶はなくなりますので……』

「え……」


 いっ、今……数馬がなんて言ったのか思わず耳を疑った。そして、私はその驚いたまま開きかけだった扉を押してしまった。


「! すっ、昴」


 開いてしまった扉の前に立ち尽くす私に対し、勝幸伯父さんは……もちろんと言っていいほど驚いていた。


『…………』


 しかし、数馬はそこまで驚いてはいない。ただ、私は……その場にいるのがいたたまれなくなり……。


「……ごっ、ごめんなさい。まだ話、していたんだ」

「えっ、あ……ちっ、違っ」


『……』


「えと……私、やっぱり家にいるね。話が終わったら……」

「昴、そうじゃなくて……」


 この時、私の耳に勝幸伯父さんの話なんて届いていない。とにもかくにも私はここから離れたい気持ちが勝っていた。


 だから――。


「じゃあ……」

「あっ、昴!」


「……え!?」

「……!」


 気がついたら私は、診療所を飛び出していた――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「えっ? えっ? 何?」

「……今、昴が飛び出して行きましたけど、一体何が?」


 昴が飛び出して行った後、琴葉さんと緑さんが慌てて入ってきた。


『……本当に、何ともタイミングがいいんだか悪いんだか分かりませんね』

「どう考えても悪いと思いますけどね!」


 珍しく勝幸さんが取り乱している。


 でも、仕方のない事だろう……とは思う。それに、僕だって「まさか、来ているなんて思っていなかった」から、驚いていたのだ。


「なんにせよ、すぐに探しに行かないと」

「いや、家に帰っているって、自分で言っていたんだから……」


『それはどうでしょうか』

「?? どういう事だ?」


「確かに、昴は今『家に帰っている』と言っていました。しかし……」

「……帰っているとは言い切れないかも……知れませんね」


 昴の性格から考えると、自分でそう言ったから多分「家に向かった」のだろうとは思う。


 ただ、そうとも言い切れない……。


「……」

「……」

「……」


 三人が沈黙している姿は「どうしよう」と言っている様に見える。現にそう思っているのだろう。


 だから、ここは……。


『……ちょっと僕、見てきますね』


「え」

『そもそも昴が出て行ってしまったのは僕の発言が原因ですからね』


「…………」

『家にいるにしろ、別のところにいたにしろ、連絡するように伝えておきます』


 それだけ言うと、僕は二階の屋根からヒラリと降り立った。

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