肆枚目 甘い優しさ

第1話


「ふっ……ふぇっ……くしゅん!」


 朝、目が覚めたと同時にきた鼻のムズムズに堪えかねて、俺は盛大なくしゃみをした。


「はぁ……」


 まぁ、結構冷えてきているというにも関わらず、池に落ちて、濡れたまま家まで歩けば、大体の人は風邪をひくだろう。


 しかし、風邪をひくこと自体、かなり久しぶりだ。


「…………」


 一応、剥がしたついでに手に入れた『御札』は無事、昴に渡すことが出来たから目的は達成できたと言える。


 ただ、まさか……風邪までひくとは思ってもいなかった……。


「…………」


 あの日……池の周辺を探索していた俺は偶然一人の男性を見つけ、その男性に声をかけたのだが……なぜか、その男性は俺を突然池へと突き落とした。


 もちろん、俺はなぜ突き落とされたのか分かっていない。


 ただ男性は「君が俺の姿を見て声をかけたから」だと言った。そして、俺を見つけるまで相当な時間がかかった事が、男性の言っている事から何となく察する事が出来た。


 それこそ、着物から洋服へと代わり、建物がなくなってしまったしまった事に気が付かないほどに……。


 男性は「池の底に沈んでいる大きな岩についている御札を取って欲しい」と俺に頼んできた。


 しかも、その御札は簡単に取れそうなのにも関わらず……である。


 ただ男性曰く、そもそも「男性の姿が見え、なおかつ池の底にまでたどり着ける人間が今まで誰一人いなかった」という。


 そして、男性はその俺を見つけるまでかかった長い時間を「自分の罰だ」と言っていた。


 だから、俺は御札を剥がす前に、男性から詳しい話を聞くことにした……。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 男性が生まれたのは『田舎の小さな村』だった。


 そして、その『小さな村』には、男性が生まれるずっと前から『鉄の掟』とも言える『村の掟』があったらしい。


 ただ、その『掟』との中に今では考えられない『双子禁止』というモノがあったそうなのだ。


『俺と弟がその双子だったんだ』


 村の掟では、どちらかを養子として別の村に出すか……自分たちがこの村を出るかしか方法がない。そうしなければ家族もろとも殺されてしまう。


 しかし、今では考えられないが、どの村も当時はこの様な『掟』があったそうだ。


『でも、俺たちの母さんはどの方法も取らず、俺たち二人を兄弟として育てた』


 男性の話では父親の顔全く覚えていないとのことだった。


「……」


 ただどういう事か、こういう話はなぜか、すぐにバレてしまうモノである。


『掟を破った罰として、村の住人は母さんを村から追放しようとした。でも、俺も弟も成長していたから、俺たちはそうなる前にそれぞれ別々に村を脱出した』


 そして、この山で三人で過ごし始める……はずだったという。


『俺は、てっきり逃げ切れたって思っていた。だが……』


 村の住人はこの山の麓まで追いかけて来たらしい。


『俺が家に帰った時には、母さんも弟も……もうどこにもいなかった』


 男性の強く握られた拳で、俺はなんとなく察した。


『俺は生かされた……ただ、あの掟に縛られているあいつらが許せなかった』


 その男性の言葉には『怒り』という感情がにじみだしている。でも、その気持ちは、分からなくもない……なんて簡単に言ってはいけないだろう。


 それくらい男性は傷ついただろうし、簡単に赤の他人である俺が口に出していいモノだとも思えない。


「それで……復讐した……と」

『ああ。でも、散々暴れまわった後、俺は捕まって池に落とされた……』


 男性は「なんで今まで気が付かなかったんだろうな」そう言った。でも、それだけ時間が経過していれば、気が付かないのも分かる。


『悪かったな、こんな話聞かせちまって。巻き込んじまったっていうのに』

「……」


 申し訳なさそうな表情を見せた男性に俺は首を左右に振った。


 普通であれば、何事もなく弟さんも母親も一緒に生活出来ていたはずの人だ。それなのに、あまりにも悲しすぎる話だった。


「早く……ご家族の方と過ごしてください」

『ああ、ありがとうな』


 そう言って俺が御札に触ると……いとも簡単に御札ははがれ、男性は俺の前から姿を消していた。


「っ!!」


 そして、急に襲ってきた息苦しさに俺は急いで水面へと向かい、必死で伸びてきた昴の手を掴んだ……という訳だ。


「…………」


 ただ、必死に掴んだ昴の手だったが、あまりに突然だったからなのか、昴が悲鳴と共に手を引っ込めてしまい、俺は再度池にダイブしてしまった……というオチもキチンとついている。


 なお、昴にはこの事を話していない。


「…………」


 でも、俺としては「どうして池の中だったのに、男性と話が出来たのか」という事が、未だに理解出来ていない。


 男性が『幽霊の類』の存在だったとしても、あそこまで長時間酸素ボンベもなしによくいられたな……とか、よく立っていられたなとか、色々気になるところがあるが……多分、それを言い出したらキリがないだろう。


「まぁ……」


 なんにせよ俺は、偶然とは言え巻き込まれてしまった人間だ。しかし、その男性が『俺を巻き込んだ』という事には当然意味がある。


 そうなってしまった……という『意味』が……。だから、男性から聞いた『話』は俺の中で密かにしまっておく事にしよう。


 多分、それが一番いい。


 俺が池に落ちたのも、その『理由』も昴は何も関係ない……いや『御札』の件は関係あるけど、俺が風邪をひいてしまった事に責任を感じている昴にこれ以上悲しませたくない。


「ちょっと……起きるか」


 とりあえず、今の俺に出来るのは『風邪を治す事』である。そうと決まればやることは決まっている。


「適当に食べて薬。飲まないと」


 俺はゆっくりとベッドから起き上がり、仕事で忙しい母さんが用意してくれたであろうリビングに置かれた『おかゆ』を温めなおした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る