第7話


 小さい頃……それは、俺が昴と出会ったばかりの頃にまでさかのぼる。


「……」


 その頃の俺は、まだ体が小さく、それこそ昴と比べると一回りも違っていた。それに、名前も『緑』だったから、余計にからかわれた。


 ただ、昴と俺は別々の保育園に通っていた。


 これは小学校になってから知ったのだが、実は家が近所だったらしく、中学に上がってしばらくは一緒に登校していた。


 小さい頃、俺は『体質』の事情からよく病院に通っていた。


 そして、昴はというと……自身の母親が入院していた事もあり、単身赴任をする前の父親とよく一緒に病院に来ていた。


 俺と昴が出会ったのは、まだ研修医だった勝幸さんと『話をする』という名のカウンセリングを受け始めたころだ。


 しかしその日、昴は……ちょうどカウンセリングをしている俺がいるとも知らずに、勝幸さんに会いに来た。


 そこで初めて昴に会ったのだ――――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……? なっ、なんだ……ここ」


 ついさっきまで俺は、懐かしい記憶に浸っていたはずだ。


 それなのに、俺の目の前に広がるのは、キレイ……とはかけ離れた汚れた『濃い緑色の世界』と『そびえ立つ』という表現が似合うようなやたらと大きな岩だった。


『やっと、目が覚めたんだな』


 そう言って俺の横に立っていたのは、俺を池に突き飛ばした『着物の男性』その人だった。


「……! あんたは……よくも俺を突き落としてくれたな」

『随分好戦的な性格だな』


「そう言われるような事をしたんだろ」

『まぁ、そう言われても仕方がない。それは認める』


 ――いきなり突き飛ばしてきた人間にしては、やけに素直だ。


「…………」

『面食らっているな。でも、そんなことはどうでもいい。俺としては、早くこんなところからは出て、家族に……弟に会いたいだけだからな』


「……どういう事だ?」

『どうもこうもない。気が付いたら俺は見覚えのない古びた神社の前に立っていたんだ』


「神社?」

『ああそうだ、建物が相当古くなっていたからな』


 男性はそう言っているが、おかしい。


 確か、俺たちが歩いてきた道に『古びた神社』と分かるモノは『石畳』くらいだったはずだ。


 それこそ男性の言っているような『建物』なんてモノはどこにも……。


「あの、つかぬ事をお伺いしますが」

『なんだいきなり敬語で気持ち悪い』


「その、あなたがその古びた神社を見たとき、その周辺には人がいましたか?」

『人? ああ、いたな。ここ最近は見ねぇけど大体俺みたいな恰好の……そういやあんたの格好は……なんとも奇妙だな』


 そう言って男性は俺の方をジロジロと見ている。


「…………」


 しかし、男性が『古びた神社』になぜか立っていた……という事も気になる。


 だが、それ以上にひょっとしたら男性は……時間の経過に気が付いていないのではないだろうか。


 それならば、男性が見た『古びた神社』も説明が付く。後、俺の服装を「奇妙」と言った理由も分かる。


「それで、あなたはなぜかこの神社にたどり着いていた……と」

『おう』


「じゃあ、なんで俺をこの池に突き飛ばしたんですか」

『それは……この岩についている『コレ』を剥がしてもらおうと思ったんだよ』


 男性は『コレ』と言いながら親指で岩についている『御札』の様なモノをさした。


 よく見ると、もう少しで取れそうな感じだ。


「……もう少しで取れそうですけど」

『だから言ってんだろ。俺は早くここから出たいんだよ。このよく分からねぇ神社から!』


「じっ、事情は分かりましたけど、なぜ俺なんですか?」

『俺に声をかけてきたのがあんただったからだよ』


「……は?」

『俺はここにずっといたけど、声をかけてくれる人なんて誰もいなかった。それは俺が見えていないからだ……と、思っていた。それに、この札は普通のヤツじゃ取れねぇらしいし、そもそも普通のヤツはここに来ることすら出来ない』


「つまり、あなたは自分を見ることが出来、なおかつここにたどり着ける人間を探していた……と」

『…………』


 俺の問いかけに男性は無言でうなずいた。


「で、コレは簡単に剥がせるんですか?」

『あんたも自分で言っただろ、もう少しで取れそうだって、だからあんたが触れば簡単にはがれる……はずだ』


 そこまで分かっているのに、なぜ自分で剥がそうとしないのだろうか……なんて無粋な事を考えてしまった。


『…………』


 でも、それは俺が言うまでもなく、男性は真っ先にそれを実行しただろう。しかし、上手くいかなかった……だから、俺の様な人間を探していた。


 自分じゃどうしようもないから――。


『ただまぁ、一つ悟った事がある』

「……なんですか」


『コレが、俺に課せられた罰だったんだなって』

「罰……ですか」


『まぁ、巻き込んじまったからおわび……ってワケじゃねぇけど、俺たち兄弟の話を……さ』

「…………」


 俺はその御札を剥がす前に、男性の話を聞いた……が、それによってこの人が犯したという『罰』が消えるわけじゃない。


 でも、少なくとも俺は『自分から声をかけた』その時点で俺は男性の関係者になってしまったのだから……男性の言う通り聞く権利はある……と考えたからだ。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……どうしよう」

『どうしようもないよ。結界が出来てしまったら僕たちはどうする事も出来ない』


 数馬は淡々と事実だけを言っている。でも……それでも何とかしようと思ってしまうのは……果たしていけない事だろうか。


『……コレで少しは緑さんの気持ち。分かった?』

「え?」


『僕と出会うきっかけになった夏祭りのあの日。ちょっと……というか、かなり状況は違うけど、緑さんもきっと不安だったんじゃないかな』


 確かに数馬の言う通り、状況はかなり違う。


 ただ「私が池に落ちて、救急車で運ばれた」という事実だけを聞いた緑は、どう思ったのだろうか。


「…………」


 目の前で落ちた……というのが分かっていてこの状況だ。多分、緑は相当動揺したのではないだろうか。


『それに、結界が発動しているっていう時点で緑さんは生きているよ』

「そっ、そうなの?」


『うん、問題はその解除を緑さんが出来るかってところなんだけど……』

「……?」


 そう言ったところで、数馬は水面に視線を向けた。


『……と思っていたけど、どうやら大丈夫そうだね』

「え?」


『手、伸ばしてあげなよ』

「……え? え?」


 なぜかニヤニヤしている数馬に対し、私は状況が分からず、とりあえず数馬の言われた通り手を伸ばすと……。


「つっ……めったー!!」


 大声と共に池に落ちたはずの緑が、苔まみれで私の手を思いっきりつかんで這い上がってきた。


「えっ……」

「あっ、昴……ありが……」


「きっ」

「え」


「きゃあー!」

「ちょっ、昴待て!」


 そして、驚き過ぎた私は思わず伸ばしていた手を引っ込めてしまい、緑はもう一度池に落ちてしまう……というコントみたいな事になってしまった。


『……あーあ』

「ごっ、ごめーん!」


 盛大な水しぶきと共に再度、池に落ちてしまった緑を数馬は憐みの表情で見ていたのをよく覚えている。

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