第6話


 病院――。ここ最近、私はここにお世話になりっぱなしである。


『ハッ、ハッ……』


「正直……病院に犬がいるという状況は、セラピー犬という場合を除いては初めて見ますね」


 苦笑いを浮かべているのは、勝幸伯父さんだ。


「……なぜか懐かれてしまいまして」


 そう、救急車で運ばれ、応急処置を終えた私の膝の上になぜかその『黒い犬』はかわいらしく、ちょこんと座っている。


「しかし、誰もとがめないという事は……」

「たっ、多分お察しの通りかと」


 今の今まで私はこの『犬』と一緒にいるが、それについて誰も何も言ってこない。それはつまり……この犬も『霊』という事で間違いないという事なのだろう。


「そう……ですか」


 まぁ、勝幸伯父さんの言いたい事も理解できる、だけどそれ以上に……。


「あっ、あの」

「はい?」


「なっ、なぜ勝幸伯父さんがここに? 診療所の方は大丈夫なのですか?」


 私は思わず尋ねていた。


「あはは、そうだよね。昴はそういうの気にするね」

「……」


 私は「いや多分、私じゃなくコレが緑だったとしても、同じことを言うと思うけど……」という言葉をこの時はあえて飲み込んだ。


「大丈夫。むしろ、琴葉さんに怒られました。しかも『父親も単身赴任中で母親もいない今、親代わりになれるのはあなたしかいないというのに、なぜ行かないのよ!』とまで言われてね」


 勝幸伯父さんは少ししょんぼりとした表情になった。どうやら私が池に突き落とされた時、駆けつけなかったことを琴葉さんはまだ引っ張っているらしい。


「そっ、そんな」

「いいんだよ、そもそも前回も今回も僕が関係しているようなモノだし」


「関係……ですか?」

「そうそう」


 そういえば、緑も「これは勝幸さんが患者さんから聞いた話」と前置きをしていた。


 つまり、最初に聞いたのは勝幸伯父さんという事になる。


「それに昴には一つ、謝らなければいけない」

「え? あっ、謝られるような事なんて」


「昴」

「はっ、はい」


「あなたを突き飛ばしたのは『小学生くらいの少年』じゃなかった?」

「まさか……! 伯父さん、知っていたんですか?」


「……」


 驚きの表情のまま勝幸伯父さんの方を見ると、伯父さんは無言のまま小さく一回頷いた。


「でっ、でもなんで……」

「実は昴たちが会う前に、その『少年』に一度、会ったことがあってね」


「そっ、それって……」

「うん、その患者の方から場所の見当は付いていました。そして、彼……その少年に会う事が出来た」


 その話は『初耳』だ。


 ……多分、数馬だけでなく勝幸伯父さんから話を聞いた緑も知らない話ではないだろう。


「昴が会った時、その『少年』は『制服』を着ていなかったかな?」

「はっ、はい。着ていました」


 私の記憶が正しければ、少年はいわゆる『学生服』というモノを着ていたように思う。


「昴は違う学校の上、小学校を卒業して結構立つので知らないのも仕方ないと思う。少年が『通っていた』という学校は、ここ一年ほどで『自由な服装』に変わっているから……」

「えっ、じゃっ……じゃあ」


 あの少年はやはり……。


「ただ、少年本人はなぜ自分がここにいるのか分かっていない。そこで一つの『可能性』が浮かび上がってね」

「可能性……」


「はい、それは少年が亡くなった事を『後悔』している『誰か』によって少年はこの世に留まっているのではないのか……と」

「誰か……」


 それは『ご両親』かも知れない。はたまた『小学校の友達』や『教師』かも知れない。


「…………」


 ただ、亡くなった当の本人である少年は……どう思ったのだろうか。


「全く、本当に『後悔』というのは後にも先にも立たないね。もちろんするなとは言わない。ですが彼は、普通の人間には見えない。それなのに彼はこの世に留まざる負えない状況になってしまった」

「……伯父さんは、その『誰か』の見当は付いているのですか?」


 普段は穏和な勝幸伯父さんがここまで分かりやすく『語気を強める』のは珍しい様に思う。


「少年の話を聞いてなんとなくではあるが……」

「…………」


「ですが、僕がそこまで手を回す必要はないと思っている。でも、彼を放っておけない。だから、僕は少年に『ある提案』をした」

「……」


  そこまで言うと、勝幸伯父さんは私に視線を向けた。


「すみません。まさかこんな事になるとは思っていなかった」


 勝幸伯父さんは、そう言って私に向かって頭を下げた。


「いっ、いえ……そんな」

「しかし、昴に怖い思いをさせてしまった事には違いない」


 確かに、勝幸伯父さんの言っている事も分かる。


 現に私は事故に遭いかけた。それが伯父さんの『提案』のせいだとすれば、私は怒っても良いのかも知れない。


「……頭を上げてください」

「…………」


「伯父さんはどう思っているのかは分かりませんが、私は伯父さんに感謝しているんです」

「え……」


「だって、伯父さんが緑に患者さんの話をしなければ私はあの少年に会うことすら……いえ、事故の原因すら知らなかった」

「…………」


 そう、そもそも勝幸伯父さんがこの話を緑にしなければ、私は事故の原因である彼に会うことすら出来なかったのだ。


「だから……これからも、色々お世話になります」

「……本当に……昴を『彼』に会わせてよかったと思うよ」


「え?」

「いえ……、こっちの話」


 私は問い返したが、勝幸伯父さんは笑っていた――。そして、私の膝の上にいたはずの『黒い犬』は……いつの間にかいなくなっていた。


「…………」


 勝幸伯父さん曰く、あの『黒い犬』は『少年』が亡くなった時に同じ場所にいたため、この世に留まっていたのだろう。


 それを聞いて……私は何となく、なぜ少年が亡くなったのか……その『理由』が分かった気がした。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


 その数十分後、数馬と緑が現れ、勝幸伯父さんは「先に帰るね」と言って私と緑、そして数馬は日が落ち、外灯の付いている道をそのまま一緒に帰る事になった……。


『あっ、そういえば昴を突き飛ばした人。お礼と謝罪をしておいてって言っていたよ?』


「えっ? しゃっ、謝罪は分かるけど……」


 ただ「なぜ『お礼』も?」お礼を言われるような事をした覚えはない。


「まぁ多分、昴が自分に付いてきてくれたから……だろ」


 緑はそう言った。


 確かに、私は少年に引っ張られるがまま付いて行った。しかしそれは、彼の突如として変わった『雰囲気』に怖じ気づいただけだ。


「…………」


 それに対して『お礼』を言っているのであれば、それは……絶対に違う。


「……昴は違うと思っているかも知れない。でも、あの少年は……多分、周囲に上手くなじめず孤立していたのだろう」

「孤立……」


「だから、たとえ昴が違うと思っても『拒絶も拒否もされなかった』という事が嬉しかったんじゃないか……と、俺は思う」


 そう言っている緑の言葉には妙な説得力がある。それはまるで「自分もその気持ちが分かる」と言っているようにも聞こえる。


『でっ、でも! あの人は緑は自分と似ていると思っていたけど、違うって言っていたよ?』


 数馬もさすがにそう聞こえたのか、緑の言葉に食い気味でそう言った。


「……違う?」

「ああ、違うって断言していたな」


「……なぜ?」

「……それは俺にも分からない」


 しかし、私たちはその『断言した理由』が分からないまま、無言になった。


『……えー』


 ただ、数馬だけは何となくその『理由』が分かったのかどことなく「なんで分からないの?」という表情になっている。


「……?」

「……」


 でも、私たちが『理由』をいくら聞いても「教えたら意味ないでしょ」の一点張りで結局教えてはくれなかった。

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