第5話


 秋の色と言えば、黄色や朱色を思い浮かべる人が多いのではないだろうか。その中でも『朱色』が似合う空の色をしていた。


「……」


 そんな朱色の空の中、その朱色の光を浴びながら遠くなる救急車。そして、俺の周りには、救急車の音を聞きつけて出来上がった人だかりが広がっている。


 今、遠くなっていった救急車には怪我をした昴が乗せていた。


「……」


 実は、昴はいきなり何者かに突き飛ばされた事により、道に飛び出し……いや、道に倒れ込むように転び、走ってきている車の前に出てしまったのだ。


 俺は、どうにかしようと手を伸ばしたが間に合わなかった。


 ただ、不幸中の幸いだったのは、車の急ブレーキが間に合い、事故にはならなかった事だろうか。


 昴本人は「大丈夫です」と言い張ったが、車の運転手が「何かあってからでは困る!」という事で救急車を呼んだ。


 しかし、俺はその救急車にはあえて乗らず、数馬と一緒にこの公園に残り、救急車が去った後――。


 救急車を見ていた一般的に『野次馬』と呼ばれる人々は、俺を一瞥し、バラバラと去って行った。


「……」


 でも、どうしても『彼』に話を聞かなければいけない……そう感じた。


「……」


 そう、昴を突き飛ばし、怪我をさせ……いや、事故に遭わせようとしたその『人物』に――。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「はぁ」


 やってしまった……。


 私は救急車の中で盛大にため息をついていた。


「すぐに着きますからね」

「あっ、はい……」


 安心させる為に声をかけてくれている……それはよく分かる。


 しかし「特別、大きな怪我をしたわけでもないのに……」という気持ちからか、どうしても申し訳なくなる。


「……」


 あまりにも申し訳なくなり、顔を下に向けていると……。


「ワンッ!」


 ふと私の耳に『何かの鳴き声』が聞こえてきた。


「……ん??」


 おかしい……と、その『鳴き声』を聞いた瞬間、思った。


 なぜなら、ここは救急車の中だ。それなのに動物の……それも『鳴き声』が聞こえるということ自体おかしい。


 もちろんコレが普通の車であれば、スピーカーとかテレビで偶然流れた……というのであれば、まだ分かる。


 しかし、そもそも救急車でそんな事をする『理由』もなければ『必要』もない。


「……」


 ――聞き間違い。


 その可能性はなきにしもあらず……という事もあり、私はすぐに視線を元の下に戻した。


『ワンッ! ハッハッ……』


 一回目は聞き間違い、二回目は勘違い……で済ませる事が出来る。でも、ここまでハッキリ聞こえるとさすがにそれらで済ませるわけにはいかない。


「……」


 それに……その『鳴き声の主』が今まさに、私の目の前……顔を上げた正面にいるのだろう。


 ただ、この状況に乗っている人たちは驚きも騒ぎもしない。


 それはつまり……この『黒い犬』の姿が『誰にも見えない』いや『誰も認識していない』という事を意味している。


「……」


 要するに、目の前にいるこの『黒い犬』は『霊』と考えるのが妥当だろう……と私も特に慌てる事もなく、病院に着くまでずっと無言のままその『犬』を観察した。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


「……おい」

「……?」


「そこのお前だよ」

「えっ、お兄さん。僕の姿……見えるの?」


 ――なんとも白々しい。


『……緑さんが掴みかかろうとしていた事なんて忘れてしまっているようだね』


 数馬の言うとおり、ついさっき俺が掴みかかろうとしていた事なんてすっかり忘れてしまっているのか『少年』はキョトンとした表情だ。


「えっ? そんな事、されたっけ?」

『……』


「いい加減その『演技』やめろ」

「いやだな、演技だなんて」


 それでもそのまま突き通すつもりなのか『少年』は両手を左右に振り、笑ったままそんな事を言っている。


『白々しい……』


 しかし、そんな笑みを浮かべていた『少年』も数馬のこの言葉には何か感じるモノがあったらしく……。


「……君、今なんて言った?」


 突然『少年』の雰囲気が変わり、そして無表情で数馬を見ている。


「……それがお前の本当の顔か」

「うるさいよ、それより君。今なんて言った?」


 口では色々言っているモノの、その表情は乏しい。


『…………』


 そんな表情のまま近づかれると、誰だって後ずさりしたくなる。現に数馬も少し後ろに足を引いていた。


「君、さっきのお姉さんに似ているね。うーん、顔が……かな」

『え』

「……やっぱり、お前が昴を突き飛ばしたんだな」


 俺は『少年』の言葉に確信を持った。


「……」


 この『少年』が昴を事故に遭わせようとした張本人だと。


「はぁ、なーんで見える人がこんなにいるのかな?」


 もちろん、一度は掴みかかっているわけなのだから『確信』があったわけだが、それ以上に『少年からの言葉』が欲しかったのだ。


『ちょっ、ちょっと待って……じゃあ今までの事故も?』

「あー、今までの『あれ』の事?」


「あれだと?」

「笑っちゃうよね、今までいなかった場所に犬が鳴いただけで誰か気づいてくれるんだもん」


 少年の表情は笑ってはいるが、どこか呆れた様な……いや、それ以上に「特に何とも思っていない……」そう言いたそうな表情でポツリと呟いた。


「それでその鳴き声に気がついたほぼ全員がその場で立ち止まってさ、キョロキョロ見渡すの、車が近くまできているっていうのに」

「…………」


 確かに、俺が勝幸さんから聞いた事故に遭った人は『友達』だと聞いている。


『……って、その肝心の犬は?』

「そういえば……いないね」


 『少年』はそこまで興味がないのか……いや、そもそも気にしていないのか、軽く周囲を見渡して言った。


「……」


 この『少年』の見た目はどう見ても『小学生』だ。しかし、さっきからこの少年の言葉や行動を見ていると……どうも『小学生』とは思えない。


「そいつなら昴の乗って行った救急車に乗り込んだぞ」

『えっ』

「ふーん、そっか」


「……そこまで驚かないんだな」

「まぁ、動物なんてそんなもんでしょ」


「…………」

「僕がそんなに子供っぽく見えない?」


「ああ」

「素直だね」


「今更、取り繕う理由なんてない」

「……まぁ、そうだね」


 多分、この『少年』は元々頭がいいのだろう。


「はぁ、なんで大人たちは『子供っぽい』を求めるんだろうね。確かに僕は……子供『だった』けどさ」


 そう言っている『少年』の目はどこか寂しそうだ。


『だっ……た?』

「……生前って意味だろ」


『ああ、なるほど』

「全く」


 多分、この少年はすでに亡くなっているのだろう。それはさっきの人ごみ……いや、昴を事故に遭わせようとした時点で分かっている。


「……」


 どういった経緯があってここにいるのかはまだ分からない。ただ『少年』は生前。家族や周りの人たちからあまり理解されてこなかったのだろう。


 ――だからこそ、こんな事が言える。


 俺自身もそういった『経験』があるから、多少はこの『少年』の気持ちは分かるつもりだ。


「でもな、だからと言って赤の他人を傷つけて良いって理由にはならない」

「……」


 この『少年』がどういった『気持ち』でこういった事故を起こしていたのか分からない。


「いや、どんな理由があったとしても……だ」

「……」



 しかし、その矛先を赤の他人にぶつけるのはやはり間違っている。


「どうやらあなたは……僕と似ている様に感じていました。が、どうやら決定的に『違う』ところがあるようです」

『違うところ?』


「ふふふ。死んだ時、僕はどうしてここに来たのだろう……と不思議に思っていましたが……その理由が何となく分かりました」


「……」

『えっ、それってどういう?』


 俺は何となく『少年』の言いたい事が分かったが、どうやら数馬はまだピンと来ていないらしい。


「……」

「言いませんよ。どう言ってもどこかで聞いた事のあるようなクサイ台詞感が抜けませんから」


 そう言って笑った『少年』に、俺はようやく『子供っぽさ』を感じた。


「さて、どうやらあなた方に出会い話したことで僕もようやく『向こう側』へと行けるようです」

『えっ、あっ!』


 少年の言葉を聞いた数馬はようやく『少年』の足下に気がついた。


「ふふふ、君はそのままでいいと思いますよ。それに……あなた」

「……なんだ」


「今更、こんな事を言って許されるとは思いませんが……」

「なんだ、サッサと言え」


「……今まで事故を起こしてすみませんでした」


 そう言って少年は俺たちに頭を下げ、昴の一件だけでなく『今まで』の事故全てを謝罪していた。


「どの方も致命傷を負うことはありませんでしたが、悪い事をしてしまった自覚はあるんですよ」

「……」


 人によっては「本当に悪いと思っているのか」と言われそうではあるが、多分コレがこの『少年』にとっての最大級の謝罪の言葉なのだろう。


「それでは……あのお姉ちゃんにも謝罪と……後、お礼を言っておいてください」

「……分かった」


 ――ただ、この『素直になりきれていない』というところは、どんなに大人っぽく振る舞ってもやはり『年頃の少年』を連想させた。

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