年明けは波乱と共に

 年末年始は流石に実家に帰ろうと思ったのだが、父親に「少し事情があるから待ってくれ」と言われてしまった。

 なにか年末年始の用事があるのだろうと金香は思い、はい、とそのまま受け入れた。

 元々父親は年末忙しいのだ。年越しの準備は必要なものが色々とある。そのためにかき入れどきというわけ。きっと今年もそれだろう。単純にそう思った。

 よって屋敷で年越しを迎える。

 屋敷のひとたち、主に門下生は実家に帰ることが多かった。

 というか金香以外は皆、帰省してしまった。

 まぁ当然だろう。門下生はまだ年若い者が多い。一番年上の門下生でも二十代の半ばにも届かないのだ。親御さんが実家に呼び戻して年末年始を迎えたいというわけ。

 年末は大掃除をし、大晦日は屋敷のひとたちと年越し蕎麦を食べ、そのあと麓乎と初詣に行った。

 「夜に行くのも風情があるものだよ」と誘われて。

 深夜に出歩くことなど初めてだった。年若い女子としては当然のことであるが。

 しかし麓乎が一緒であれば心配することなどないだろう。よって連れ立って神社へ行き、お参りをした。

 参拝後には、境内の大鍋で煮られていた甘酒をいただいた。それは真冬の冷えた体を内側から温めてくれる。

 両手で湯呑みを包んで、ほう、と息をついた金香を見る麓乎の眼は、いつも通り優しかった。甘酒よりも温かいくらいに。

 帰る前におみくじを引いたのだが、金香の引いたものは『吉』であった。

 麓乎は「幸先がいいね。年明けから良い運ではじまるし、大吉と違ってここから上がる余地もある」と言ってくれた。

 ちなみに麓乎は『小吉』で、「少しだけ良いことが起こるということかな」と言ったが、それでも嬉しそうだった。

 参拝もその他もすべて終えて帰るときにはやはりしっかりと手を取ってくれた。

 このひとがいてくださるだけで、運勢なんてすでに『大吉』だわ、と金香は思ったものだ。



 さて、そのような年末年始を過ごして、父親に呼び出されたのは年が明けてしばらくしたときのこと。

 年末年始は顔も見られなかったので、きっとそのためだろう。

 実家に住んでいる頃からあまり家に居てくれなかったとはいえ、唯一の大切な家族に変わりはない。金香は喜んで実家へ向かったのだが。

 迎えてくれたのは父親だけではなかった。

 父親に寄り添っていたのは、父親より少し年下に見える女性であった。

 「紹介しよう」と名前を言われて、そのひとも「はじめまして」と言ってくれたが、金香は少しの間ぼんやりとしていた。

 その間に父親は「これが娘の金香」と金香のことも紹介していたようだ。しかしそれは金香の頭をすり抜けていった。

 言われる前からわかった。このひとが父親の後妻になるのだと。

 ずっと前から存在だけを感じていたひとなのかはわからない。そのひととは別かもしれない。

 それでもこれから父親の伴侶となるひとに変わりはない。

 金香がぼんやりしている間にも紹介は進んでいく。

「娘っ子としては珍しいことだが小説家などを志していてね。今は師匠の家に内弟子に出しているんだ」

 「そうでしたわね」と女性は言って、それは『以前から聞いていた』というくちぶりであった。

 幾つか話をしたあと当たり前のように「このひとを妻として迎えようと思う」と言われてそれが金香の胸に突き刺さった。まるで包丁でも突き立てられたかのようだった。

 どうしてかはわからない。

 わかっていたじゃないか。

 いつかはこんな日が来るのだと。

 父親に新しい家族ができるのだと。

 金香が家から出ていったことで、その可能性は更に濃くなったわけで、むしろここまでその話が出なかったほうがおかしいくらいですらある。

 酷いショック、だったのだと思う。

 けれど金香の体は意識とは関係なく「そうなのですね。おめでとうございます」と、にこっと笑って言っていた。

 そんな自分に金香は驚き、また悲しくなった。それでもほかに反応などないではないか。

 お茶だけ飲んで、金香は「ではそろそろ帰ります」と言った。席を立つ。湯呑みだけ洗おうと持ち上げて。

 驚いたように「泊まっていかないのか」と父親に言われたが、「明日も仕事なので」と言った。

 「詳しいお話が決まったら、またご連絡くださいませね」と父親に言い、女性にも「ごゆっくりどうぞ」と言って家を出た。

 玄関を出て、少し歩いて、金香は立ち止まった。小さなため息をついてしまう。

 本当は泊まるつもりで身の回りのものも持ってきていた。

 しかし無理だった。紹介された女性と同じ家で一晩過ごそうなど。

 そのひとが嫌い、なのではない、と思う。ただ、存在が金香の胸に刺さったということだ。

 父親に新しい家族ができた。

 でも自分はその中には入れない。

 もう家族じゃないのかしら。

 そんなことすら頭に浮かんで、屋敷にどうやって帰ってきたかもわからなかった。

 気が付いたときには屋敷の前にたどり着いていて、金香はぼんやりと住み慣れた屋敷の屋根を見上げた。

 大きな屋敷。たくさんのひとが住まっていて、その全員が知っているひとだ。

 ここは確かに、私の家。

 けれど、一緒に暮らしているひとは一緒に暮らしている存在であっても、血縁関係のある『家族』ではない。

 私はもしかして、独りぼっちになってしまったのでは。

 思い浮かんだことに、ぽろっと一粒涙が落ちた。



「おや? 泊まってくるはずではなかったのかい」

 間の悪いことに、玄関を入って自室に帰る前に麓乎と出くわしてしまった。金香を見て、麓乎は不審そうに頭をかしげた。

 「一晩泊まってまいります」と言い残して昼間、出ていったのだ。麓乎の疑問も当然のもの。

 その顔を見て、優しい焦げ茶の瞳で見られて、急に先程の悲しい気持ちがよみがえってきた。

 堪える間もなく、ぽろぽろと涙が零れてくる。

 ここしばらく泣くことなどなかったというのに。

 金香の反応に、麓乎は勿論驚いたようだ。

 「おうちでなにかあったのかい」と訊かれて金香は頷くしかなかった。そのとおりであったので。

 別段冷たく当たられたわけでもないのに、さっさと帰ってきて、あまつさえ泣くなど自分が弱すぎる、と思ったけれど止まらない。

「そうか。荷物もあるし、一旦部屋へ戻るといい」

 言って、少し躊躇ったようだが続けてくれた。

「一人になりたいかい。そうでなければ、私に話しておくれ」

 表現は良くないが渡りに船どころではなかった。

 今、一番逢いたかったひとだ。

 家族ではない。

 けれど今の金香にとっては一番近しいといっていいひと。

 二人で金香の部屋に入ったが、麓乎はすぐに出ていってしまった。「飲み物を持ってくるね」と言って。

 飲み物など要らなかったので傍に居てほしかったのだが、それは口に出せなかった。

 望みすら言えないほど混乱しているのだ、と自室に独りになってから金香は思い知った。

 とりあえず荷物を置いて箪笥からはんかちを出す。濡れた頬をそっと拭った。

 先程麓乎にかけてもらった、優しい言葉に少し、ほんの少しだけではあるが、落ちつけた気がする。

 十分ほどが経ち、麓乎が戻ってきたときには涙は止まっていた。

 悲しい気持ちはちっともなくなっていなかったけれど。

 麓乎は金香の湯呑みと自分の湯呑みを盆に乗せていた。

「生姜湯を入れて貰ったよ。温かいものを飲めば少し落ち着くはずだ」

 麓乎に生姜湯など入れられるとは、少なくとも金香は思わなかったうえに、実際に「入れて貰った」と言ったので、厨の飯盛さんか誰かが作ってくれたのだろう。

 しかし持ってきてくださったのは麓乎だ。

 作ってくれと頼んだのも麓乎だ。

 恋人関係ではあるが、男性であり師でもある麓乎に用意させて飲み物を持たせるなど、本来は失礼極まりないのであろうが。

 とても嬉しかった。

 自分のことを心配して、自ら厨になど行ってくださったことが。普段は入りもしないであろうに。

「ありがとうございます」

 有難く優しさに甘えることにした。湯呑みを手にして、両手で包み込む。温かかった。

 入れたばかりの生姜湯。入っている飲み物は違うがあのときのことを思い出した。

 数日前。二人で深夜に初詣に行ったとき。

 あのときはとても幸せだった。

 でも今は悲しい気持ちでいっぱいだった。

 本当なら今だって幸せな気持ちになるべきなのに。

 だって、父親が幸せになるのだ。娘としてそれを祝福し、喜んで然るべきであろう。

 また涙が出そうになったが、ぐっと飲み込んで、代わりに湯呑みの中の生姜湯を口にする。

 生姜の刺激的な味がするが、一緒に入っているだろう砂糖がそれをやわらげていて、とても優しい味がした。

「美味しいかい」

 麓乎に訊かれて金香は「はい」と答える。

「それは良かった。飯盛さんの生姜湯は美味しいね。風邪を引くと作って貰うのだよ」

 麓乎は何気ない話をした。

 去年は風邪を拗らせて大変だったことや、そのとき門下生が見舞いに来てくれたが「移るから」と追い返したことなど。

 金香はそれを聞いていたが、そのうちにだんだん気持ちは落ち着いてきた。

 生姜湯と、麓乎の声、そして一緒に居てくれたことでであろう。

 金香がだいぶ落ち着いたのを悟られたのだと思う。生姜湯がなくなる頃に、麓乎が訊いてくれた。

「なにがあったのか、訊いてもいいかい」

 流石に言葉にするのは怖かった。本当のことになってしまいそうで。

 いや、そんなことはとっくに現実になっている。

 ただ、自分の中で『本当のこと』として実体化してしまうということ。

 しかし黙っているわけにはいかないし、この気持ちを吐き出してしまいたい。

「お父様が」

 思い切って切り出す。それだけでも声は震えた。

「新しい奥様を迎えることになったと」

「それは、……おめでとう」

 金香の言ったことに息を呑んだようだったが麓乎は言ってくれた。そう言って然るべき事実だ。

 けれど金香はちっとも嬉しくなかった。それどころか腹の中は不快になる。

 お祝いなどしてほしくなかった。

 酷いお父上だと言ってほしかった。

 そんなことは自分の我儘だとわかっていたし、麓乎からの祝いの言葉をそのように感じたり望んだりすること自体失礼だ。けれど感情はどうにもできなくて。

「それがなんだか、衝撃で……」

「いえ、わかっておりました。お父様はいつか、新しい奥様を迎える、と、……」

 言えたのはふたこと、そこまでだった。またぽろっと涙が落ちてしまう。

 駄目、これ以上泣いては。子供ではないのだから。

 こみ上げそうな涙を無理やり飲み込み、金香はそのとおりのことを言う。

「おかしいですね、こんな、子供でもあるまいに……お父様を取られるなんて」

 胸にあった、一番単純な気持ち。

 一番、厭だと思ったこと。

 声は震えたが笑みを浮かべることには成功した。

 しかし麓乎は金香のその表情を見て、顔を歪めた。

 むしろ麓乎のほうが痛切な表情になる。どこかを痛めているような、そんな顔。

「無理をしなくていいのだよ」

 数秒黙っていたが、やがて言ってくれたこと。無理をしていることなど筒抜けなのはわかっていた。

 が、実際にそう言われてしまえば、麓乎の言葉通り、無理やり言った言葉や気持ちは壊れてしまいそうになる。

「きみにとっては唯一の身内だろう。お相手ができれば取られた気持ちになって当然だ」

 言われて今度こそ完全に気持ちは壊れてしまう。

 こみ上げた涙は今度は飲み込めない。ぽろぽろと零れ落ちた。

 当たり前のように麓乎は膝を詰めてくる。金香を胸に抱き取ってくれた。

 どきりとしたものの、もう慣れたのだ。それどころかこうしてくださったのが嬉しくて、そして安心して。金香は抱き寄せてくれた麓乎にしがみついていた。

 普段通りの、香の香りが余計に涙を刺激して麓乎の胸に顔を押し付けて、金香は嗚咽を零す。

 それは子供が父親にするようなものだったかもしれない。

 父親に抱きしめられた記憶など、少なくとも物心ついてからは一度もないのだけど。

 けれど麓乎はそれに値するほどには立派な大人の男性であった。金香の恋人である、男性だ。

 泣く金香の背を、麓乎はただ撫でてくれた。なにも言わずに。それでもそうして貰えるだけでじゅうぶんだった。

 どのくらい泣いていただろう。

 ようやく気持ちもおさまってきて、金香は息をついた。

 子供のようにしがみついて泣きじゃくって。醜態を見せてしまった。初めて抱きしめられたときほどではないが、恥ずかしくなる。

 金香が少しでも落ち着いたことを悟ったのか、麓乎が口を開く。

 しかし言われたことは、金香の心臓を喉元まで跳ね上がらせた。

「金香。今夜、私の部屋へおいで」

 言われた言葉。喉元まできた心臓を握りつぶされたかと思った。

 その誘い。

 この状況。

 今までとは違うのではないだろうか。

 ただの添削や話をしていた、今までとは。

 夜。恋仲の男性の部屋へ行く。意味するところがわからないはずがない。

 いくら男の人との交際が初めてであろうとも。

 しかし実際の麓乎の意図は違っていたようだ。

「なんだい、今までは気軽に訪ねてきていたのに」

 麓乎のほうも、金香の様子を見て多少なり動揺したのだろうがそれも落ち着いたのだろう。常のようなからかうような響きを帯びていた。金香が連想したことなどわかっている、という様子で。

「なにをしようというわけではないよ。そこは安心しておいで」

 言われた言葉ははっきりとはしていなかった、が、金香の想像してしまったこと、つまり、……子供を作るような、その類の行為をしようという意味ではないようだ。

 そして麓乎は嘘をついたり前言を撤回したりする人ではない。

 本当に、想像した、というか、もっといってしまえば金香が恐れたことはないと思っていいのだろう。

 ただし、ほっとするより先に金香はわからなくなった。

 なにもないというなら、どうして意味ありげな言い方をして呼びつけるのだろう。

 まさか普通に文の添削などをしてくれるわけではないに決まっている。

 それでは男女が、しかも交際している者同士が夜に同じ部屋で過ごすなど、ほかになにがあるというのか。

 不安に思っていたことよりも、その疑問が割って入ってきた。

「……はい」

 しかし金香はそう返事をするしかなかった。

 どちらにせよ、師でもあるこのひとの言葉に頷かないわけにはいかないのだ。

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