初めての投稿作
「では、これは私が提出しておこう」
金香が提出した最終稿に時間をかけて目を通し、源清先生は頷いた。
文机の引き出しから封筒を取り出して中に入れる。くるりと紐で口をくくった。
ああ、もう戻れない。
原稿を持ってお部屋を訪ねたときから煩く打っていた心臓が一気に冷えたような気がした。
あとは評価を待つばかりだ。
今回の『新人賞』は雑誌の募集だった。源清先生も連載を持っている雑誌だ。
なので直接編集部に持ち込むことも可能ではあったのだが、先生にお願いしたほうが確実に編集部の手元に届くというわけである。
「お疲れ様。何度も直して頑張ったね」
そっと封筒を文机に置いて、源清先生は座布団に座っていた金香を振り返った。にこっと笑ってねぎらってくださる。
「いえ、そんな。先生のご指導あってのものです」
金香は当然のように言ったのだが、先生も当たり前のようにそれを否定した。
「指導はしたが頑張ったのは金香ではないか。課題の他にも勉強していたのだろう?」
そんなことを先生に言ったことはないはずだ。さらりと言われて驚いてしまう。
「え、どうしてそれを」
「上達が早いからね。明らかに課題だけでは到達できない域だと思って」
先生はさも当然のようにおっしゃった。
気付かれていたのか。
恥ずかしくなったが、それと同じだけ嬉しくなった。
自分の書くものをただ添削するだけではない。上達具合や習熟度も感じてくださっていた。
『自分を見ていてくれる』というのは、最上級の幸せだ。
「そ、そうですか……光栄です」
「まぁ、志樹にも聞いたのだけどね。金香がよく本を借りに来る、と言っていたよ」
ふふ、とどこか誇らしげに、そしてからかうような響きも帯びて先生は言った。嬉しそうに目元を緩めて。
まただ。
たまに見せるこの悪戯っぽい顔は意外ではあるのだけど、先生の確かな一面、そして容易く他人が見ることのできない顔だ。
子供っぽいともいえる、かわいらしいともいえる、そんな顔。
接してしまうたびに金香の胸を高鳴らせる。
「狡いです」
「なにが狡いものか。私に言ってくれても良いのに」
「もうたくさんお借りしております」
「もっと言ってくれて良いのだよ」
やりとりのあとに、金香はちょっと気になっていたことを聞いてみた。
「あの、……ほかの門下生の方も、今回の賞に出されるのですか」
そう、その点がずっと気になっていた。
雑誌の賞なのだ。概要はずっと前に、引っ越してきた時点で雑誌を拝見して確認していた。
大賞を取れば賞金と選評、そして雑誌の掲載。
次の賞でも賞金と選評、その下の賞でも何作か選評がつくと書いてあった。
先生も「なにかしらの賞に入れば、編集部の気にされたということになるからね。まずは大賞でなくともそこを狙ってみるのが良い」と言ってくださった。
そんな絶好の機会なのだ。門下生になったばかりの金香だけでなくほかの門下生にも当然出すように言いつけているだろう。
金香の想像は勿論当たったようで源清先生は頷いた。
「ああ。小説家としての第一歩だからね。全員提出するように言っているよ」
やはり。
では同じ門下生といえども、ライバルといえることになるのだろう。
内弟子であり、同じ屋敷に住んでいる男性・茅原(ちはら)さんも、外に住んでいるという唯一の女性門下生である音葉(おとは)さんも、それにほかの門下生だって。
でも負けたくなかった。
先に弟子入りしているひとたちには、勉強も技術もなにもかも先をいかれている。
でも気概では負けない。
妹弟子だから不出来に決まっている、などと卑下するつもりはない。
その気持ちは先生にも伝わっている、のだと思う。
「でも互いの作品は見せないよ。発表になってから読み合いをしようと思っている」
先生は言った。確かに『全員賞に出す』とすら聞いていなかったのだ。そうなるだろう。
「そのほうが公平だろう」
「そうですね。楽しみにしております」
すぐに兄弟子の作品を読んでみたい気持ちもあったけれど。やはり公平を欠いてしまう。
「できれば集まって、読み合いをしたいものだね。評論会をしようか」
「はい。勉強になりそうです」
門下生が一堂に会したことは今までない。個人的には顔を見たり会話をしたりしているのだが全員が集まる、というのは。
それはそれで楽しそうである。
それにそれぞれの作品を読み合い、良いところや改善点を話し合ったりできる。きっとそれは愉しいだろう。
「さて。当座の目標は達成したわけだね」
「はい」
話もひと段落したので次へ移る。
そもそも門下生としてやってきたのも新人賞の原稿を見て貰うためだったのである。一応の目的は果たした。
勿論それでおしまいとなるつもりはなかったし実際そうであろう。
最終的な目標は『小説家となる』ことである。
源清先生のように弟子を取る小説家になるかはわからないが。
小説家のすべてが師弟制度をとっているわけではない。身近な例だと志樹のように一人で黙々と書く者もいるのだから。
なんにせよ今の金香にとってはひとの指導をするなどと夢のまた夢の段階なのであったが。
ただ、ひとの指導をするのも楽しいのではないか、と金香は思う。それは寺子屋で子供たちの勉強を見ていた経験からきていたのかもしれない。
ひとにものを教えるのも楽しいことである。単純に指導ということだけでなく自分も『ひとに教える』というプロセスを踏むことでそのことをより深く理解できる。二度学習できるのだ。
なのでいつかは源清先生のような〇〇流、という立場になるのもおもしろそうだと思っている。そこへ到達するにはまだまだ未熟が過ぎるのだけど。
ただし可能性がまるでないとは思わない。
源清先生は金香のちょうど十才上だ。それで門下生を取る立場になったのはまだ数年だと聞いている。それまでは源清先生の師、春陰流門下生だったのだ。
十年経てば。
その間に精進すれば。
立身すれば。
そうなれる可能性だってじゅうぶんあると思う。
金香の最終的な夢と目標は『小説家』とその先の『独り立ち』であったといえる。今はそのためにたくさん書いて、添削していただいて……勉強に勤しむことが一番である。
「次の賞のことも考えたいね。次は別の雑誌だが、秋に募集がある。今度は今回のものより少し長めだから、早めに構想を練っておくのも良いのではないのかな」
「はい! 是非参加したいです」
勢いよく返事をした金香に、源清先生はまた嬉しそうに笑んだ。
「良いことだ。募集記事を見るかい」
腰を上げ、棚へ向かう。一冊の雑誌を抜き出した。
その雑誌はまだ新しい。出て間もないのだろう。
文机の前、元通り正座をして源清先生は雑誌をぱらぱらとめくった。ある頁(ページ)にしおりが挟んである。
先生はそこを開いた。きっと弟子のためにチェックしていてくださったのだろう。
師(せんせい)として、とても優しい人。金香は感じ入った。
「ここだね。どうぞ」
「拝見いたします」
金香は雑誌を受け取り、頁に目をやった。
細かな字で募集概要が幾つか書いてある。抽象的ではあったが。
文字数の規定や締め切りはきっちり書いてあるが、以前のものより募集の内容はだいぶ自由度が高いようだ。
これはどうしたものかしら。
金香が思ったのを読み取ったように先生は言った。
「貸してあげよう。この雑誌の傾向を見ることがはじまりだからね」
「ありがとうございます!」
先生もつまり、「この募集概要を見ただけで書きはじめるのは困難だ」と思ったということだろう。金香はお言葉に甘えてお借りすることにして雑誌を抱えた。
「さて。これを読めたら幾つか既刊の号も読んでみると良い」
源清先生はそう言ったが金香はこの雑誌を知っていた。
「すべてではないですが、最近の号は読んでおりました」
この雑誌は寺子屋で毎号取っていた。それを毎月読んでいたものだ。ここ一年程のものならおそらくすべて読んでいる。
金香の言葉に、源清先生はちょっと驚いた様子を見せた。
「おや。熱心だね」
褒められて、自分で言ったというのに金香はしどろもどろになってしまう。ひけらかすようだっただろうか。
「いえ、……ただ、面白いと思って読んだだけですので」
「その好奇心も立派な勉強だよ」
丸くした眼をやはり細めて、源清先生は言ってくださった。
「もう一度読みたいと思ったら、言うといい。繰り返して読むのも良いだろう」
「はい!」
話はひと段落し、金香は雑誌を抱えて先生の部屋を出た。
先生の指導は厳しいところもあるのだが、ここまでのことを褒めていただけた。
先生は本当に褒めるのがお上手。
金香は毎回そう感じてしまうのだった。
習う者として自分の作や回答を褒められれば嬉しいし、やる気も出る。そのあとの指導も素直に受けられるようになる。
源清先生は小説家としてだけでなく、師としてもとても有能なのだろう。
それは初めて寺子屋で、源清先生が子供たちの文の添削をするのを拝見したときからずっと思っていた。
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