チューリップは花開く日を待つ
ぎゅっと蛇口をひねって金香は水道の水を止めた。
朝の仕事は花壇の水やり。すっかりあたたかくなり植物も水をより欲するようになっているのだ。
水やりは子供たちに当番を課しているのだが金香も大抵一緒にそれをすることになっていた。
花は好きなのだ。
花壇に四季折々の花を植えることを提案したのは、金香である。情操教育に良いというほかにも、毎日のように暮らす場所に花があれば彩りができるだろう。
花の好きな、金香。
金香の髪も花のような色をしていた。少し暗めの桃色。どちらかというと癖のあるふわりとした髪質で肩より少し長めの髪は下ろされているのが常であった。
子供たちとの運動の時間にはきりりとうしろでくくるのだが。
美しい盛りである金香は今年十九。
しかし結縁もしていなければ恋人もいない。この時代としては少々遅咲きといえる。
早い女性であれば寺子屋を出てすぐ、十三、十四で結縁する者もあるのだから。それは相手の男性がよほど大人であるか、良い家の者である場合だが、多くの女性は十六か十七あたりには家庭に入るのが常とされていた。
なのでその習慣としては、年増……といわれてしまっても仕方がない年齢だ。
ただ金香はあまりそのことを気にしていなかった。
人それぞれであるのだし、周りに良い男性がいないということや恋という機会に恵まれなかったこともある。
それに男性が少し怖いという性質も手伝っていた。育った家庭の事情も手伝って。
機がくるのを待つくらいで良いと思っている。
そう、季節になればきちんと花を咲かせる花壇の花たちのように。
今、花壇で咲くのを待っているのはチューリップだった。つぼみは日に日に膨らみつつあり、あと十日もすればほころぶだろう。ここしばらくの毎日の楽しみである。
「巴ねーちゃん、こっち終わったよー」
たたっと数人の男の子が駆け寄ってきた。ばけつを持っている。
威勢よくばけつでまいたのは樹々に水をやったからだ。まだ水も冷たく感じるのに子供たちは今日も元気だ。
「ありがとう。若葉も出てきたね」
「緑の芽がどんどん増えてくよ」
今日の当番のうち一人の子は植物を育てることがとても好きだった。
花壇や植物に興味を示すかどうかは子供たちもそれぞれであった。それは個人の興味がどこへ向いているかの問題だ。この子は園芸師や植物学者が向いているのかな、など単純に考える。
「そーいやさー、こないだきた、小説家の先生も褒めてたよ。花壇が綺麗だって」
「え、そうなの」
行儀悪く袴で濡れた手をこすりながら、違う男の子が言った。
それを咎める前に言ってしまったのは、きっと嬉しさ。世話をしている花壇を褒めてもらえたことへの。
「あー、あのせんせー。なんかオンナみたいな人だったなー」
話題は自然に源清先生のことへ移っていく。
金香はどきどきしてしまった。彼のことを考えると胸が騒ぐ。二人の教室で文の添削をしてもらったときのことを思い出して。
「髪長いし、なんかなよなよしてるし」
しかし男の子たちの評価は芳しくないらしい。
それはそうかもしれない。男の子、つまりまだ幼くとも男性なのだ。雄々しい大人に憧れるのはある意味当然ともいえる。
源清先生は非常に中性的な容姿と仕草だったから男の子の憧れとは離れていても不思議はない。
「でも綺麗なひとだったじゃん」
言ったのは一人の男の子だった。
容姿に関して好印象を持った子もいると知り、金香はちょっと嬉しくなった。彼の容姿は金香にとってとても良いものだという初印象だったものだから。
あまり『男の人』を感じさせないところが良かった、と思ったのだ。
本人にとってこれが褒め言葉になるかは微妙な線なので先生本人に伝えるつもりはなかったが。源清先生も『男らしい男』になりたいと思っているのであれば、かえって失礼に当たるので。
「それに声だって、優しい声だけど、低くて落ち着いてたし。オトナの男ーって感じで俺は好きだな」
その子はもうひとつ源清先生を褒めた。なんだか嬉しくなりながらも金香は理由に気付く。
この子は文を書くのが好きなのだ。源清先生からの指導が嬉しかったのだろう。それが好印象となって表れたという理由もひとつあるかもしれない。
「えー? やっぱオンナみたいだぜ。服とかもヒラヒラしてさ」
しかしほかの子はそう思わなかったらしい。勉強に気が向くかは、もしくはどの科目に気が向くかはやはり人それぞれ。
「こら。そんなこと言わないの」
妙に、むっとしてしまったのはどうしてか。そんな金香に悪戯っこの一人が声をあげる。
「巴ねーちゃんより美人かもな!」
その言葉は不本意極まりない。いくら源清先生が綺麗であっても、そしてそれを誰かに褒められれば嬉しくなってしまっても。
自分よりも美しいと言われてはちょっと不満だ。それは女性としての、年頃の女の子としての矜持である。
「なんですって!」
「わー! 怒ったー! 逃げろー!」
声をあげた金香に男の子たちは、わーっと大声をあげながら散っていった。追いかけようかと思って、しかし金香はやめておいた。
水やり当番も一応終わっている。解放してやってもいいだろう。
このあとは朝一番の勉強の支度をしなければ。今日は数字の学習だ。
花壇から離れながら、はぁ、と金香は別の意味でためいきをついた。
こうして男の子たちにからかわれるのは、いつものことだ。半分、教師だというのに威厳が無いことかもしれない。
でも源清先生が教室に入ってきたときのあの凛とした空気。ああいう雰囲気で子供たちに勉強を教えることができたのならばそれはとても立派なことではないだろうか?
やはり見習いたい。彼の在り方も子供への勉強の教え方も。
彼に憧れる気持ちが少しずつ膨らんでいくことを、今の金香はあまり認識していなかった。
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