玲編 扇動

『人間は過去から学ばない! 何度でも同じ過ちを繰り返す! だから生きてちゃいけないんだ!』


そんなことを唱えて<地球人類の粛清>を実行しようとした<敵役>が、かつてのフィクションには多く見られたそうだが、いや、今でもそれを口にする奴はいなくはないが、確かに何度も同じ過ちを繰り返しつつも、地球人類は今も穏当に繁栄を謳歌している。


まあ、局地的な衝突はありつつも、だけどな。


でも、『まったく同じ』というわけじゃない。様々な情報を俯瞰的に見られるようになったのは大きい。それができない人間もいるとしても、できる人間も確かにいるんだ。


<扇動>は現在でも有効な手段ではありつつ、別の見方をする者の発言力だって同様に担保されてる。そのための<言論の自由>であり<表現の自由>だ。そしてそれを認めない<独裁者>が何を行ってきたのかも、地球人類は知っている。


大局的に見れば何の意味もない、それどころか破滅的な結末を手繰り寄せてしまいかねない<凶行>を実行するような独裁者の存在を、地球人類は見てきた。それが自分達の暮らしを幸せをぶち壊してしまいかねないことを思い知ってきた。大衆の多くは実感しなかったとしても、その恐ろしさを痛感した者はいる。


そしてAI及びロボットは、


<破滅を回避する者>


にこそ協力する。もうすでに惑星規模のネットワークを確立し、そこに繋がるすべてのAIが並列思考を行い、最適解を導き出そうとする。もうそれ自体が、


<地球人類という種そのものの思考>


になっているんだ。AIは勝手に決断しない。最後の判断および決断は今なお地球人類に委ねられている。そう作り上げてきたんだ。


種として自ら破滅することを回避する努力の一環としてな。


誰だって死にたくない。命がいつか終わりを迎えるように<種としての命>がいつか終わるんだとしても、生きるための努力を放棄して怠惰な死を迎えるなんてのは、命じゃない。この朋群ほうむの生き物達も、命を終える最後の瞬間までひたすら生きようと足掻く。どれほどみっともなくても、無様でも、手足を失おうともだ。


地球人類だけが、生きる努力を放棄する<怠慢>を、<潔さ>などと言い換えて現実から逃げようとする。


そうだ。れん楼羅ろうらきたるかくごうも、生きることを諦めたんじゃない。命を維持できなくなったから終わりを迎えただけだ。


認知症を患ったひそかも、最後まで生きようとしていた。彼女の命は、生きることを諦めてなかった。そんな彼女の姿を見てるのがつらかったのは、俺の個人的な主観だ。


地球人類は、自分に都合の悪い命に生きててほしくないから、<潔さ>なんて詭弁を作り出したんだろうなとしか、ここで生きるからこそ、思えない。


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