新編 殺していいという制度
『<地球人としての常識>を理解できない家族の世話に疲弊してる世帯がある』
昔は相当大変だったらしいな。今は再生医療も進歩し四肢欠損さえ回復できるし、脳が大きく損傷してもAIによって思考を補うこともできてしまう。理論上は脳そのものの再生すら可能だ。何しろ、クローンが作れるんだからな。
ただ、もし脳を再生したとしても、失われた記憶は戻らないし、人格そのものも変わってしまう可能性も高いそうだが。
それでも、社会復帰ができないほどの障害が残ることはない。
認知症も治療可能となり、<知能を基準とした命の選別>論はその意味を失ったそうだ。
しかし、脳が大きく破損したことに伴う<植物状態>という事例はいまだにあり、延命を行うかどうかの議論はなお続いているという。
だが俺は、余所の家族の命の選別をするつもりは毛頭ない。自分にその資格があるとは思わない。ここ惑星
とは言え、知能云々で命を選別することには、俺は断固反対する。なにしろ、<地球人の常識を理解できるだけの知能>などなくても、現にこうやって良好な関係を築くことができてるからな。
とにかく、<攻撃的になるスイッチ>というものが解読できれば、穏当に付き合っていくこともできるんだよ。そもそも、自分の思い通りにならないからといって他者の命を奪う権利など誰にもない。自分に理解できない振る舞いをするからといって他者の命を奪う権利など誰にもないんだ。
穏当な関係を築けないのは、所詮、個人の問題だ。現に良好な関係を築けている事例がある以上、<上手くいかない事例>に基準を置いて命の選別などできはしないんだ。
なるほど確かに、<規制>などの場合には、『上手くできない奴がいる』ことを理由に規制が設けられたりするだろう。『悪用する奴がいる』ことを想定して規制したりもするだろう。だがそれは、
『理不尽な犠牲が出ないようにするため』
に行うんじゃないのか? だとすれば、
『上手くいってる側が理不尽な犠牲を強いられないようにするために、上手くいってない事例を基準にして命の選別は行えない』
のが、むしろ当然じゃないのか?
『自分達が上手くいってなくて辛いから、<地球人としての常識を理解できる知能を持たない人間は殺していいという制度>を作ってくれ』
などというのは、<甘え>以外のなんだって言うんだ?
赤の他人が勝手にそんな制度を作って俺の家族が殺されるとか、そんなふざけたことを誰が許すか!
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