新編 答なんて出ない

俺の子供達が俺に対して反抗的じゃないのは、


『反抗する必要がない』


からだ。反抗しなきゃならない理由を極力作らないように心掛けているからだ。


<地球人としての常識>を押し付けず、それぞれの<在り方>について折り合いをつけるようにしてるからだ。


あらたうららには、<地球人の常識>は理解できない。だが、あらたうららも生きてるし、俺にとっては<家族>だ。俺は、自分の家族の生き死にを他人に勝手に決められて黙ってられるほどお利口な人間じゃない。


『知能が十分か』だの『地球人としての常識を理解できるかどうか』だの、そんな御託で俺の家族の命の価値を決められて『はいそうですか』とか、引き下がれるわけないじゃないか。


そんな風に割り切れないのが<地球人>ってものじゃないのか? 


『<地球人としての常識>を理解できない家族の世話に疲弊してる世帯がある?』


知るか! そんなものはその世帯の問題だ。そんな赤の他人の<家庭の事情>で俺の家族の生き死にが勝手に決められてたまるか! なんでそんな当たり前のことにすら目を向けられないんだ? <知能を基準にした選民思想を唱える連中>は。


家族や親族や施設職員が疲弊してるのは、そもそも対処の仕方に問題があるからじゃないのか? それを、<愛情>だの<善意>だの<思いやり>だので覆い隠して、


<触れちゃいけないタブー>


にしておいて、それから目を背けて、


『命の選別というタブーに切り込む』


とか、笑わせるな! 


こちとら、毎日のように<命の選別>を迫られてるんだ。


『どこまで助ければいい?』


『どこまで手を差し伸べればいい?』


答なんて出ない! 出ないが、それでも選択を迫られる時がある。すべての命を救いたい。だが、そんなことは不可能なんだよ。だったら、拾える命は、自分の手が届く命は、助けたいじゃないか。少なくとも、俺自身に連なる命についてはな。


赤の他人の命と自分の家族の命との選別を迫られたら、俺は自分の家族の命を選ぶ。赤の他人のために自分の家族を犠牲にはしない。したくない。


だが、だからこそ、他人もそう思ってるかもしれないと考えれば、可能な限り赤の他人の命であっても救おうとは思うんだ。知能が高いとか低いとか、地球人としての常識が理解できるとかできないとか、責任能力があるとかないとか、そんなものは俺に判断できることじゃない。していいことだとも思わない。赤の他人の家族の命の選別を、俺がしていいとも思わない。


助けられるなら、俺の家族の命と天秤にかけられてるわけじゃないなら、俺は、赤の他人の家族の命を見捨てていいとも思ってない。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る