ビアンカ編 わきまえた人間の姿を
などと、いろいろ生々しい話になったが、これも必要なことだからな。結婚するもしないも、子供を持つも持たないも当人の自由という社会だったとは言え、
『愛する人との子供が欲しい』
と考える人間は、何だかんだといなくはならない。ビアンカもその一人ということだ。
『自分の勝手で子供をこの世に送り出す』
『子供はあくまで自分とは別の人間』
という覚悟と認識さえ持てれば、子育てというのもそんなに大変なことでもないぞ。その覚悟と認識があれば、子供が自分の思い通りになってくれなくても苛々しないしな。
それに、<躾>なんて難しく考える必要もない。子供を人間として育てるなら、要は、親である自分が手本を示せばそれでいいだけだ。
『ちゃんとわきまえた人間の姿を振る舞いを子供の前で示す』
だけでいいんだ。もっとも、その、『ちゃんとわきまえた人間の姿を振る舞いを子供の前で示す』ことをしたくない、自分勝手に生きていたい、と考える人間には難しいだろうけどな。
『人間として生きる』には、『野生の動物が野生の中で生きる』のとはまったく違う在り方が求められる。野生の動物がやってることをそのまま取り入れることはできない。子供との接し方もそうだ。なにより、人間は道具を使う。武器を使う。『強い者が弱い者を従える』場合にも、単純に個体の力だけでは強い弱いは語れない。子供だって、拳銃を使えば簡単に大人を殺せる。実際、<事故>という形ではあるが、幼児が実銃を
こんなことは、人間以外の動物ではまず起こらないだろう。生まれて間もないトラの子が、親のトラを殺せるか? 拳銃で成体のトラを殺すか?
そして人間(地球人)は、<恨み>を忘れない生き物だ。幼い頃の恨みを、大人になってから晴らそうとすることもある。自分より弱いからと大人が子供を暴力で抑圧すれば、『その恨みをどうやって晴らすか?』ということも考えられてしまう生き物なんだ。
しかもそれは、<暴力による報復>とは限らない。親から虐待を受けていた子供が自らそれを警察に通報し、親を逮捕させるということさえある。
『恨みを買う』というのは、そういうことだ。
子供にとって親は、自身の生命線でもある。親の庇護を受けられなければ命を繋ぐことさえ危うい。にも拘らずその親を『排除しなければ』と子供に思わせるような振る舞いをしていることが問題なんだ。
<躾>だとかいうものを言い訳にしてな。
<親がいなくなることによるリスク>
よりも、
<親がいることのリスク>
の方が高くなっているということなんだと、自分が親になってよ~く分かったよ。
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