ビアンカ編 VSハートマン

ビアンカとの力比べを終えた未来みらいは、しばらく荒い息をしていたが、五分もするとそれもおさまり、今度は、村の傍を流れる川の向こうに立ち哨戒任務に就いていたハートマンに向けて猛然と走り、幅二メートル以上ある川をぴょ~んと飛び越えて、ガシッとハートマンの足に掴まって、やはり、ぐーっと押し始めた。


が、力ではビアンカを上回るハートマン相手に敵うはずもなく、やっぱりビクともしない。


それでも未来みらいは懸命にハートマンを押す。


「う、む…! やりますね、未来みらい!」


ハートマンは、わずかに押されて見せながらも、


「まだまだ! 負けませんよ!」


そう言って、ぐいっと押し返した。するとやっぱり、未来みらいが踏みつけている地面が抉れて彼の体が下がる。


「うおーっっ!」


未来みらいは咆哮を上げ、渾身の力を込めて、抗う。わずか二歳や三歳くらいにしか見えない幼いその姿にも、とてつもない<生きる力>が秘められているのが見える気がした。


実際、未来みらいには、この厳しい世界を生き抜く力が既に備わっていると思われる。クロコディアの子供は、一歳くらいで、大体のことは自分でできるようになる。


体が小さく、成体のクロコディアに比べれば力も弱いからアーマードピラルクのような天敵が相手では成す術なく命を落としたりすることもあるものの、それだって、必ずしも一方的にやられたりするとは限らない。全力で逃げて振り切って見せたり、時には、強烈な尻尾の一撃で目などを潰して撃退したりすることだって、ある。


もちろんそれらは、『運に恵まれた』というのもあってのことだろうが、それでも、『運も実力のうち』なんていう言葉もあるように、生き延びてみせればそれが正解なんだよな。


そのために必要なものを、まさしく今、未来みらいは学んでいってるんだ。


牙斬がざんへの無謀な挑戦も、ルコア達に助けられたからというのもありつつ、そこで生き延びてみせて、経験として活かすことができるなら、やっぱりそれも<正解>だと俺は思う。


その代わり、失敗は<死>そのものだけどな。


そういう世界だ。ここは。


<力比べ>をするのも、今の時点の自分の身の程を知るためには必要なことなんだろう。そうして自身の力をわきまえ、群れの中での序列を知り、自分はどうあるべきかを知るんだと思う。


それと丁寧に向き合わないということは、子供が身の程を知る機会や序列を理解する機会を奪うということになるんじゃないだろうか。


別に、痛めつける必要はない。蹴ったり殴ったりする必要はない。ただ正面切って子供の力を受け止めて、


『どうだ、ビクともしないだろう?』


というのを実感させてやれば、それで済むはずなんだ。


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