ビアンカ編 安全保障上の重要な課題

『自分を敬ってもらいたいなら、相手のことも敬わなきゃ』


人間関係の本質は、まさにそこにあると俺は感じてる。


エレクシアは確かにロボットであり<道具>ではあるものの、非常に人間に近い姿をしていることで、子供達からは<人間>として認識されていたと思う。ひかりあかりも、今でこそロボットというものを理解してるが、幼い頃は人間だと思っていたそうだ。


そして俺は、エレクシアを敬っている。


『ロボットは人間の道具である』


ことはわきまえつつも、同時に、


『<道具を大切にしない姿勢>は、子供の情操教育に良い影響を与えない』


とも思うんだ。


ほら、よく親は、


『ものを大切にしなさい』


って言うだろう? だから、


『ロボットを道具と見做すこと』


と、


『ロボットを大切にすること』


は、相反しないはずなんだ。


で、俺はエレクシアを敬っているし、大切にしてる。その俺を、エレクシアも敬い、大切にしてくれている。


その姿を実際に見せてきたことで、子供達は俺とエレクシアの関係に安心してくれていたんだと思う。


そして、シモーヌが正式に俺の<嫁>になってくれてからも、俺は、シモーヌを敬い、大切にしてきたつもりだ。だからこそ、シモーヌも俺を敬ってくれている。


さらに、久利生くりうとビアンカの関係は、まさにそれにぴったりとはまっている。


久利生くりうがビアンカを敬っているからこそ、ビアンカも久利生くりうを敬うことができているんだ。


これは決して<綺麗事>じゃない。れっきとした合理的な<生存戦略>だ。良好な関係を保つことで<高い戦力>を強固に保持し、かつ、


『いずれ高い戦力になる見込みのある者(この場合は未来みらい)との信頼関係を構築、長期にわたって安定した体制を作り上げる』


っていう。


<大切な仲間>であり<将来の有望な戦力>になるであろう未来みらいとの良好な関係を築くことは、


<安全保障上の重要な課題>


だと思わないか?


ここで、目先の感情や虚栄心や自己満足や優越感を優先して未来みらいとの関係を雑に扱って信頼を失って彼の反発を招いて、それどころか彼に憎まれたり恨まれたりして、なんのメリットがある?


ほんの一時いっとき


『自分は親なんだ大人なんだ偉いんだ。だから敬え!』


なんて態度を子供相手にとって得られる満足感優越感が、<安全保障上の重要な課題>と引き換えにするほど価値のあるものか?


俺にはとてもそうは思えない。


なにより、幸せか?


仲間からの信頼を失うことは。


それを考えれば、目先の満足感優越感よりも優先するのは当然だと、俺は感じるんだけどな。


『そんな先のことより目先の満足感優越感を優先するのは当然だろ!』


と考えるのなら好きにしてくれてかまわないが、そんな人間を俺は信頼も信用もできないな。


俺の<仲間>には要らない。


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