モニカとハートマン編 人生ってのは

<公園>で真っ赤な夕日が山の稜線に差し掛かる頃、


「ビアンカ様が戻られました」


モニカが告げた。


すると、


「!」


ルコアは手で涙を拭って、ぱあっと笑顔になって振り返り、


「分かった…!」


声を上げて公園を出、するすると滑る様に廊下を急いだ。完全に<サーペンティアンとしての自分の体>を使いこなせているのがそれでも分かる。


人間が二本の足で歩くのとはわけが違う動き。


しかも、蛇には似ていても<地球の蛇>とは違うサーペンティアンとしてのそれは、蛇のように鱗を活かしたものじゃなかった。胴体そのものが非常に細かく複雑にうねっていてそれによって体を前に送り出すんだ。


正直、よくそんなことができるもんだと、説明を受けて唸ってしまったよ。


おそらく、元々体の使い方についてはある程度は頭に入っていたんだろうが、それでも人間の感覚とはまったく違っていることが影響してだろう、最初はまともに動くこともできなかった。その所為で、発見された時はじっとしてた感じか。人間が普通に這いずるような形でやっとあそこまで移動したらしい。


その間、よく他の肉食獣達に襲われなかったものだと思う。


まあ、川からコーネリアス号までの範囲については<安全圏>という形で、ドーベルマンDK-aらを哨戒に当たらせてたけどな。それにも発見されずりん達のテリトリーの近くまで這いずってきたわけだ。


そうやって這いずっていた時のルコアの気持ちを想像すると、胸が締め付けられる。


たった一人でこんな場所に突然放り出され、まともに動かせない体を引きずりつつ、だぞ? 自分に置き換えて考えてみたら、頭がおかしくなりそうだよ。


それを考えたら、光莉ひかり号で不時着し、エレクシアをつれていた俺なんて、恵まれすぎていて本当に申し訳ない。


そういう意味でも、俺がシモーヌやビアンカや久利生くりうやルコアを気遣うのは、むしろ人間(地球人)として自然なことだと思う。


すると、モニカのカメラが捉える光景を映し出すタブレット越しに俺が見守る中で、ルコアは、


「おかえりなさい!」


コーネリアス号のカーゴスペースのハッチを開けてビアンカを出迎えた。それこそ、母親の帰りを待ちわびていた娘のように。そんな彼女に、ビアンカも、


「ただいま」


母親のように笑顔を向けてくれる。


つくづく思う。


ルコアを見付けたのがあんじゃなくりんだったら?


ビアンカがいなかったら?


ってな。


見付けたのがりんだったら、ルコアは食われていたかもしれない。


母親役を引き受けたのがアラニーズであるビアンカじゃなくシモーヌだったら、今みたいに心を開いてはくれなかったかもしれない。


それを考えると、人生ってのは本当に<出逢い>に左右されるんだなって実感するよ。


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